ゆくりなくも
綾瀬も泊っていけばいい、という藍色の言葉に明日も仕事だからと綾瀬さんは返して、十時を過ぎた頃合いに帰宅をしていった。
「なんのためにあいつはきたんだ」
遊びたかっただけだと思う。
風呂も済ませて、パジャマは藍色の、上下黒のスウェットを借りた。
藍色もシャワーに入ったのは驚いた。入ったふりでもすればいいのに髪の毛が濡れていた。怪我していること忘れているのかな。
リビングでくつろぐ。特に興味がない深夜番組をだらだらとみるのは、時間を贅沢に使っていていいな。
「そうだ。今度綾瀬さんが遊びにきたときにでも麻雀とかどう?」
「卓は持っていないが」
「用意しておいてよ、折角四人でできるんだし」
「僕、ルールわからないけど」
「大丈夫。俺が教えるから」
付き合いで打つことがあるだけだから、別に強いわけではないけど説明くらいはできる。
みずは記憶力がいいから、牌も役もすぐに覚えるだろう。
困るのは見た目からして滅茶苦茶強そうな藍色がいることだけど。俺からあがったりはしてほしくないな。
「じゃあ、やってみたいな。麻雀」
みずが案外乗り気だったのでこっちも楽しくなる。何となくだけどみずはタンヤオが似合う。
「別に麻雀卓を用意するのは構わないが……」
藍色は言葉を濁した。
「何? どうせ藍色は強いんでしょ」
「偏見に塗れているな。私より綾瀬の方が強いぞ」
「まじですか」
真面目一辺倒で賭け事には縁のなさそうな顔をしているのに。
綾瀬さんの温厚篤実な顔が思い浮かぶ。やっぱり麻雀する顔じゃない。
「財布すっからかんにされるぞ」
「いや、現金は賭けないよ」
賭けをやった場合、みずの財布はイコール藍色の財布なので、実質俺の財布だけがダメージを受けることになる。酒に酔ったってごめんだ。
「綾瀬は、大学時代、金欠の時に麻雀で少し稼いでいたぞ」
「なんで突然、真面目な綾瀬さんに濃いイメージを付着させるの!?」
「お前が麻雀をやろうといいだしたんだろ」
いやそうだけど。麻雀ってお金賭けなくてもできるからね!?
賭博はしない。俺の財布は俺が守る。
藍色のノートパソコンを借りて、ネットでできる麻雀で軽くみずに麻雀を教えた。
CPU相手にみずは段々麻雀の知識を覚えていった。
ネットだと、得点を自動で計算してくれるのがありがたい。リーチできるか不安な時も、リーチと表示してくれるし。フリテンも、ロンもツモも教えてくれる。
全体像を把握しながらやるのには丁度いいだろう。飲み込みの早いみずは段々と打てるようになってきた。
「せっかくだし三麻やろうよ。ネットでできるし」
「三麻ってなに? 麻雀って四人でやるやつじゃないの?」
「三人でもできるルールがあるんだ。説明するよ」
萬子の二から八までがなくて、北ドラがあるなど、簡単にルールの違いを説明する。
藍色はやるのかよといった顔をしていたが、胡坐をかいて何でやるんだと促してきたので満更でもないようだ。
今ならアプリでできるし、ノートパソコンに限定しなくても、タブレットやスマホでできるから端末は問題ない。スマホだと操作しにくいけど。
ネットで探して、アプリをダウンロードしてチュートリアルをスキップで飛ばしてから、友達対戦を選んだ。
「嘘だろ!? 負けたんだけど!?」
そして俺が負けた。嘘でしょ。なんで。
「色葉となら賭け麻雀やってもいいぞ」
「いろに勝ったよ!」
どや顔の藍色と、楽しそうに笑うみず。いや俺は強くはないけど、なんで初心者のみずに負けるの!?
