恋は盲目
藍色が来る前に、和歌を何としても追い出さなければならない。
「ちょっと帰ってくれないかな」
「弟を邪険に扱う兄って、世間体悪いよ」
廊下でお隣さんの方を見ながらいうな、弟が兄の評判を落とそうとするな。
藍色が来ると知ったら、部屋に住み着く勢いで帰らないのが見えているので、それまでに追い出す作戦へシフトして、部屋へ上げた。タイムリミットは十分くらい。
外で兄弟喧嘩が出来ない兄弟である。
「お茶しか入れるつもりないけど?」
「コーラないの?」
「炭酸成分が欲しいなら、ビールになるけどいい?」
「いいよ。頂戴。未成年に飲ませたら捕まるのってお兄ちゃんでしょ?」
「可愛くない弟だなー」
「可愛げのあるお兄ちゃんがオレも欲しかったよー」
「で。そのお兄ちゃんからのアドバイスだけれども、藍色を気に掛けるよりも、お前が自分を磨いて、ののかちゃんを釘付けにしたらどうだ? 英語を勉強しろ」
ベッドに座っていた和歌はそっぽを向いた。わかりやすく拗ねている。
兄に及ばないまでも外面のいい弟は、兄以外には苦情をいれられないのである。
和歌も和歌で、変にすれているから生きにくそうだし、いい加減口では兄に勝てないことも学習すればいい。
「お兄ちゃんって大人げないよね」
「兄の心境をさも読んだように、表現しないでくれるかな」
和歌にお茶を手渡す。和歌は両手でコップを持って、ちまちまと飲んだ。小動物みたいだ。
「……ののかを、釘付けにするには、オレはどうすればいいの。藍色さんのような、夜空と夕焼けの狭間のような瞳、持ってないもん」
情熱的で、恋に一途な姿は、盲目とさえいえる。
薄氷の上に立っているかのような危うさすらはらんでいると思うのは、兄目線すぎるか。
「カラーコンタクトじゃだめ?」
「いいと思っているなら、お兄ちゃんがまずは試してくれない?」
「え、俺がののかちゃんにアピールするわけ? ……兄弟だから顔はまぁ、似ているとは思うけど……」
「お兄ちゃん。知ってる? オレの手にはいま、お茶が入ったコップがあるんだ」
「話題振ってきたの和歌だろ!」
「誰がののかにアピールしろといったのさ。ほら、お兄ちゃんを好きに思ってくれる人くらいいるんでしょ?」
「不誠実なので却下」
「それもそうだった」
恋する和歌にとって、不誠実な行為は許せないようだ。自分で振ってきたのに撤回が早い。
というか、深い青のコンタクトにどれだけの効果があると思っているのだ。そんなにないよ。
「お兄ちゃん。……ののかが、最近。ふとした時に、藍色さんのことを思い出してうっとりしているんだよ、嫌なんだ……しまいには最近よく眠れないって言っていて……怖いんだよ」
「安心しろ。藍色に少女趣味はないから」
「藍色さんに趣味がなくても! ののかにはあるの! ののかはとっても魅力的なんだから、それで藍色さんの感情が動いたらどうするの!?」
「俺が嫌だから阻止する」
本来、他人の恋愛観とかどうでもいいけど。赤の他人というには藍色は距離が近いし、ののかちゃんは弟の恋人である。
そもそも、藍色は色恋沙汰に興味あるのか? 趣味が殺人な男に? 恋バナとかしたことがないからわからない。
前に言っていた鳶さんとやらとは、どんな関係なのだろう。
仕事仲間であり、恋人同士ってわけではなさそうだけど。当たり前だが、藍色の交友関係は謎だ。綾瀬さんはどうして藍色なんかと友達なのだろうかと首を傾げるくらいにいい人だから、謎は深まるばかりである。
「そもそも、藍色さんってなんなの! あの人! 髪、なんか長いし! 会社員って感じじゃないし!」
「まあ、うん。会社員は無理かなーっては俺も思う」
「藍色さんは何なの!? 教えてよ!」
「……和歌は、友達の親兄弟の職業まで知っているわけ? それと同じで俺が藍色についてなんでもかんでも知っているとは思わないで。俺だって知らないよ。みずに関してだって知らないことくらいあるのに」
「……お兄ちゃんはみずゆきさんのこと知りた過ぎでは? ちょっと引くけど」
うっかり本心を口にしたら、胡乱な目で見られてしまった心外だ。お前に人のことをいう筋合い絶対ないからな。
「親友だし。お前だってののかちゃんのことは知りたいだろ」
「だから、ここに来たんだけど」
ほら。お前だって一から百まで知りたいタイプじゃないか。
「大丈夫だよ。ののかちゃんが、藍色に興味を持ったのが目の色だけなら、そんな色だけに和歌が負けるわけないだろ。安心しなさい」
藍色への感情は、一時の興味。もしくはテレビの中の人物に思いをはせるような存在のはずだ。
さて、そろそろ藍色が来る頃だろう。
多分車でくる。近くのコインパーキングで駐車したら――と思っているとインターホンがなった。和歌がみょん、の効果音が似合うように反応した。
「和歌はそこで待ってるんだ!」
俺が先に玄関の外に出る。廊下に出た俺に対して、藍色はその名前と同じ色の瞳で怪訝そうに俺を見た。扉を背もたれにして和歌が外には出てこないようにする。
「なんだ? どうした」
「ちょっと弟が来ているから外で話そう」
「喫茶店へ行くか、個室があるところがある、奢ってやる」
「いや車の中とかでいいよ。車でしょ?」
弟を部屋に放置したまま、あまり長居はしたくない。
勢いよく出てきてしまったので財布も携帯もない。まあ、携帯は指紋認証だしパスワードは誕生日にしていないので、弟には開けられないからいい。
流石に水没させました、なんて馬鹿な行動をとる和歌でもない。
コインパーキングまで歩いて、助手席に座る。運転席に座った藍色が足を組んで、長い白髪に手を触れながら、どうだった? と詩に対する嫌疑の結果を尋ねてきた。
「大丈夫。詩は問題ないよ」
あのお嬢様が何を考えているのかはよくわからないけれど、俺を愛していることだけは伝わってきた。
彼女が知っているか知らないかはわからないけれども、真実を口外する人ではない。
「偶に、藍色は俺が盗聴されていないかどうかを調べてくれればいい」
「……おい。そこは私を使うのか」
「盗聴しないって約束はしてくれたけど、でもそれで全面的に信用しているわけではないからね」
「私のことは知らないと信頼して――いや、違うな。どちらにしても私のことは口外しないと信頼しているのか、おかしな矛盾だな」
辛辣な言葉に俺は苦笑する。その通りだ、多分都合のいい俺の幻想も入っている。それでも、人が死ぬよりかはましだろう?
