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アマービリタ  作者: しや
16/30

誓いましょう。愛していると。

 盗聴器疑惑を藍色へ内密にメールすると、すぐさま藍色は俺の部屋へ来てくれた。みずに話を聞かれるわけにはいかない。

 藍色に捜索してもらった結果は、最悪な想像通りで盗聴されていた。

 盗聴器の正体はボールペンだった。

 記憶を手繰り寄せれば、確かに鞄の中にボールペンが転がっていて、筆箱に仕舞い忘れたかと思ったら、筆箱には既に同じものが入っていて、首を傾げたけれど、いつも愛用するやつだしどこにでもある量販品なので特に気に留めなかった気がする。

 盗聴器が仕掛けられているなんて疑うわけがない。俺はただの大学生であって有名人ではない。

 問題のボールペンは、藍色がすぐさま真っ二つに素手で折って――怖いよ――水に浸した。今は洗面所で洗面器の中で漂っている。

 部屋の中にも、仕掛けられていないかどうか藍色は探してくれた。

 詩を部屋に入れたことはないが、盗聴器を仕掛ける女だ。不法侵入していても不思議ではない。

 だが、幸いなことに盗聴器も監視カメラも発見できなかった。部屋への侵入も、玄関のドアノブにはピッキングした痕跡もなく、合鍵が作られていない限りは大丈夫だと藍色がいってくれて安心した。不本意だが、こういう時は心強い。

 一通りの捜索が終わってから、藍色はいつからだと真剣な瞳で尋ねてきた。


「いや、わからない……。あれ? ボールペン二個あるなーって思った記憶はあるけど、いつからなんて……覚えていない」


 藍色に睨まれたので、思わず座ったままあとずさりをした。向かい合った状態だと、藍色の表情がよく見えてしまう。

 最近、この男は殺人鬼であると認識させられること多すぎじゃないかな。


「わからないならいい」


 藍色が立ち上がろうとしたので、思わず袖をつかんだ。片膝をついた不格好なまま縋るような形になってしまったが、仕方ない。良くない予感がする。


「何だ? 色葉」

「……藍色。どこへ行く?」

「お前のストーカーを殺しに行くだけだ」

「それはやめて」

「なんでだ?」


 怪訝な顔をして藍色は尋ねてくる。俺が止める理由が藍色にはわかっていない。

 藍色にとって命とは軽いものなのだ。藍色が殺せなかったみずや綾瀬さんと、詩は違う。


「殺されて欲しくない」

「色葉。ストーカーもいなくなって一石二鳥だろ」


 命を一石二鳥なんて言葉で纏めないでほしい。


「それは違う。……知り合いがいなくなるのは、目覚めが悪いから嫌だ」

「私のことを知られている可能性がある以上、放置しておくわけにはいかない。色葉だってわかっているだろう、それくらい」

「わかってる! ……でも、知らない可能性だってある。現に、彼女は警察へ通報していない」

「通報すれば、盗聴を仕掛けていたことが知られるから、黙っているという可能性だってある。その場合、天秤が傾いたときには警察へ駆け込むぞ。その女はいつまでお前を愛している」

「不確定な状況で殺して、本当に詩は何も知らなかったら!」

「お前のストーカーがいなくなるだけだ。何をそんなに苦しそうな顔をする必要がある。お前にとってその女は何だ? 好意を受け入れたわけではない。盗聴されて私生活を暴かれて、迷惑を被っているだけだ。目覚めが悪いなんて安心しろ。三日もすれば忘れるさ」


