親子は仲良く帰っていこうとしていました……。
一応、妊婦と目の不自由な義父の散歩には、警護の者が同行していた。
彼らも、当初は遊亀を不思議に思っていたが、穏やかな時にはニコニコと好奇心旺盛で問いかける当主の嫁に、
「奥さまだからなぁ……」
「お転婆と言うよりも、可愛らしい」
「無邪気と言うか、考え方が面白い」
と笑う。
時折見せる寂しげな表情に、当主の安成は、ただ抱き締めて庭を眺める。
その姿は、年齢が逆転したようであり……それでいて、安成の少々物足りなさを成長させ、貫禄と言うか落ち着きをもたらすようになった。
「若君は、お強くなられた……」
「本当に……」
と、護衛は急に周囲の気配に剣を抜いた。
「……皆。遊亀をよくよく頼む」
祝言の前夜に、安成は両親と家の者を集めた。
「遊亀は、お社の神……の御使い。この島を狙う不届きな輩を知り、駆けつけた。水無月……周防より敵が参る」
「周防!」
「大内か!」
周防……現在の山口県を中心に勢力を持つ大内氏……。
大内氏は京の都とも繋がりが深く、現在の乱れた幕府を潰し、自ら権力を掌握したいと思っている。
しかし、京の都からは遠く、陸の道には侮りがたい存在が立ちはだかる。
当時は、安芸……現在の広島には毛利元就がおり、元は尼子氏と手を結んでいた元就は、大内氏と当時よりも10年ほど前に手を結ぶ。
元就は元々は、さほど有力な大名ではなかったが、父と兄、兄の息子である甥を支え、直系が途絶えた跡を継ぎ、戦乱を乗り越え生き抜いた強かな、知恵のある大名である。
明応6年(1497年)に生まれた彼は、現在(1541年)数えで45才。
老齢に向かいつつも、有名な3人の息子、隆元、元春、隆景と、周囲の豪族との婚姻関係等を用い着々と実力をつけていた。
遊亀は、毛利や、次男の元春が養子に入った、元就の妻……戒名が妙玖とある為、妙玖夫人と後年呼ばれる……彼女の実家の吉川、三男の隆景は、村上程では無いものの有力な水軍、小早川家に婿養子に入った、そこについては触れていなかった。
しかし、大内氏がここを攻めるとなると、毛利氏が加わっている可能性があると、安成は思い出したのである。
そして密かに調べたが、こちらは出てくる気配はない。
だが出ては来ないが、領地を通しそちら側からも攻め込んでくる可能性がある。
「鶴姫様は……皆、噂をしている通り、海を渡り、彼の者と駆け落ちをした。行方は解らぬ。遊亀は入れ替わるようにしてここに参った。しかし、戻るすべも判らず、それでいて私の我儘を……」
一瞬、目を伏せたが、顔をあげる。
「……私は弱い。そして愚かだ。皆に甘え、それでいいと思っていた。だが今日、皆を集めたのは頼みがある!」
周囲を見回す。
「遊亀はこの地を思ってくれている。皆の事もまだ慣れていないのと、人見知りではあるが仲良くしたいと思っている。平穏を願う人だ」
安成は告げる。
「この島の者の事を考えられる人だ……だから、見守ってあげてくれ。とても繊細で臆病で、寂しがりで……可愛い人だ」
「見守るというのは……」
遊亀の傍に仕えることになる侍女のせんは、恐る恐る問いかける。
「怒ったりはしないであげて欲しい。焦るとどうしよう、どうしようと益々混乱して、泣きじゃくる。何か困っていたらそっと『どうしましたか?』と聞いてあげて欲しい。最初はそうしてあげていると、せんには聞いても大丈夫と安心して慣れてくると思う。せんは、遊亀とさほど年も変わらない。よろしく頼む」
「はぁ? えと、私は三十路ですが……?」
「遊亀は、今年30だ」
「えぇぇ! あの……あの、本当に? あのクリクリした瞳の……」
どよめく。
祝言前に挨拶をと家中歩き回り、挨拶をしていた遊亀は、丸顔で大きな瞳の女性である。
女性と言っても、年齢は良く判らず、皆口々に幾つだろうかと言っていたのだが……。
「本当に30なんだ。だからよくよく頼む……」
「は、はい」
最初は戸惑ったものの、慣れると普通の……と言うよりも、姫君ではない女性に慣れてきており、その上義理の両親や、働き手にすら気を使う遊亀を慕うようになり……。
「遊亀!」
「お父さん!」
義父に抱きすくめられ、ぎょっとする。
「……何をしよるぞ……どこのもんや!」
「……亀松。この俺に無礼だぞ!」
「……あぁ、安房か……物騒な、何やこれは!」
海の男である亀松の声に、安房は一瞬怯むが、
「お前が、この俺にそんな口を……!」
「大祝職様は『安房はここの者ではない!この鶴が私の娘!』そういわれとった! 海の男として戦いもせず、何をしとるんぞ! しかも、武器も持たんわしらに!」
「五月蠅い! この女は鶴ではないわ! 偽物の女! 殺してくれる! どけ!」
亀松は遊亀を後ろにかばう。
「逃げえ! お前は逃げるんや!」
「お父さん! いかん!」
「言うことを聞け! はよ! いかんか!」
「お父さん! 行けん! 絶対にいかん!」
後ろからしがみつき叫ぶ遊亀の耳に、2騎の馬の蹄の音が近づいてくる。
敵かと振り返ると、
「何をしている!」
という鋭い声が響いた。
兄の安舍と安成である。
「父上! ゆ……鶴!」
「安成!」
「皆! 父上と鶴を! 社まで! いいか? 行け!」
「は、はい! 参りましょう!」
数人の手練れのみが残り、後は親子を守り去っていく。
「……何をしに参った。逃げた者が」
「兄上! あの女は!」
「鶴がどうした。大祝職様はおっしゃられたはずだ。そなたは海に向かえと。命に背いた人間がのうのうと戻ってくるでない! 海に向かい、船団を率いる訓練をするがいい! 出来ぬなら去れ!」
「……あの女にたぶらかされたか! この島は!」
「何?」
安舍は弟を見下ろす。
見た目は温厚で穏やかな安舍だが、本物の鶴が生まれる2年前には初陣を果たした、それなりの腕の持ち主である。
幾ら身を清め、神に仕える神職であろうと、自らや周囲に火の粉を被る時には刀を佩き、鎧をまとうのに些かの躊躇いもない。
荒くれ者の海の男と対等に向かい合うには、温厚さと厳しさ両方が必要なのだ。
安房は、安舍のように戦い抜いた経験はない。
戦いとは、生き抜く為のものであって、乱暴を働き、周囲が眉をひそめるものではない。
生きるか死ぬか……それすら解らないのか?
まだ若い安成ですら、知っているのに……。
安舍は嘲るように笑う。
「愚かな……これが、私の弟とはな……」
「何を!」
「……私と安成、この2騎で、来ている訳がなかろう? 皆!」
ザザッ!
物陰から現れたのは、弓を構える者と、刀を抜いた兵たち。
「この者共! 捕らえるに値せぬ、神に刃を向けし者ども! 行け!」
安舍の声に、刀をすでに抜いていた安成が、馬を走らせたのだった。