「別にいいだろ」
俺が笑うと、藍色は長く嘆息した。その顔は、疲れたサラリーマンのような風貌ですらあったから、面白かった。睨まれた。
「まあいい。今のところは害がないと判断してやる」
「それは俺への信頼?」
「そうだ。お前が、みずの不利益になるようなことはしないからな」
藍色のオブラートにも包んでいないそのままの言葉に、肩を竦めた。その通りではある。
「そうそう。一応俺は藍色には少女趣味はないと思っているんだけど」
「……何の話だ……」
「いや、弟の――和歌の彼女の、ののかちゃん。藍色のこと気になっているみたいで、和歌が、拗ねているんだよ」
「はあ? 気のせいだろう。私は別に好意的な視線は感じなかったが」
「で、藍色のほうからの興味は?」
凄く睨まれた。蛇に睨まれたカエルとはこのことである。
「ふざけているのかお前は。減らず口を叩くなら一発くらいは殴る。不快だ」
「痛いのは御免だ。で、ない? 言葉にして言ってくれると有難い」
「当たり前だ。ない」
「良かった。ないってわかっていても藍色の口から直接聞かないと、和歌が不貞腐れて面倒なんだよ。ののかちゃんがとられるんじゃないかって不安がって、嫌いな兄の家にまで押しかけて来た」
「……そうか」
「そう。弟としては直接藍色に、ののかちゃんに近づかないで! なんて言えないしね」
「似た物兄弟だな」
「血が繋がっているからな。さて、あんまり和歌を放置しておくのも、あれだから俺は戻る。藍色、手伝ってくれてありがとう」
自分に火の粉が降りかかるのが困るからだったとしても、それでも藍色は手伝ってくれた。詩を殺さないでいてくれた。
素直なお礼の言葉に、面を食らいつつも、藍色は笑った。
俺が部屋に戻ると、和歌はベッドに座ってアルバムを勝手に見ていた。
「おい、何しているのさ」
「お兄ちゃんがいなくなって暇だったから、アルバム見てた。本当はもっとこうお兄ちゃんの弱みを見つけられそうなのを探そうと思っていたんだけど……ベッドの下を探すのもめんどくさくなった」
「勝手に兄の弱みを探すな」
「それにしてもお兄ちゃん」
何故か知らないけれど、哀れみを向けられた。
「お兄ちゃん――友達いないの?」
「は? お兄ちゃん、友達沢山だぞ」
携帯の連絡先に何件入っていると思っているのだ。
「だってほら」
アルバムを此方へ広げて向けてきた。そこには、京都旅行をしたときの写真が沢山写っていた。他にもページを捲ってくる。カラオケをしたときの写真とか、藍色の家で鍋パをしたときのとか、初詣に行った時のとか、楽しい思い出が沢山出てくる。
「めちゃくちゃ充実した生活を送っているアルバムだろ、何処がおかしい」
「いやいや。みずゆきさんと藍色さんしかいないじゃん」
「あー」
うん。まあそれはそう。
「いやだって、別にゼミの飲み会とかで写真撮る必要ないじゃん、いや何枚かはとっているけどプリントアウトするほどでもないし……データであれば十分でしょ」
「うわー」
「人に見せるならともかく、見せないし」
「うん。わかった」
ぱたんとアルバムを閉じた和歌は何故か上機嫌だった。お兄ちゃんのアルバムみてご機嫌になる弟っているっけ?
「お兄ちゃん。聞いてくれる?」
「え、断る」
「オレね。ののかのことが大好きで、大好きな、ののかと恋人同士になれて幸せなんだ」
「うん。知っているが、何? お兄ちゃんにのろけをきかせたいわけ?」
「そうだよ。だって、オレはお兄ちゃんと違って、好きな人と付き合えているもん」
勝ち誇った顔をしたので、ああ。なるほどと思った。
「お前、馬鹿だな」
「お兄ちゃんが馬鹿なんじゃないかな。で、さっきのピンポンは藍色さんだよね?」
「そうだよ。藍色に聞いてきた。ののかちゃんに興味は一ミリもないって」
「あの魅力的なののかに何も感じないのはそれはそれで腹立つけど」
「素直に喜べ」
「わかったよ。嘘じゃない、よね?」
「嘘ついて俺に得があるなら、つくかもね」
「じゃあ、本当か。うん、とりあえず、良かった」
和歌はアルバムをベッドの上に置いてから立ち上がり、お茶ご馳走様でした、といって帰っていった。
愚痴を聞けて、あと藍色の真意を知れて満足してくれたらいい。
これ以上お兄ちゃんに問題を持ち込まないでほしいから、今後は和歌とののかちゃん同士で話し合ってください。