ビギナーズラックって話じゃないよ! 三連続で最下位なんだけど。
なんで。親の時に役満やって一発逆転しようと思ったのに。
「ゲームでいろが弱いって新鮮だよね」
「俺は普通! 嘘でしょねえ」
「あははっ」
みずが楽しそうに腹を抱えて笑った。もしかして、みずに悪影響を及ぼしてしまったか。
「さて、そろそろ日付が変わってるし寝るぞ」
「ちょ。藍色待って。俺が負けたまま終わるの嫌なんだけど、せめてもう一回!」
「次で終わる保証はないから駄目だ。今度は綾瀬を交えて四人でやればいいだろ」
「藍色より強いんでしょ!?」
駄々をこねたけど駄目だった。
藍色のベッドを仕返しに奪おうかと思ったけど、痛痒を感じてないかもしれないがそれでも怪我人のベッドを奪うものではないという常識が働いたので、今日もリビングのソファーで寝ることにした。
そろそろこのソファーは俺のベッドな気がするな。佐京ベッドと名付けよう。
「僕が変わろうか? 今日ソファーでもいいよ」
「ん? 気持ちだけ受け取っておく」
「遠慮しなくていいのに。今日はとっても快眠できそう」
「みずの遠慮ない言葉が俺を傷つける。いやまじ悔しいんですけど? なんで俺負けたの?」
「次やるときにも勝てるように、僕もっと強くなっておくから」
「やめておいてほしいな、それは」
まじで負け続けてしまう。飛ぶよ。
翌日。
朝食をゆったり頂いて十一時くらいに藍色の家からお暇した。
もっとのんびりと休日を謳歌していたかったが、レポート課題が出ている。みずと被ってない講義なので、一人でやるしかない。なるべく同じ講義を選んでいるけど、興味のある分野や、一年、二年次の必修の関係で全て同じではない。全部みずと同じ講義だったら良かったんだけど。
エントランスを抜けて外に出ると風が吹いた。三段だけある階段を降りる。
清々しい天気だった――のに、寒気がした。
何故ならば、そこに詩がいたからだ。
「あら、色葉ではありませんか。ごきげんよう」
桜色の髪は、降ろされており休日を謳歌しているお嬢様のような恰好――まるで少女小説の表紙のような雰囲気――をしていた。
「……おはよう。こんなところで会うなんて偶然だね」
「ええ。そうですわね。散歩をしていたら色葉に会えるなんて、今日の星座占いは一位だったかもしれませんわね」
だとしたら俺は最下位だ。二日続けて。占い師よバランスを考えてくれ。
頬を染めながら詩は陽気に答える姿が、無垢で鳥肌が立つ。
お嬢様の詩に散歩が趣味なんて噂耳にしたことはない。
いや日課だったとしても、俺と偶然出会うわけがない。ここは、藍色の自宅前なのだ。駅前とかではないし、スーパーの食品売り場ですらない。
「――散歩なんて、嘘なんじゃないの」
思わず棘のついた言葉が出てきてしまった。優等生であれば相手の言葉を疑うなんて真似はしない。しまったとは思うものの、一度出た言葉は取り消しがきかない。
「そう思われても仕方ありませんわね、ふふ」
詩は嬉々としながら、空を使うように答える。
俺の言葉に動揺した素振りがないのは、まるで本性を知っていたかのようで怖い。
心音が、早くなる。得体が、知れない。
詩は軽やかな足取りで近づいてきて、俺に手を伸ばした。触れるか、触れないかの狭間で、彼女は柔らかな声で言った。
「わたくし――色葉が好きですわ。それは、どんな色葉でもです」
「詩、君は……」
「わたくしは、色葉が何をしたって、色葉の味方ですわよ。ずっと、ずっと、色葉だけの味方ですわ」
きめ細やかな指先が、俺に触れようとして、怖くて手で振り払った。優等生、らしくない。
「……ごめんね。いきなりでびっくりしちゃった」
「いいえ。大丈夫ですわ」
人形のように整った顔立ちが、相好を崩しているのは、底が知れない不気味さがあった。
「それじゃあ、俺はこれから帰るから。また今度学校で」
なのに、それでも優等生の皮を脱げなかった。本性をさらけ出して、言葉で傷つければいいのに無様な程できない。でも、よく回る舌で彼女を罵倒したところで、詩は笑顔を崩さなさそうでひたすら怖い。
逃げるように、その場を立ち去った。詩は追いかけてこなかった。
背筋を伸ばして、恍惚と俺の背を見ているのだろうと思ったら寒気がする。
自宅のアパートに戻ってから、急いで部屋に閉じこもる。チェーンもかけてから、フローリングに鞄をひっくり返した。
