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ホワイトデーにあやかって

前作から少し間が空いたのでキャラぶれが酷い気がしますが、なんとなく気に入っています。

楽しんで頂けると幸いです。


 僕は校門で彼女を待っていた。

 暦の上では春と言えども3月の夕方は大変冷え込んだ。また緊張で体が震えている事も、体感的な寒さ増長させているのだろう。

 僕は白い息で手を温めながら、頭の中では外郎売を諳んじていた。意識的に意識を別の方向に向けさせ、これからの事を考えないようにだ。下手にシミュレーションしてしまうと、嫌な想像をしていざという時に怖気付くなんとも情けない自信があったからだ。

 

 部活終了時間である6時を過ぎると、沢山の生徒が学校を後にしていった。この学校は校則で部活参加を強制しており、従ってこの時間帯は生徒の帰宅ラッシュとなる。三年生は卒業した為、生徒数は単純に三分の一程減ったのだが、それでもこんなに生徒が居たのかと、僕はその群勢の中から彼女を探しながらそんなことを思っていた。


 彼女は中々姿を現さなかった。

 賑わっていた校門付近も気付いたら静かになっている。


 まだがまだかと焦る気持ちと、もう少し来てくれるなと祈る気持ちが同居した僕の心臓は今にも破れそうなほどバクバクと血を身体中に滾らせていた。もう何度外郎売りの長台詞を頭の中でリピートしたか分からない。


 6時40分を過ぎても彼女は来なかった。

 学校を出ようと思ったら、彼女の帰りの方向だとまず間違いなくここを通るはずなのだが。僕が見落としただけで、もう帰ってしまったのだろうか。


 昇降口に戻り下駄箱を確認してみると、彼女の靴はまだ残っていた。実は僕と彼女の靴を入れる場所は隣り合っており、その事は僕の密かな喜びだ。従って、確認ミスを犯しているという線はまずない。

 彼女がまだ学校にいる事は確実だった。


 僕はホッとしてその場にしゃがみこんだ。

 走って校門から戻ってきたので、思いの外息が乱れていた。


「向田くん。もう告ったんだよね」

「うん。部活後に香織呼んでたもん」

「一緒にコッチ来るって事はOKしたのかな?」

「じゃなぁい?」


 その場で息を整えていると、そんな会話が聞こえてきた。

 声が昇降口にやけに響いているのと、香織という意識せざるを得ない名前が出てきた事もあり、不躾と知りながらも否が応でも僕の耳はその会話に食いついた。

 どうやら僕等の下駄箱の向こう側で行われている会話らしい。


「だよね。告られた後一緒ってことはフツーそうだよね」


 彼女等の明るい声とは裏腹に僕の気分は次第に沈んでいく。


「からかいに行く?」

「えー、今は二人に甘〜いひと時を送らせてあげようよ」


 その後、黄色い声が響いたかと思うと、二人の女子生徒が小走りで昇降口を出て行った。彼女らが軽っているスポーツバッグに大きなバスケットボールのキーホルダーが揺れているのが何故か目に焼き付いた。


 その女子生徒たちの遠ざかっていく背中を、僕はしゃがみこんだまま、ただ呆然と見つめていた。


 彼女等の会話が頭の中でリフレインする。


 「向田くん」「香織」「OK」「告る」「一緒」「甘いひととき」


 それらの単語が悪い想像を掻き立てた。


 香織なんて名前、彼女以外にも腐るほどいる。だからあの香織だと決まった訳じゃない。それにあの女子生徒達の憶測であって、まだその香織って人と誰かが付き合ったかどうかなんて本当のところは分からない。

 必死に想像を否定しようとするが、それは否定と同じ数だけ嫌な想像を次々に生んでいる事の証左でもあった。


 僕は地面が思いの外近い事に気付いた。しゃがんでいるのだから当然なのだが、履いている靴が何時もより大きく見えるのは何処か不思議な感覚だった。

 毎日6限目が終わると掃除されているのだが、帰宅ラッシュのせいだろう。既に下駄箱周辺には砂が沢山落ちていた。僕の足元にも砂が散っている。それらを指先で触ってみると、見た目よりゴツゴツしていて、極めて小さくはあるが一つ一つの石の存在が感じられた。


