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四夜 どっとはらい

 見ず知らずの男に声をかけるなど、はしたない。そんな真似をするな。

 彼女は父や母からそう聞かされて育ってきた。

 特に人に化けているときに男に声をかければ、どんな目に遭わされるか分かったものじゃありませんよ……と。

「あ……あの」

 幾度も迷い彷徨って、それでも勇気が出ずに何度も川で顔を洗った。なんとか勇気を振り絞り、道を行くその男に声を掛けることができたのは、もうすっかり夜も更けた頃である。

「あの……」

「おや、なんでしょう?」

 男は洒落た着物を身につけて、行灯を持ってゆらゆらと歩く。長身だが威圧感のない男である。振り返った顔は、驚くほどに美しく彼女は思わず赤面する。

 白い膚に切れ長だが優しげな瞳。唇は赤く、まるで絵に描いたような美しさ。ぽう、と思わず呆けたように男を見てしまう。その白い膚に魅入られてしまう。

 そんな自分に気付いて彼女は慌てて顔を伏せた。

 できるだけ顔を見ないように俯いて、彼女は必死に声を上げる。

「そちらに、あの……そちらのお店に、男の子いますか、あ……わ……私の名前は」

 人とは名を持つものだ。彼女はそんな当たり前のことに今更気付く。慌てて周囲を見渡せば、目に入ったのは「吉原」の文字。

「よ……吉と申します。そちらの男の子に、以前助けていただいて。そのとき、怪我をしていたようだから。それで、怪我のお薬を。水草なのですが、これを傷口に当てると、とてもよく効くの」

 男は優しげな顔立ちで吉を見つめる。しどろもどろになりながら、彼女は必死に水草を持つ手を差し出した。

「足首にひどい怪我を……していたから」

「ええ、ええ。うちの幽霊屋敷には、確かに男の子が一人。いつからこんな可愛いお友達が出来たのでしょうねえ。隅におけない」

 男は目を細めて、その草を受け取った。

「でもね、女の子がこんなところを歩くもんじゃありません。変な人間に捕まってしまいますよ……特にあなたのような、まだ若い子はね。ほら、腕にヒレが見えていますよ、ドジョウのお嬢さん」

 最後は囁くような声だが、吉の身を震わせるには十分である。きゃ、と悲鳴をあげて彼女は逃げ出した。

 男はにこやかに逃げる吉を見つめている。彼を取りまく闇は、一段と深いように思われた。


 ドジョウの化身である吉が、かの少年に再会したい。と決意したのは三日前のことである。

 吉には恨みを持つ男があった。それは吉の家族を殺した男である。

 ドジョウの仇討ちなど聞いた事もない。しかし、家族を殺された恨みに人もドジョウもないだろう。殺してくれようと挑んだ彼女の代わりに、見知らぬ少年が仇を討ってくれた。

 どのように罪を降したのかは分からないが、ただ彼が仇人を食い殺したことだけは確かである。

 その時はあまりの恐怖に逃げ出したが、礼も言っていないことに気がついた。

 かの少年はどこの子かも分からない。ただ出会ったのは吉原の近くである。息を潜め水にも潜り、出会いを待った。

 その甲斐あってそれから、二度ほど見かけた。綺麗な女や、男と共に歩く姿を見た。

 彼らは親子には見えない。しかし、家族のようであった。

 礼を言うために幾度も声をかけようとしたが、そのたびに挫けた。今日になって、ようやく家族らしき男に声を掛けることができたが、それでも吉にとっては必死のことである。

(またやっちゃった……)

 噂によると彼らは吉原の中で幽霊屋敷を開いているらしい。一度そこへ向かい、今度こそ礼をきちんと言わなくては、と吉は思う。

(今度。じゃだめ。今じゃなきゃ)

 だから彼女は勇気を振り絞って、吉原の奥を覗くことにした。


 少女の姿では入ることもかなわない、それが吉原の奥だ。花の提灯が飾られた、その門の奥に入るには少女の姿ではむずかしい。彼女は思案の上、ドジョウの姿に戻る。

 ぬるりとした身体は黒く、水に潜ればまず人には見つからない。吉原に注ぐ川の流れに乗り、辿りついたは華の町。

 白粉の香りと赤い光に目を回しながら、川をいけば、下手な文字で「幽霊屋敷」書かれた小屋を見つけた。

 人の身に化け直し、そうっと覗こうとすると、小屋の木陰に人を見た。

(……!)