呼吸が荒い。喉が渇いた。でもその前に震える手で鞄を調べなければならない。
「…………」
詩が、あの場にいたのは偶然じゃない。そんな偶然あってたまるか。
俺の行動は見張られていた。ストーカーは大学内の行動だけにとどまっていなかった。頬が引きつって歪な笑顔が出来た。
俺とみずが一緒に帰宅する様を、尾行して、俺が外に出てくるまでずっと見張っていたのか。
違う。
張り込みをするには、肌に艶があったし目の下に隈もなかった。疲弊した様子もなかった。彼女の手持ちは、一晩を明かすには心もとないハンドポーチしかなかった。
とはいえ、あくまで外見的判断だ。俺もみずも尾行に気づけないから、可能性として否定はできなかった――普段ならば。
今回は藍色によって否定できる。あの日、藍色は仕事をするのに外出して怪我をした。
みずにバレないように帰宅がしたくて俺に連絡を取り、みずと綾瀬さんが食料の買い出しに行ったタイミングで戻ってきた。どこかで動向を見張っていた。
殺人鬼である藍色が、不審者の存在に気づかないわけがない。
詩のことは藍色に伝えてある。写真は見せたことがないが、外見は言った記憶がある。あのお嬢様然とした、詩が、ストーカーだと気づくだろうし、仮に気づかなかったとしても藍色は職業柄、警戒をする。
それがなかったということは、GPSや盗聴器が俺の手持ちに仕込まれている可能性が高い。
「いや、もうホント勘弁してほしい……」
無言でやろうと思ったのに、思わず声が零れる。神経が磨り減るので、今はやりの音楽を流した。テンポが速い音楽で感情を落ち着ける。
いつ、どこで詩は仕掛けた。
チャンスならいくらでもあった。俺が好きだと、諦めないと告白してきたとき、詩は俺に触れそうな程に距離を詰めてきた。大学で一緒に昼食を食べたときは隣にいた。
それ以外にも、詩は俺に接触を図ってきたし、俺は詩のストーカーに辟易していたけれども、警戒はしていなかったから、いくらでも隙はあった。
毎日、着替える服に仕込むのは現実的じゃない。コートだって気温によって変わる。却下だ。
俺の部屋に盗聴器があったら、マンション内で遭遇は出来ない。藍色の家に泊まるのはいつだって突発的だ。
そうなると、しょっちゅう変えたりせず、持ち歩く可能性が高いのは鞄だ。だから真っ先に床にぶちまけて調べることにしたのだ。
土日や遊びに出かけるときは違う鞄も使うが、大学に通うときは教科書も入れるし、コロコロ鞄を変えて忘れ物があったら困るから、基本的には同じものを使う。スマホや財布やパスケースも常に持ち歩いている。
「わかんないよ。わかるかよ」
机に伏した。怪しいものとか見つけられない。
俺にその手の知識あるわけないだろ。錯乱した荷物を片付ける気にもなれなかった。教科書邪魔だ。
詩なら凄い小型の高性能のとか使ってそうだ。GPSか盗聴器なら後者が濃厚だ。
詩の発言を聞く限り、俺の本性を知っている。
気持ちが悪い。藍色に詩の愚痴とか言ったりしているのに、それでも好きってどんな根性しているんだ。見上げたものだよ。恋は盲目とは言うけれど、いくら何でも盲目すぎる。
俺では盗聴器の類は発見できない。となると、藍色を頼るしかないのか―。
……藍色が殺人鬼だってばれている可能性ってどれくらいだ。
詩が盗聴器(仮)を仕掛けたのは明確な時期は不明だが、俺に再度告白をしてきたときから昨日までと考えると期間長すぎて、みずとの会話すら全部覚えていないのに、藍色と何を話したかなんて覚えているわけがない。
基本、「殺人鬼」などの類の単語は滅多に言わないけど、藍色が堅気の人間じゃない気配は察せそうな会話はしている。
一番アウトなのは京都旅行の時だが、その時は鞄が違ったからスマホとか財布、パスケース類に仕込まれていない限りは平気だ。
詩は藍色が殺人鬼だと知らない。知っていたら通報しないメリットはないはずだ――と考えるのは楽観的すぎるか。
詩は俺がどんな色葉でも味方だといった。
俺の味方だから、事実を知っても何もしていない可能性もある。
「あーくそ、どうしよ」
いっそ、何も気づかない方が良かった。
この推測が全て外れで、本当に偶然であったら、俺は嬉しかったんだけどな。
「色葉、いつから盗聴されていた」
後日、藍色に諦めて相談した結果。望みは打ち砕かれた。