 三日の言葉には、俺に対する気遣いがやや見られた。

 だが、それだけだ、知っている。藍色は殺人鬼である以前に――人を殺すのが趣味だった男だ。

 命を奪ことを、好きに思いこそすれ忌避する人物ではない。

 詩は、大学で知り合っただけの相手。ストーカー行為に辟易はしたし、好きだという詩を煩わしく思っていた。

 優等生としての仮面を強制的に被り続けながら、好意を振り、けれど無下にできない状況はストレスがたまる一方だった。藍色にだって愚痴を言った。

 俺は、対岸の火事に心を痛めるような優しさなんて持ち合わせていない。

 どこか見知らぬ場所で、誰かが殺されていたところで、俺には関係ない。藍色が殺人鬼であると知ったとき、俺が思った感情も感想も、変わらない。

 でも、言葉を交わした人間がこの世からいなくなるなんて――そんなの。俺が、嫌だ。後味が悪い。悪夢にうなされるのは、困る。


「なら、せめて俺が尋ねる。詩に」

「…………」

「決定的にアウトな会話をしたのは、覚えている限りでは京都旅行の時だ。その時は筆箱を持っていないから、知られていない。なら、何も知らない可能性はある」

「甘いな。で、それで知っていたら?」


 藍色は胡坐をかいて座り直してから、冷徹な瞳で俺を見据える。


「知っていたら色葉は、()()()()()()()()()()、と言えるのか」

「っ――それは」

「言えないだろ。色葉。京都の時、私が人殺しを見せるのを断ったように。お前がどうぞ殺してくださいというのならば、いいよ。私は殺さないで色葉に託そう。けど、色葉」


 藍色の言葉は、心の嫌な部分を的確に抉ってくる。


「それはお前が明確に関与して、女の生殺与奪を握ることになる。そして、女が知っていたことを知ったら、殺されたくないからといって隠したりするなよ。選べ。どちらがいい。私が勝手に殺してくるのか、色葉が命運を決めるのか」


 どう考えたって楽なのは前者だ。知らない可能性を無視して藍色が勝手にやったことにしればいい。藍色の言う通り、今は辛くても、きっと三日で悪夢は終わる。

 俺は他人の命を左右するなんてことできないし、したくない。そんなものには関与したくない。

 藍色が俺のあずかり知らぬ言葉も交わしたことがない、名前も知らない、姿も知らない人間を趣味や仕事で殺すのとはわけが違う。命という観点では同じなのに。そこに俺の感情があるか、ないかだけは明確に違う。苦しい。唾を飲み込むのがつらい。


「詩が……詩が藍色のことを知っても、何も、言わなければいいだろ……そうしたら」

「保証がない。口約束程度では私は信頼しないぞ。私のことを知っていて見て見ぬふりをしているのが、色葉を好きという一点のみの場合、それはあまりにも不確かだ。恋に溺れて盲目になっているだけで、いずれ色葉が好きになるに値しない人間だと目が覚める。それとも、色葉。詩と付き合うか? 恋人になれば、色葉が困るからと私のことを容認するかもな」

「詩とは付き合えない。俺は詩が好きじゃない」

「そこははっきりとした返答だな。まあ、そこで付き合うと断言されても困るところだが。そもそも色葉」


 藍色が区切った言葉が、その名と同じ色が見る瞳から逃げたい気持ちになったのを、彼は許してくれない。


「私がいなくなって困るのは、お前だろ」

「…………」

「私がいなくなれば、みずが困る。それは、お前の望まないところだ。だから、お前は私が人を殺している人間だと知っても、通報もしなければ逃げもせず、今なおこうして私と話している。ならば、色葉。何故、迷う。色葉にとって大事なのは、詩の命か? みずか?」

「みずに決まっているだろ」


 藍色のお蔭で、俺はこの場における最適解を見つけられた。


「なら、困ることは何一つない」


 満足したように藍色が笑ったので、俺は首を横に振った。


「そうだね。俺は俺の判断で命とか決めたくないけど」


 そもそも勝手に詩の命をどうするか決めているところで、傲慢だ。この先に続ける言葉も傲慢で、どうしようもない最低だ。だが、続ける。


「崖に、詩とみずがいて、どちらかしか救えないというのならば、手を伸ばすのはみずだ。トロッコ問題で一人にいるのがみずなら、五人を殺す方を選ぶ。今回だってそうする。でも、本当に選ばなきゃいけないような場面じゃない」


 本当に、どうしようもない状況ならば俺はそれを選ぶ。みずは、初めての親友――だ。

 でも、そうしなくてもいい可能性が今はある。


「みずは詩が俺のことを好きなことを知っている。詩は、みずと一緒にお昼を食べたこともある。みずにとって詩は、大学で会話ができる同級生の一人だ。そんな詩が殺されたら? よしんば行方不明だったとして――みずは、傷つかないとでも思うのか」