 地面に一つ、二つと、小さな点が生まれた。

 触ってみるとそれは濡れており、指先に残っていた白い砂が少し固まった。


 それが僕の涙だと気付いた時、僕は失笑した。


 僕は昔から泣き虫である。

 水たまりを踏んで靴が濡れた事が嫌で泣いた。近所の公園のジャングルジムから落ちて泣いた。小学生の時、先生が本日の宿題を黒板に書いて連絡し、それを連絡帳に写していくのだが、箇条書きで4行目に突入した時、その多さに何故か涙が出てきた事もある。

 よく泣く事を彼女にからかわれたものだ。そしてその事が物凄く悔しくて僕は強がりな性格にもなった。一人称は俺に変わり、乱暴な言葉を使ってみた事も今となっては気恥ずかしい思い出だ。そしてそんな風に粋がるわりに、相変わらず泣き虫であった僕を彼女は余計に面白がり、そして腹の底から笑った。

 

 涙を流すのは一ヶ月ぶりだ。

 男子高校生がこんなに頻繁に涙を流すとは情けない限りである。こんな所を彼女に見られたら、また笑われかもしれない。ふと、彼女のあの頃の笑顔が頭によぎった。

 笑ってくれるといいなと、そんな情けない事を考えた自分が可笑しくて、また肩を震わせた。

 

 自分が泣いているのか、笑っているのか、最早境目が分からなかった。


「……そこ、どいてくれない?」


「へ?」


 不意に後ろから掛けられた言葉が、僕を現実に呼び戻した。

 振り返ると白い脚が目に飛び込んできて、そのまま視線を上にスライドさせると、困った様な顔を浮かべた女子生徒が僕を見下ろしていた。


 彼女だった。


「靴、取れないんだけど」


 彼女は僕を指差してそう言った。

 否、彼女は僕を指したのではなく、僕がしゃがんで隠してしまっている彼女の靴を指差していたのだ。


 気付いた瞬間ごめんと言い、僕は立ち上がる。


 そして額に痛覚が走った。


「痛っ!!」

 

 砂煙が舞い、気づけば僕は尻餅を付いていた。

 思いの外下駄箱の足元近くにしゃがんでいた為、立ち上がった瞬間顔を下駄箱にぶつけたらしい。鼻もぶつけたらしく、先程とは別の理由で目に雫が溜まってきた。


「ちょっと大丈夫!?」

 

 驚いた様子の彼女が僕に近寄り、すぐ側に屈んで、そして被った砂を手で払ってくれた。


「大丈夫、大丈夫」


 こんなに彼女の顔が近い。彼女が僕に触れている。

 僕は痛みよりその事が気になって仕方がなかった。


「立花、どうしたの?」


 背の高い男子生徒が、やってきた。

 男子バスケット部部長の向田くんだ。


「え?あぁ、小野くんが下駄箱にぶつかって……」


 あの女子生徒たちの会話から想像するに、向田くんは彼女に部活が終わった後告白をしたのだろう。そして体育館から一緒に下駄箱までやってきた、と。そして女子生徒達曰く、告白後に一緒にいるということは上手くいったらしい。


 僕は今すぐこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた。

 確かに向田くんはカッコイイ。背が高いし顔も整っている。清潔感もある。

 方や僕は、身長はそこそこ、地味な顔に、今は砂まみれで尻餅をついていると。

 

 なんだ、この差は。

 惨めすぎるだろう。


「えっと、大丈夫?」


 向田くんはそう僕に問いかけた。

 心配してくれるな。

 優しく声を掛けるな。

 面識すら無いのに、きっと良い人だろうに、僕は自分の惨めさゆえに彼を憎まずにはいられなかった。


「ちょっと血が出てるじゃない」


 彼女がスカートのポケットからティッシュを取り出し手渡してくれた。

 でも自分の顔は見る事ができ無いため何処から血が出ているのかが分からない。


「鼻よ。鼻」


 彼女は自分の鼻を指差してそう言う。

 言われて鼻にティッシュを当ててみると、確かにそれは白から紅に染まった。


「ほら、おでこも怪我してる」


 彼女はもう一枚ティッシュを取り出すと今度は、それを僕の額に当ててくる。

 先ほどよりも顔が接近してきて、彼女から制汗剤の匂いもして、僕は戸惑ってしまった。

 こちらを見る向田くんの視線が気になって。でも彼女の手を振り払う事も出きなくて。ただ只管に「大丈夫だから大丈夫だから」と訴えていた。

 同級生の女子に傷を手当てされているところを他の人に見られる男子高校生の気持ちは想像に難しく無いだろう。向田くんも僕が気まずい思いをしているのを察しているのか、同情的な表情を浮かべていた。

