11.悪夢を見る猫(10)探偵編2
「はい、サバ味噌定食お待ち!」
「おお、これが噂のサバ味噌定食!」
僕は運ばれて来たサバ味噌定食を前によだれが止まらなかった。
それで喜び勇んで口の中に運んだんだけど味は…。
そこはやはり夢の中、食べた事のない味の再現は出来ないようだった。むぅ、残念。
そして完食後、謎の満腹感を感じながら僕は料金を払って店を出た。
まぁ、今回は人間の生活を疑似体験出来ただけで良しとするか。
ああ…サバ味噌定食、本物の味もいつか味わってみたいなぁ…。
事務所に戻った僕は本格的に浮気調査の資料とにらめっこ。
ふむふむ…浮気相手の身元に通信記録に通話記録、密会している現場写真もしっかり収めてある。
もうこれで十分じゃないか?
僕はそう感じて反応を待つマロに自信たっぷりにこう言った。
「うん、これでいいんじゃない?」
「いや、まだ足りない」
「へ?」
「クライアントは決定的な証拠を求めているんだ。やはりそれは所長の仕事でないと」
「って、これ以上の証拠って…」
僕が見る限りもう十分これ以上ないくらい証拠は揃っているように見える。
でもマロから見るとそれは完璧ではないらしい…どこまで完璧主義者だよこいつ…。
「取り敢えず今から尾行して来てくれ…ターゲットの尻尾を掴むまで」
「えー。やらなきゃダメ?」
「ダメ」
マロの冷徹な一言で僕はそのターゲットの尾行をする事になってしまった。
静かな怒りを内に秘めた犬の顔は相当怖い。今にも噛まれそうで逆らえなかったよ。
喧嘩になったならこっちも必殺の猫パンチをお見舞いするんだけど何せ体格差がね…。
犬の中では小さい方の柴犬でも猫の僕よりは数倍大きい。
君子危うきに近寄らずってヤツだね。
さて、ここまで敢えて触れて来なかったけどこのターゲットと言うのがね…もうみんな想像ついていると思うけど…その皆さんの想像通りなんだよね…そう…きゅうり…なんだよね。
何で今日の夢に限ってきゅうりばかり…って、夢に文句言ってもしょうがないか…。
ターゲットの尻尾を掴むって言うのはそう、決定的な浮気現場の証拠写真を撮れって事。
密会写真はただ一緒に食事をしている写真でどうやらこれでは弱いらしい。
でも不倫中とは言え2人の仲がそこまで進展しているとも限らない気がするんだけどなぁ。
考え事をしていたら早速ターゲットのきゅうりが仕事先の会社から出て来た!尾行開始だ!
こう言う相手に気付かれないように近付く仕事は実は猫にとっては最も向いている仕事なんだ。
何せ普段から気配を消して行動する事に慣れているからね。
猫ってば天性のハンターだから。
飼猫の僕だってその野生の本能を忘れてはいないよ。
その実力を今からお見せするよ!
抜き足、差し足、忍び足…。
ふふ、きゅうりの奴僕の尾行に全然気付いてないぞ…。
この仕事は楽勝だなってその時僕はカメラを構えながらそう思った。
でもきゅうりはその後も誰とも接触する事なくその日はそのまま自分の家に帰って行ったんだ。
あれ?マロの資料と違うぞ?今日は確か不倫相手と密会する日だったはず…。
まさか警戒されているとも思えないし今日は相手の都合が悪かったのかな?
そんな訳でその後も僕の尾行生活は続いたんだ。
一度火がつくと止められない性分なもので雨の日も風の日も尾行は続いた。
けれど初めて尾行を始めてからずっとターゲットは僕に尻尾を掴ませなかった。
あんまり相手が尻尾を出さないのでマロが仕事をこっちに回したのもそれが理由なんだと悟ったよ。
確かにこれは一筋縄じゃいかない…どっちが最後まで相手を騙しきるか根比べだ。
こっちは天性のハンターの猫なんだ…きゅうりなんかに負けはしないぞ…。
調査が長引けばその分利益も下がる。簡単に割増料金は請求出来ない。
だから僕としては早めに決着する事を望んでいるんだけど…。
けれどきゅうりの方もバレたら大変な事になる、最悪全てを失いかねない…そりゃ慎重にもなるか。
そんな攻防を繰り返していたある日、その日もいつも通りにきゅうりを尾行していたら不意に奴を見失ってしまった。
探偵がターゲットを見失うなんて間抜けもいいところだ。
奴がいない事に気付いた僕は慌てて駆け出して行った。
「どこにもいない…」
これはもしかしたら事件かも知れない。
仕事中に目を離したはずはないんだけど一体これはどう言う?
カツーン、カツーン。
僕が焦って周りを見渡しているとどこからか不気味な靴音が聞こえて来た。
その足音は確実にこっちに近付いて来ている。
けれど悪寒を感じて振り向いてもそこには誰もいない。
僕は緊張感で胸が張り裂けそうだった。
一刻も早くここから逃げ出したい…けれどそれが正しい選択かどうか分からない。
靴音の相手がどこから出て来てどう動くか全く予想がつかないからだ。
カツーン、カツーン。
僕はポケットの中から護身用の道具を取り出す。
いざとなったら最悪戦わなくてはならない。
そうなったなら猫パンチよりも強力な一撃を奴にお見舞いしてやらなくては…。
この状況になってからは一秒一秒が重かった。
天性のハンターである猫は全ての感覚に敏感だ。
さあ、来るなら来い!自慢の猫式武術をお見舞いしてやる!
…って、勿論そんなものはないんだけどね。場合によっちゃ虚勢も大事。
「探偵さん?」
そんな考え事をしている中、唐突に呼びかけられた僕は無意識に振り向いた。
ああ、プロ意識の欠片もないなぁ…僕。
振り向いたその無防備な瞬間を狙って僕は一瞬の内に首を絞められた。
「う、うぐぐ…」
「私としても嗅ぎ回られちゃ困るんですよねぇ…」
読んでいる皆さんはもう想像付いていると思うけど、この今僕の首を絞めているのがきゅうり…なんだよ…ね。
僕はまたきゅうりに命を狙われてるんだよね。
もう本当きゅうりがトラウマになりそうだよ…。
しかし一体僕がきゅうりに何をしたって言うんだ…何の因果なんだ…。
僕の首を絞めているきゅうりは勝利を確信し、どうにもいやらしい笑みを浮かべていた。
最後に見る景色がこんな悪趣味なものだなんて…嫌…だ…。
ああ…もう意識が…。