 そう、みずは既に詩のことを良く知っているのだ。みずは、俺とは違う。優しい。いい子だ。藍色も、俺が言いたいことを、一から百まで読み取った。

 みずが傷つくことを藍色は可能な限りしたくない。みずの親友である俺を、藍色が嫌っていても生かしているように。藍色は一流(にのまえみずゆき)に弱い。


「はぁ……。わかった。色葉に任せる。だが、詩が警察へ駆け込むつもりならば、その時点で私はどうあれ殺す」

「うん」


 それがすり合わせの終着点だ。

 詩をおもんばかるわけではないし、最終的に俺にとって大事なのは、自分であるしみずである。

 だから願った。

 詩が、何も知らないことを。

 詩が藍色のことをせいぜいちょっと職業大丈夫なのかな? 程度の認識であることを。お嬢様の常識が外れていることを。

 祈った。


「詩に尋ねて、何か少しでも違和感があったら私に伝えろ。わかったな」

「うん……ごめん。藍色、手間をかける」

「別に気にしてはいない。私も色葉のストーカーがここまで本当にストーカーだとは思い当たらなかった」

「そもそも藍色が殺人鬼なのがいけない。普通のサラリーマンなら気にすることなんてなかったんだけど」

「調子に乗るな。私が盗聴器を発見できなきゃ、お前はますます生活を詩に知られていただけだぞ」


 言い返せないのがつらい。知らない間に生活を知られているのは――気味が悪い。

 諦めないストーカーの心には乾杯だ。強かすぎる。


 詩と会うのに日を跨ぎたくなかった。

 俺の心が揺らいでも困るし、盗聴器を発見されたからという理由で彼女が何かをしでかす前に動く必要がある。嫌なことは後回しにしたい。何なら逃げ出したい。でも、そうしたら詩が死ぬ。嫌いだけど、死んでほしくはない。

 その日のうちに詩を呼び出した。連絡先は優等生パワーで何とかした。もつものは大学の友人である。

 一目を忍んだ会話がしたい。と、告げると詩が此方で場所を用意するといってきた。詩はお嬢様だから、そこは任せた。流石に俺の部屋には入れたくない。


「私は帰る。付いていった方が良ければ、ついていくが?」

「藍色の手を煩わせることじゃない」



 詩が指定してきた場所は見知らぬ住所だった。検索すると、ホテルの名前が出てきた把握した。いやちょっと普通にお高いホテルなんだけど。確かに個室であれば人目につかないけど、普通にカラオケじゃ駄目だったのかな。カラオケ行かないか。お嬢様だし。

 ホテルのフロントで名前を出すと、部屋番号を教えてもらった。エレベーターのボタンを押し、到着したフロアを歩いて、指定された番号へたどり着く。

 ホテルの一室。洋室は広々としたリビングといった形式だった。真ん中に円状のテーブルが置かれ、向かい合わせに一人掛けソファーが置いてある。都会の景色を一望できる窓側に、詩は上品に座っていた。桜色の髪をおさげにして、白のケープを羽織っている。整った顔立ちは、美少女と美女の間にある。どうぞ、と歓待され、座るように促される。

 円状のテーブルには、紅茶とケーキがおかれていた。


「今日も色葉にあえて嬉しいですわ」

「……詩。君は、何処まで知っている」


 ソファーへ座ると、柔らかく包み込まれた。

 単刀直入に尋ねながら、ポケットから藍色が真っ二つに折った盗聴器のボールペンを取り出しテーブルへ乱雑に置く。詩は顔色一つ変えなかった。


「色葉が毎週水曜日に見るテレビは何か、とかは知っていますわね。ええ、アラームの音から就寝時間まで。大抵のことは知っていますわ」

「……俺が大学では優等生のふりをしているだけだと知っただろ。幻滅するには十分だ。なのに何故、まだ好きだと言える」


 みず以外の大学の同級生に、本性を曝す日が来るとは思わなかった。仮面をかぶっているのは息苦しかったけれど、ストーカー相手に対して素を見せるのは何も心地よくなんてなかった。嬉しさもない。


