自転車に乗るときは傘はハンドルに引っ掛けないでください。
「ヤッバーい! やばいよぉぉ! 遅刻、遅刻!」
眼鏡を装着した遊亀は叫びながら、弟からかっぱらった、スポーツブランドのバッグにポンポンと荷物をいれて財布と鍵、携帯をいれると、
「行ってきます~!」
と叫び、マウンテンバイクに、借りていた傘を引っ掛け走り出した。
そのマウンテンバイクはなけなしのバイト代で購入したもので、バイト先は、本来であれば自転車で20分先。
しかし、9時までにはいればいいのだが、それより早く入らなければならない事情があった。
「もう~! 何で? 朝の掃除って3人でやってたじゃん! なのに、愛ちゃんは遅刻するし、どうして先輩やめたのに、いれてくれんの~! どうして11時から、オバさん3人もいれるのさ! ボケェェ!」
遊亀は叫ぶ。
が、こぐのは止めない。
1分でも早く入って掃除と、10時から開店に間に合わせるのだ!
本当はママチャリもあるが、わざわざこれにしたのは、見本品販売で、原価は10万弱、それを、他の1台を購入することで、10000円にしてくれると言われたからである。
6段階と、4段階……速度の変更も可能であり、その上ブレーキがよく利いた。
家から、しばらくは線路も多く信号もあるが、途中から直線で、うまく走ることができれば信号に引っ掛からずに、最速12分で4キロ先のバイト先に行ける。
時間との勝負!
いつもの時間通り、線路で止まる。
昨日は雨で、自転車を引っ張り、傘で帰った。
バイト先に置き傘をしている為に、持っていくつもりである。
折り畳みは小さいし……と、普通の傘を引っ掛けていた。
遮断機が上がった。
「よっし!」
ペダルを踏んだ。
すると、いつもと違う感覚にあれ? っとなった。
視界が前転する……? 後輪が浮いている……?
ブレーキを踏むのを忘れ……宙に浮く遊亀の目に飛び込んできたものは、前輪に絡まった傘!
「あ、あぁぁ!」
自転車が、前輪を支点に前に倒れる!
遊亀がそのまま前転、ついでに自転車が体の上に落ちてくる形である!
多分、地面に叩きつけられる!
その痛みよりも何よりも、遊亀が思ったのは、
「遅刻~!」
だった。
一瞬気を失ったのか、ハッと我に帰る。
「あんな姿、周囲に笑われる! 恥ずかしい~!」
叫びながら体を起こす。
「バッグ! 自転車! どこ~! って、アイッタァァァ!」
頭は打っていなかったようだが、背中と腰がうずく。
短いデニムパンツだった為、弁慶の泣き所辺りは擦り傷である。
「あぁぁ、また、言われるんだろうなぁ……」
「何がです?」
「兄ちゃんらに『ばっかじゃないか』……言うて」
バッグを探すが、まずは眼鏡を探す。
中学校時代からの愛用眼鏡は、ボロボロでも見えればいいのだ。
「眼鏡は……どこ? わぁん! 幾らかけて0,6でも、見えりゃぁいいのに! 買えないんだからぁぁぁ!」
体が痛いのと、見つからないため逆ギレである。
「眼鏡とはこれですか?」
振り返る。
奇跡的に無事だった眼鏡が、うっすらボヤけて宙に浮いている。
「あぁぁぁ! あったぁぁ! ありがとうございます!」
手に取ろうとすると、スッと引かれる。
「何するの~! それがないと生活に支障が!」
遊亀は叫ぶ。
遊亀はド近眼である。
中学校までは一応1,5の視力だったのだが、二年生になると急に片方の目が0,8に落ち、もう片方が1,2、3月後には0,08と0,6に落ちた。
そして、眼鏡になったのである。
「これはなんです?」
「眼鏡だよ! 見て解らないの? あたしは目が悪くて、それがないと生活できないんだって! 返して~!」
「……没収!」
「何でぇぇ!」
「いかに鶴姫がおてんばとはいえ、変なものを身に付けて出ていっては困ります!」
「鶴姫ってなんやねん!」
つい関西弁バリバリで突っ込んだ。
「大祝鶴様。大山祇神社の大祝職、大祝安用様のご息女。兄上に安舍さまと安房様がいらっしゃいます」
「おおほうり……大山祇神社はわかる。大祝ってなん?」
薄暗い中で、相手がため息をついたことにムッとする。
「馬鹿にしたな~! 一応、大山祇神社はわかっとるわ! 四国の、今治の大三島にある神社やろがね! で、奉られとるんが、大山積神! 天孫のニニギノミコトの嫁の木花咲耶姫や、磐長姫の父親! 元々は山の神だったけど、大三島の周囲は海で、海の神の一面を見せる……どうで?」
「ハイハイ、偉いですね~」
「めっちゃムカつく~! うちをバカにすんなよ~! おらぁぁ!」
背中は痛い、ジクジク痛むのは足の怪我、そして、多分腕も擦りむいている。
だが、キッと睨み付け、
「1541年に確か安房って言うんが戦死するわ。その頃には父親から、長男が跡継いで……あぁ、大祝職の大祝かね……で、鶴姫って43年に死ぬわ。鶴姫伝説ばっかりおっとったけんな。うちはある程度出来るんや」
「1541年……?」
怪訝そうな声に、
「天文10年や。その6月。大内氏と敵対したんやないか? 次男の出陣や。で、戦死する。で、鶴姫が出陣するんや」
「なっ!」
「で、10月にもな」
イライラしていた、ジクジクと背中と言うよりも全身打撲に近い。
その上眼鏡もなく、バカにされ……。
「ここはどこや! 言うてみい! それに眼鏡返せ!」
怒鳴ると、男は首をすくめ、
「私は越智安成と申します。鶴姫」
と告げたのだった。
大山祇神社は、四国愛媛県今治市大三島にある神社で、別名『国宝の島』です。
鶴姫伝説は、元々は、1963年に三島安精が、重要文化財である紺糸裾素懸威胴丸が、他の鎧よりも小さく、ほっそりとしたものであるため、3年研究、調査、伝説を調べあげ、66年に本を出版してから話が広まったものです。
鶴姫は大永6年(1526年)~天文12年(1543年)?まで生きた女性です。
一応、安用と女中の妙林の間に生まれ、16の時に初陣、19才で自殺したとも別説には嫁いだとも言われています。