安成君はちょっと嫉妬中です。
安成は、少々不機嫌だった。
新妻の初恋の相手……これである。
「誰なんだ……!」
「五月蠅いよ。仕事に集中しなさい」
「ですが!」
安成の訴えに、安舍は、
「はぁ? 真鶴の初恋の相手? 想像できんなぁ……」
「して下さいよ! あの遊亀が好きになった男!」
「……想像できんなぁ……」
安舍は苦笑する。
あのテンポのずれた妹がどんな恋をしたのか、想像出来ないのである。
「気にする事はないと思うが、そんなに気になるものかな?」
「兄上はなりませんか?」
「ん? 全く」
あっさり告げる。
「その思いは、束縛するものかい? 思いは思うから尊いんであって、その時の思いを否定してはいけないと思うけどね?」
「うぅぅっ……」
「まぁ、聞いておいてあげよう」
ヒョコヒョコと顔を覗かせた遊亀は、
「お兄様。あの、安成君は?」
「ん? 真鶴の初恋の相手がぁぁってうるさかったから、いってこーいって、神馬の世話をね」
「あはは、又々……安成君は困った人ですねぇ……」
「と言うか、多分、意識的に、お前が傷ついていないか心配しているんだよ」
寂しげに笑う。
「内緒にしてて下さいね。恥ずかしいから」
「うん」
「……色々……仕事を掛け持ちして、幾つも変わっていくと、色々な人と知り合うでしょう? そんな中で、年は下でも、仕事の先輩っているでしょう? その中に、特徴のある優しい声の人がいたんです。私は声が……人の話し声や、歌う声が好きで……その人の優しい声が好きで……男の人は苦手だけど、頑張って話せるようになったんです」
空を見上げる。
抜けるように青い空を、眩しげに見つめる。
最近は『眼鏡』なしで動くようになったと言う事で、かなり目が疲れるとこぼしていたらしい瞳が暗くなる。
「そうしたら、ある時にその人に一緒にお出掛けしようって誘われて、よそ行きの服を着て……待っていて、その人の知り合いの人が結婚するので、今度出席するからどこの場所か下見に着いてきてって。他にも、今の仕事をやめて、別の仕事をするんだって。元々その仕事のサポートはしていたんだけどって……色々話を聞きました。で、何度か出掛けているうちに、ある日、自分の新しい仕事の先輩を紹介するって……ついていったんです」
頬に涙が伝う。
「そこには年上の旦那さんと、私と年の変わらない奥さんに2才位の男の子。しかも長屋じゃなくて、ここで言うお屋敷にすんでいて……羨ましかった……そうしたら、私のこの顔の色が気になるって……化粧品を試してみないかって……。もしかして……その人は、私に商品を売り付けるつもりで近づいたのか? って思いました……でも、職場でいた頃は親切で、他の人には優しくて……だから、必死に信用して……」
「……」
「そうしたら、一回目は顔を洗うだけで終わったのに、二回目になったら買わされる事になって……化粧品一式。そして、それから二回行ったら……又、高額な物を買わされて……」
振り返り微笑む。
「嬉しそうなその人の顔と『今度からは自分でここに来て手続きするんだよ』って言葉に……あぁ、この人も……私を利用するんだなって……初めて心を許した人だったんです。だから……余計に辛くて……もう恋なんてしない。そう思いました」
ぽろぽろこぼれる涙。
涙は心の欠片……傷ついて傷ついて壊れていったその心……。
必死に隠そうとしていたのだろう……。
隠せず苦しんで泣き続けた姿……。
「他の人には優しい先輩を演じ続けて……でも私を他の人とは違う……もっと下に見ていたんですよね。友達でもない、同僚とも思っていない……ただの客……」
「真鶴……そのような男の事で泣くんじゃないよ。忘れなさい」
安舍は頭を撫でる。
「お前は優しい、心の優しい子だ。泣くのは止めなさい。泣いては、その瞳が曇ってしまう」
「……憎みたかったです……でも、憎めなかった……他の人には優しいその人の正体をばらしても、自分が嘘つき呼ばわりされるか、騙されたのが悪いと……それに、私の事でその相手はこれっぽっちも悪いと思わないでしょう? ただ、ものが売れたと喜ぶだけ……客が増えたと思うだけ……」
「真鶴……もういいんだよ」
「でも、頑張っても頑張っても……誰も、私を認めてくれない! 私はお金を作る人間じゃなくて、遊亀で、一人の人間で! なのに……」
わぁぁぁ……!
泣きじゃくる遊亀。
「恥ずかしい! 情けない! 悔しい! 妬ましい! あさましい! この思いなんて消えてしまえばいいのに! 消え去って全て無くなれば! それでいいのに!」
廊下を何度も叩く。
腕の骨を折っているのにと、安舍は慌てて遊亀を押さえ込もうとするが、逃れ、何度も叩きつける。
「私なんて……私なんて……! いなくなれ! 生まれてくるんじゃなかったんだ!」
狂ったように……いや、すでにそうなっているのかもしれない、遊亀は叫ぶ。
「お金しかいらないんでしょう! だったら、そういえばいい! あの人も、家族も! 全て、全て! 私なんて……!」
「真鶴……真鶴! 止めなさい!」
止めきれないと悟った安舍は、首筋に手刀を入れ、遊亀を気絶させる。
そして、
「だれか! 薬師を! 真鶴が倒れた!」
兄として、心が壊れていくのを間近で見た者として、必死にその体を抱き締めたのだった。
私の実体験です。
街から30分ほど行った高級住宅街につれていってくださって、ご夫婦と、その人に言われるまま買うことになりました。
後日、悔しくなり、ネットフリマで売ろうとしたら6万の商品が数千円でした。
フリマの購入者の人にも、笑われました。
『一年使わなければ返品できたのに……』
それも知らない無知な自分を憎みました……。