 また、向田くんは先ほど彼女に告白をしているらしく、その結果がどうかは本当のところは知ら無いけど、自分の恋人、もしくは好きな人が、他の異性の手当てをしている所を見るのは面白く無いだろう。

 僕は今向田くんに対して、気まずさしか感じられなかった。

 

「立花、俺帰るね」


 やがて耐えかねたのか、手持ち無沙汰に感じたのか向田くんはそう言うと、手を上げてサヨナラを表した。


「……あ、向田くん。ごめ「立花」


 彼は彼女の言葉を遮った。


「また明日な」


「……うん」 


「小野くんも、じゃあね」


 最後にそう言い残すと、向田くんは「さみぃ」と肩を上げながら外に出て行った。


 彼を見送り、ふと彼女の方を見てみると、目があった。

 彼女は気まずそうに視線をずらすと、気まずそうに立ち上がり僕からすこし距離を取る。


 今、漸く彼女と二人きりになったのだと意識すると急に心臓が激しく鳴りだした。


「……えっと…血は、止まったね。でも早めに消毒しときたいよね。保健室まだ空いてるかな?ちょっと見てくる!」


 彼女は早口にそう言うと、歩き出そうとした。


「待って」


 僕は、咄嗟に遠ざかろうとする彼女の手を掴んで、引き止めていた。

 それは無意識の行動で自分でも驚きを隠せない。びっくりした様子でこちらを見る彼女の瞳には、間抜けに口を半開きにして驚く僕の顔が映っていることだろう。


 本当は逃げ出したかった。女子生徒の会話を聞いてしまった時に、既に心は折れていた。でも案外僕という人間は諦めが悪いらしい。心では諦めても、心では諦めていなかった。

 咄嗟の、脊椎反射のような本心の現れが僕を勇気付ける様に感じられた。


「ひ、額の怪我は大したこと無いし、鼻血も止まったから。それにもうきっと閉まってるよ。開いてたとしても多分何か仕事があるからだろうし。こんな遅い時間に尋ねたら迷惑かもしれないよ」


「……そうかな」


「それに、これで保健室に行かれて、これ以上待たされたら、それこそ血管破れる」 


「え?」


 彼女は、話の流れが見えないという風に首を傾げた。


 今更彼女に格好つける必要はない。

 下駄箱に顔面からぶつかる様も見られた。尻餅も鼻血も見られた。もっと昔にはもっと恥ずかしい所も見られている。別に向田くんより格好悪くたっていい。

 例え自分が恋人のいる人に告白の返事をくれとせがむ空気の読めない男でも、それでもこの際構わない。


 僕は立ち上がり真っ直ぐ彼女を見た。

 

「立花さんを待ってたんだ」


「……っ」


 僕は話をしたいだけなんだ。


「香織に話があって待ってたんだ」


 彼女の本音を彼女の口から聞きたいだけなんだ。


「……分かった」


 彼女は小さく頷いた。


「……手、離して。靴が取れない」


「あ、ごめん」


 砂でお尻真っ白よ、と彼女は静かに笑った。



 

◯◯

 



 昇降口を出ると、僕たちはバス停まで走った。

 バスの時間まであと数分だったのだ。


 彼女とこうして一緒に走るのは久しぶりだった。校門の前の横断歩道も赤信号だったけど渡ってやった。

 バスに乗り込むと、座席は空いていたけど何となく二人隣り合ってつり革につかまっていた。

 ここまで走ってきて僕は疲れて肩で息をしているのに、彼女は普段から運動しているから当然なのかもしれないけど、すました顔をしていた。その表情が何だか癪に障って、僕も平気を装ったけど、鼻の穴が膨らんでる事を彼女に笑われた。

 だから僕も負けじと彼女の髪がボサボサになっている事を言ってやると、僕の頭の古傷を指差してハゲと言ってきた。僕の一番のコンプレックスにいきなり触れてきた彼女に僕は、彼女の一番のコンプレックスである筈のお尻の傷をからかってやる。すると彼女は顔を真っ赤にして怒り、足を踏んできた。

 

 そして車内で騒ぎすぎて他の乗客から白い目で見られている事に気付いたのは二人同時で、そのまま僕たちは黙り込んだ。でも次第に可笑しくなってきて、隣を見ると彼女もこちらを見ていて、同時に吹き出してしまった。