「本当の色葉も好きだからですわ。そうでなければ既に盗聴はやめて、付け回したりもしません」

「俺のどこがいいんだ。君が聴いている場面でいったかどうかなんて、みずじゃないから記憶にないけれど、俺は詩の悪口だって言っている」


 みずは一度見聞きしたことをほぼ忘れないが、俺は違う。いつどこで何をしたかなんて余程印象深くなければ忘れる。


「だから、なんですの?」

「何って……」

「言ったはずですわよ。わたくしは、どんな色葉でも好きと」


 ああ――本当に、歪んでいるほどに詩からは俺への好意しか伝わってこない。

 好きな人に嫌われていようが好かれていようが、俺が好きだから好きと言える、その凛とした姿勢は、腹の中に黒い靄ができるほどに、妬ましい。羨ましい。

 真正面から向かい合って、詩に勝てる気がしなかった。

 この好意は崩せないと敗北すら抱きそうになる。気持ちを落ち着けるために、詩が用意した紅茶を飲んだ。

 お嬢様の用意した、俺なら買わないだろう高級な茶葉の味は――よくわからなかった。


「色葉がわたくしに好意を持たなくとも、性格に難があっても、色葉が別の誰かを見ていても、どんな人と交流があったとしても。わたくしは、全てを含めて色葉が好きですわ」


 藍色が殺人鬼だと知っている可能性が高い。嘆息する。

 藍色が真っ当な人間でないと知っても、詩は色葉が交流している人間だからで、他の要素を全て飲み込んでしまえる。

 その感性は、迷いのなさは――詩が、化け物に見えてしまう。

 藍色のような純粋な暴力としての怖さではない。得体のしれない愛を、前にしている。

 頬が引きつり、笑みが崩れる。臆面なく、こんな風に好きだと言えるのは――相手の負の面すら暴き立てても、純粋に好きを貫けるなんて、おかしい。


「色葉。わたくしは色葉が好きですわ」

「何度でもいうが、俺は、詩が好きじゃない。俺を盗聴するような人間を、ストーカーするような人を好きになると思っているのか」


 語気を強めて言うが、聞いているのかもわからないような涼しい表情を崩さない。詩は白魚のような手で、紅茶を手に取り口づけするように一口飲んだ。


「世の中どう転がるかはわかりませんよ。わたくし、色葉といられたらそれだけで幸せですから。仮に、色葉がわたくしを見てくれていなくてもいいですわよ。わたくし、誰かの変わりとかでも構いませんから」


 慈愛の聖母のような声色で、臆面もなく、はっきりと言えるその言葉は歪んでいる。


「怖いよ。詩」

「あら。嬉しいですわ。わたくしに色葉が向けてくれる感情がある、ということだけで」

「……俺が詩にストーカーされている証拠は此処にある。俺が警察にいったらどうするつもりなの」

「――大丈夫ですわよ。色葉はそんなことをしませんから」


 ニッコリとほほ笑まれてその話題を広げるのはやめた。墓穴を掘るだけだ。

 盗聴器は手元にあるが、これが詩のものであると証明できるかは謎だ。脅迫の材料には使えると思ったが、意味をなさない。

 尤も、公的機関に駆け込むわけにはいかないのだけれど。藍色という爆弾があるのだ。詩もその事実を認識しているからこそ、凛とした態度を崩さないでいられるのかまでは判然としない。

 藍色が殺人鬼であると知っているのならば――詩は殺されるかもしれないのだ。

 実際、藍色は詩を殺そうとしていた。周りを身辺警護で囲んだところで藍色はもろともせずに殺してしまうだろう。

 だから、余計にわからなくなる。

 藍色を殺人鬼だと知っているのか知っていないのか。かといって万が一の可能性を考えれば決定な言葉は出せない。違和感があれば藍色に教えろと言われている。決定打にはしたくない。

 こうして一歩も引かない詩を前にしていると、本当に俺は何一つ悪くない、藍色のせいでややこしい事態になったとののしりたくなる。

 大体は間違っていないとは思うが、藍色がいないとみずが困る。そして、藍色に詩を殺して欲しくはない。

 ストーカーをされて盗聴をされて、ひたすらに迷惑でしかないのに、死んでほしいとまでの殺意は抱いていない。仮に殺意を抱いていても実際に殺してしまえる程、俺は強くない。


「安心してください色葉。わたくしはどんな色葉でも好きです。例え色葉がどんなことをしたとしても。この愛は変わらないと誓いましょう」


 心を読んだように、詩は言う。


「無償の愛程、裏がないか疑いたくなるよ。どうして? どうして詩は俺のことが好きなの? 優等生なだけの色葉なら、初対面にも等しい人から告白されることもあったから、不思議じゃない。でも、俺を知ってもなお、愛を誓えるのは何故だ」


 理解できない。詩は、品のよく微笑んだ。その儚さをはらんだ微笑みは、みずを彷彿させるから、好きじゃない。


「愛しているからですわ。恋は盲目、それで結構じゃありませんか」

「良くないよ」

「わたくしは佐京色葉が好きなのです。きっかけは、色葉のおっしゃる通り、優等生の佐京色葉に一目ぼれしたからでしょうね。色葉の容姿を好きましたし、誰にでも優しくて温厚で、頭のいい色葉に夢を見ました。色葉が親友に投げかける屈託のない笑顔を、わたくしにも欲しいと思いました。でも、それはあくまでも色葉を好きになったきっかけにすぎません」


 詩は真っすぐに俺を見て、愛を語る。甘くて、蕩けるような、砂糖を煮詰めた言葉。


「わたくしは色葉と恋人になることを望んでいました。告白を受け入れてもらえるのでは? と夢を見ていました。結果としてはふられてしまいましたけれど……でも、わたくしは色葉を諦めきれなかった。自然とあなたを目で追いかけるようになりました。色葉の笑顔が欲しいと思いました。わたくしに、向けられて欲しいと切望しました。次第に思いは膨れ上がり、色葉の全てを知りたいと思ったのです。色葉は何が好きで、何が嫌いで、朝は何時に起きて、夜は何時に寝て、どんな本を読んで、どんな家族と暮らしているのか、友人と話している時はどんな会話をするのか、どんな人が好きなのか――何もかもを、余すところなく知りたかったのです。だから、盗聴しました」