 まるで7年間の空白などなかったかの様に、僕たちは触れ合っていた。もっと気まずくなると思っていたのに、肩透かしを食らった様で、でも只々楽しくて幸福な時間だった。


 バスを降りると僕たちは並んで歩いてお互いの家を目指した。

 昔は一緒に走り回った道を、こうして歩いているのは何だか気恥ずかしい。


「ねぇ公園寄っていかない?」


 その公園は僕たちの遊び場だった。

 

「分かった」


 それは彼女なりの話の催促だったのだろう。

 話があると言っておいて、僕はまだ何も出来ていなかった。


「なんだか公園が広く感じる」


 彼女は両手を広げそう言った。


「普通は何だか小さく感じる、私たちが大きくなったからかしらって言う所でしょ」

 

 しかし、久しぶりに訪れた公園は広く感じられ、それはどこか他人行儀な感じにも似ていた。


「あんたがそのハゲを作ってジャングルジムを潰したからでしょ」


 僕がジャングルジムから落ちて頭に大怪我を負ってしまい、危険遊具として撤去されてしまったのだ。


「それ言えば、香織が落ちてお尻から血を出した時に登っていた木もなくなってるな」


 野生人だった彼女は、よく木に登り虫を捕まえていたのだが、ある日落ちてしまったのだ。その時僕は猿も木から落ちるという諺を覚えた。


「残ってるのは砂場と滑り台だけか」


 彼女はしみじみとそう呟いた。

 あたりはすっかり暗くなっており公園を照らす頼りない街頭が一本あるだけで、それがこのなんとも言えない寂しさを顕著に表現しているようだった。

 僕たちの思い出が詰まった場所が、気づけばこんなにも廃れていて、それはなんだがとても胸が苦しい。


「こんなに滑り台低かったっけ」


 彼女は滑り台の上に上がっていた。

 僕は滑り台の着地部分に立ち、彼女を正面から見上げた。


「立花香織さん。お話があります」


 震える足を両手で掴みながらそう切り出した。

 彼女は何も言わず、僕を見下ろしていた。


「僕はバレンタインデーに貴女に告白をしましたね?」


「……はい」


「あれからもう一ヶ月経ちます」


「……そうですね」


「僕は立花香織さんが好きです」


「……っ」


「自覚したのは、7年前のバレンタインデーに貴女と喧嘩別れした後でした」


 喋り始めると、不思議と体の震えは治まっていた。


「貴女が他の男子と話しているのを見て、どうして僕はと思わずにはいられませんでした」


 教室で彼女と話せる男子が羨ましくてしょうがなかった。彼女とメールやSNSでやり取りをしている人たちが羨ましくて仕様がなかった。


「貴女がどんどん綺麗になっていくのを見るのが辛かったです。貴女を見る男の目が変わっていくのが嫌でした。貴女が誰かと付き合うんじゃないかと思うと、不安でしようがありませんでした」


 彼女はとても綺麗になった。スタイルがよくて、顔はきつめの美人といった感じだけど、ふとした瞬間にみせる笑顔がとても可愛いと、男子たちは話している。それを聞くたびに僕は気が気じゃなかった。

 

「何度も諦めようとしましたが、諦めきれなくて、いっそ嫌いになれたらいいのにと、どうしてそんなに僕を苦しめるのかと、貴女を恨む気持ちもありました」


 好きで居続ける事はとても辛かった。

 でも嫌いになれなかった。

  