 藍色に隣にいてもらえばよかったかな、と後悔した。


「色葉の色々な面を知れました。色葉が本当は優等生ではないことも。あまり性格がよくなさそうなことも。本当は、そこで幻滅出来たらよかったのでしょうね。色葉は王子様ではないと現実を見て、折り合いをつけるべきだったのでしょう。でも――手遅れでした。わたくしは色葉の本当を知っても、それでもなお色葉が好きだったのですよ。あなたのどんな一面を見ても、わたくしは愛していると揺らぎなく言えます。例えば、今のように盗聴の事実が知られて侮蔑の目で見られたとしても、色葉が好きなのですよ」


 ですから、といって詩は立ち上がって俺の髪の毛に手を触れた。引きつった俺の顔すら、詩は頬を染めてみている。


「わたくしは、色葉を諦めませんわ。色葉がわたくしを嫌っていても、わたくしは色葉が好きです」

「……君は、俺にこの場で殴られる、とか思ったりはしないの?」


 詩の雰囲気にのまれてしまいたくなくて、苦し紛れにいった。

 詩が実は護身術にたけている、なんてことがない限り、俺は詩を殴ることはできる――できる、のだ。腕力的には。華奢なお嬢様と比べたら、流石に差があるのは明白である。


「色葉は殴りませんよ」

「どうしてそう言える」

「色葉は、女子供に手を上げるような性格じゃないからですわ。それに、わかっているのでしょう色葉。わたくしを殴ったところで、わたくしの認識を覆せないと」

「俺が君を殺すつもりでここに来たのかもしれないよ?」

「御冗談を。強がったところで無駄ですわ。色葉にはできません。根拠は、色葉を盗聴していたから、ですわ」


 詩の髪を触る手が、俺の頬へと変わった。くすぐったくて、撫でるような動作。座っている俺は自然と詩を見上げる形になる。俺の恐怖とは反対に、彼女は、いつも通りの恋をした瞳をしている。


「……君は、俺を諦めるつもりはないし、俺のことが好きだから、盗聴して得た事実を風潮するつもりはないって認識でいいんだね?」


 会話を、打ち切りたいと心底思った。


「ええ。事実ですわ。揺らぎません。誓いましょう。不安でしたら一筆書きますわよ」

「いらないよ。話は終わりだ。でも盗聴はもうやめろよ。俺は油断しない。二度目の盗聴が成功するとは思わないことだ」


 これは、はったりでありはったりではない。警戒した藍色は、定期的に調べるからだ。俺は無理です。

 藍色曰く、あのボールペンにしか見えない盗聴器は、特注で作らせた高級品とのことだった。性能もよく筆箱の中からでも音をかなりの割合で拾えていただろうと。一見するとボールペンにしか見えないそれは、俺が盗聴の可能性に気づいたところで、本来ならばばれないような代物だった。でも、藍色がいたから気づけた。ストーカーのお嬢様と、殺人鬼じゃ、流石にお嬢様の分が悪い。


「ええ。わかりましたわ。盗聴はやめますわ。でも、わたくしが色葉を好きなことだけはやめませんから」

「うん、いいよ。それで」


 よくないけれども。これ以上は危ない綱渡りだし、この空間から俺は一秒でも早く抜け出したかった。

 詩が俺の頬から手を離し、優美にお辞儀をした。俺も席を立ちあがり、背を向けて歩き出す。ホテルの景観を楽しむことなく、あとにした。

 ホテルを出たところで、疲労がどっと押し寄せてきた。藍色に事の結果を報告しなければいけない。藍色にも詩と同じように密会できる場所をとってもらうのがいいだろうか、いや普通に俺の家でいいや。藍色なら何か適当に、家を出てくるだろう。酒を買うとか。

 まあ、まだ俺も藍色もみずの禁酒令が解かれていないので酒飲んでいないのだけど。偉い。

 ベッドで横たわりながら部屋で藍色を待っていると、インターホンが鳴った。

 俺は藍色だと思い込んで確認もせずに開けると、そこには弟の和歌が不機嫌な顔を隠さないで立っていた。


「は? なんでお前がいるの」

「ののかが、藍色さんのことを凄く気にしているから。オレはののかが藍色さんに興味を持ってほしくない。だからお兄ちゃんのところへ来たんだよ」


 火だねを増やさないでほしい。

 お兄ちゃんはそろそろキャパオーバーするぞ。

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