「例の一件で心底嫌われているだろうから、どうせ無駄だと、諦めていました」


 彼女は何も口を挟まず、静かに聞いていた。


「一ヶ月前、貴女が本命チョコを誰かに渡すという噂を聞いて、僕は校門で貴女とすれ違った後、失恋を決定的に感じ恥ずかしながら泣いてしまいました」


 まるでこれは独白じゃないかと思うほど、僕の声は静かに公園に溶け込んで行った。


「でも最後に潔く振られたいと思い、貴女に僕は好きだと告げました」


 こんなに長い告白を人はするものなんだろうか。

 世界で一番長い告白ってどれくらいなんだろうか。

 そんな事を考えていた。 


「僕は立花香織さん。貴女の事が好きです」


 長々語っても結局、言いたい事はこの一言で。

 本当にさらけ出したい真っ白な想いは、この一言に全て詰まっている。


「あれから一ヶ月が経ちました。そろそろ返事をお聞かせ願えないでしょうか。振るならそれで構いません。でもどうしても香織の口から、返事が聞きたいんです」


 僕はそれきり、口を閉ざし目を瞑り、ただ只管に彼女の返事を待った。

 遠くで車の音が聞こえ、風の音が聞こえた。

 全神経を耳に集中させ、僕は彼女の言葉を待った。


 自分の想いは語り尽くした。これ以上ないほど丸裸な想いだ。

 僕の半生を語り尽くしたみたいなものだった。

 それ程この恋心は僕の青春の全てだと言っても良かった。


 僕は彼女が本音を語ることを信じて待った。


「今日、向田くんに告白されたの」


「……知ってる。もし彼と付き合い始めたばかりだったとしたら、こんな余韻をぶち壊すような事をして悪かったと思ってる。でも今日はホワイトデーだから。本音を語る日だから許してほしい」


 白い、なにも脚色されていない心の底にある言葉をそのまま伝える日。


「……なにそれ。私に彼氏がいたら諦めるの?」


 彼女は突き放したようにそう言った。


「それはすぐには無理かもしれないけど、でも」


 僕としては余りしつこくして彼女に迷惑かけたくなかった。

 今日のこれが、最後の足掻きだとそう決めていた。


「でもなに?振られたら他に好きな人さがすの?」


「想像は出来ないけど、いつかはふっきって、また」


「いつかっていつ?いつになったら吹っ切れるの?また他の人に恋してその人と幸せになれるのはいつ?」


 彼女はイライラを募らせるように、段々と声を荒げていった。


「それは分かんないけど、いつかは……」


「だからいつかっていつよ!何年何月何日何時何分何秒、地球が何回回ればそのいつは来るの!?」


「だから分かる訳ないじゃないか。僕は予知能力なんて持ってないんだから」


 僕も要領を得ない質問を繰り返す彼女に、次第に憤りを覚えてきた。


「分っかんないのよっ!!」


 彼女はそう叫んだ。

 それは、公園を駆け巡り、僕らの街を駆け抜け、そしてどこどこまでも響き渡った。

 やがて訪れた静寂は、重く厚いものだった。


「……苦しかったわ」


 その痛々しい程の静けさの中で彼女はそう声を絞り出した。


「本当に苦しかった。いつ終わるんだろうって。でも7年経っても、いつかは来なかった。新しい人なんて出来なかった。あなたを。あなたを吹っ切る事なんて出来なかった。幸せなんて。うぅん幸せではあった。でも幸せじゃなかった」


「……じゃぁ、何で返事をくれないんだ」


「だって。終わっちゃったらどうするの?」


 そうか。

 彼女はいつかを望み、一方でそのいつかを恐れているのだ。


「あんなに仲良くて、あんなに一緒だったのに終わっちゃったじゃない」


 苦しさ故に終わってしまう事を望み、しかし終わりの先に恐怖している。


「一ヶ月前本当に嬉しかった。それは本当。でもまた終わったらどうするの?あなたに飽きられたらどうするの?そしたら私はどうなるの?いつか他の人を好きになれるの?いつか吹っ切れるの?いつかはいつやって来るの?本当にやって来るの?こんなにあなたが好きなのに」

 

 どんなに苦しくても、この恋心は終わってくれなかった。

 でも絶対終わらないものなんてない。

 現に僕たちの関係も、あれほど仲が良かったのに7年前のバレンタインデーに簡単に終わってしまった。


「きっと耐えられない。だったら始めたくない。分かってる。矛盾してるのは分かってる。終わってほしかったのに、苦しみから解放されたかったのに。その苦しみと同じくらい、あなたを切望していたのに。終わりのあるかもしれない幸せだったら、私は幸せになりたくない。嬉しいのに、嬉しい筈なのに……」

 

 仮に恋人になったとして、その関係がなんらかの形で終わってしまったら、その先にどれほどの苦しみがあるか分からない。こんなに好きだからこそ、一方に裏切られた時のもう片方の苦しみは計り知れない。

 一度アメを知ってしまったら、その後のムチに耐える自信がない。


「僕はこの7年間香織の事がずっと好きだったんだ。それじゃあ信用ならない?」


「じゃぁ何であんな卑怯な事するのよ。誰に本命渡しのたかって、貴方分かってて何で私にそれを言わせようとしたのよ。何でもう一度好きって貴方から言ってくれなかったの?私から言えるわけないじゃない。こんなに終わりを恐れている私に、本命は貴方でしたって言えるわけない。

 

 今だってそう。なんで私に彼氏いたら諦めるって言うのよ。いつか吹っ切るって言うのよ。そんな、諦めを前提に告白されても、それが一生終わらない物だって安心できるわけないじゃない。振るならそれで構わないってなに?振って構わない告白なんてしてこないでよ」


「……」


「もっと重い告白をしてよ。もっと横暴な告白をしてよ。スマートにカッコつけて、本音語る日とか言いながら結局防衛戦は張って、そんな軽い告白しないでよ。もっと汚くてドロドロで有無を言わせない、欲望にまみれた見苦しい告白をしてよ。じゃないと……」


 僕は本心をさらけ出したつもりでいた。

 でも、それはまだ真っ白ではなかった。ましてや真っ黒でもなかった。少なくとも彼女にとっては満足のいくものではなかった。


「とまぁ、あんた曰くホワイトデーは本音を語るらしい日なので、語ってみました」


 彼女は急におちゃらけた空気を出し、滑り台の上で敬礼した。

 顔には笑顔を貼り付けていて、それは無理をしていることは丸分かりだった。


「私の方が絶対本音言えたね。うん。私の勝ちだ」


 彼女は恐らく最後の問いかけをしている。

 今ならまだ引き返せるぞと、優しい彼女は言っているのだ。


 でも僕は引き返すつもりなど毛頭なかった。


「私、重いよ?やめといた方が良いデスよ」


 恐らく今彼女が語った内容を聞いた人は、彼女を重いというだろう。

 しかし、普段は言葉にしないだけで、誰しも思った事がある筈なんだ。少なくとも僕は彼女の想いを理解できたし、僕だって同じ事を思っている。

 だから僕は彼女の事を決して重いとは思わない。


 僕は彼女を目指し、滑り台の傾斜を下から登った。


「引き返せなくなるよ」


 彼女は来ないでと首を振った。

 しかしその願いを聞いてやる道理は僕にはない。


 僕は今彼女にムカついているのだ。


 終わるのが怖いだと?ふざけるな。

 僕は君と向田くんが付き合ったかもしれないと、確信がないのに、その話を聞いただけで泣いちゃう位君にぞっこんなんだ。それに、軽い告白するなってのも少し納得いかない。僕がどんだけ勇気出して想いを伝えたと思ってるんだ。それに、長年諦めていた恋に、光が見えたら誰だって軽口叩いちゃう物だろう。少なくとも僕はそういう人間だ。だからといって、この想いが軽いという事は決してない。



ーー絶対に終わらせない


 でもそう彼女を安心させる程の言葉を僕は持ち合わせていない。どれだ言葉を尽くしても、多分彼女は100%安心する事は出来ないだろう。自分の想いを100%伝える言葉なんてこの世には存在しないのだから。


 だったら……。


 僕は滑り台を登りきると、その上で独り泣いていた彼女を抱きしめた。


「7年間でこんなに拗らせちゃった。これから先どうなるか分かんないよ」


 返事の代わりに僕は抱きしめる腕に力を込める。 


「他の人と話すだけで嫉妬しちゃうような女かもしれないよ」


 さらに力を込めた。


「愛しさ余って殺しちゃうかも」


 彼女に僕の精一杯の気持ちが伝わる様に。


「……苦しいよ」


「……うん」


「もっと抱きしめて」


「……うん」


「ふふ……苦しいや」


 僕たちは空白の7年間を埋めるように。

 これからの一生を誓い合うように、お互いに苦しいほどに抱き締め合った。


 最早言葉はいらなかった。 


「あ、雪」


「これぞホワイトホワイトデー。なんちて」


「なにそれ、さむっ」


「悪うござんした」


「ねぇ、下駄箱で泣いてたでしょ」


「……嫌な話聞いて、嫌な妄想しちゃったんだよ」


「ははは。相変わらず泣き虫だなぁ」


「うるさい」


「そう言えばさ。まだチョコのお返し貰ってないんだけど」


「ん?」


「ほら、義理チョコあげたじゃない」


「あぁ、あの市販の」


「それもあるけど、ほら7年前のギリギリチョコレートの分も」


「あぁ、そう言えば」


「ホワイトデーのお返しちょうだい」


「急に言われてもね」  


「なんでもいいから」


「じゃあ、お返しは私の唇よ、なんちゃって」


「なにそれ。馬鹿みたい」


 次の瞬間あまりの柔らかさに、僕の頭は真っ白になった。


 ホワイトデー、万歳。


 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

感想を頂けると、幸いです。

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