 それは見知らぬ男である。少年でもなければ、先の男でもない。人相も悪い彼らは、小屋をのぞき込みながら、何やら囁きあっている。

 それがあまりにも異様な空気なので、吉は息を潜めて近づいた。

「どうする」

 男達は語る。それは短い言葉だが吉にも理解できる。男達は、小屋に火を付けようとしてる。

(た……助けなきゃ)

 足音もなく潜み近づくのはお手の物だ。背まで近づいても、男達は気付かない。ぐっと息を飲む。震える手を伸ばすと、それはドジョウのヒレとなる。水に濡れたそれを、男達の背に、打ち付けようと。した。

「お嬢さんが手を汚すことは、ありません」

 影が揺れた。それはまるで小屋の壁からするりと抜けたようであった。例えるのならば黒い霧だ。黒い影だ。それはぬるりと現れ、男達の上を包む。

 思わずへたり込む吉の前で、男達は声もなく、消えた。

 残ったものは、小さな血だまり。そして、口を拭う優美な男だけであった。

「あらまぁ、腰が抜けてしまいましたか」

 彼は優しげにそういって、手を差し出した。驚くほどに白い手である。

「……あ、あなたは、いったい何者なのです」

「私は長く生きて忘れてしまった」

「この、幽霊屋敷は……」

 男は優しく吉を抱き上げた。近くで見れば、心が蕩けそうに美しい顔をしている。

「あの子達は皆、可哀想な子なのですよ」

 いきましょう。と彼は言った。そして吉を抱き上げたままの格好で、吉原の出口へと向かう。

 賑やかな嬌声と明るい光の町だ。しかしそのせいか、そこにある影や闇はいっそう深い。

「長く生きる間に私は色々なものを見てきました。例えば、あなたのように、人に化けるものや幽霊も。知っていますか人もドジョウも、恨みを残して逝くと、たちの悪い物になる」

 吉は思い出した。あの少年が仇を討ってくれた時、確かに影に角を見た。高い笑い声も聞こえた。人を殺すことを楽しむ声であった。

 しかし吉に対する彼は、どうしたって純真であった。

 誰にも救われず闇に飲まれれば、あの子は恐らく鬼となった。

「あなたが、あの男の子を救ったの?」

「救うなんてそんな大げさなこと」

 彼は笑った。彼もまた大いなる闇を背負っている。しかし、ぎりぎりのところで足を留めている。そんな気がした。

「側に留めることができればと、そう思っただけです。長く生きる間に、哀れと言う言葉を知ったのです。誰も、自ら狂った世界に進みたくはないでしょう。ただ、恨みがそうさせるのならば哀れです」

 吉を地面に下ろしながら彼は語った。吉は自分の手を眺めて、思い出した。かつて仇を討とうと誓った時、吉もまた狂っていた。この手に刀を持って、相手を殺すことばかり考えていた。

「誰だって、一人で生きるのは寂しいでしょう」

 男は微笑んだ。吉の胸がぐっと、いたむ。寂しい。その言葉が吉の胸に刺さった。

 化け物である以上、寂しいなどという感情を抱いては駄目だとそう思っていた。

 しかし、寂しいとそう言ってもいいのだ。待つ人の無い川へ戻り、一人で泳いだとき、頭上に見える月を眺めて湧き上がる感情を、寂しいという言葉で語って良いのである。

「私……知ってます。あなたに似ている人を」

「似ている人がいますか?」

「私の住んでいた川のフチに小さなお堂があるの」

 男の手は冷たいが、不思議と恐くない。近づきがたいが、恐くは無い。それを、吉は知っている。

「観音様というのです」

「アァ、うれしい事を」

 男は呵々と笑い、吉の頭を撫でる。

「でも、そろそろさようならですねえ」

「え」

「長くここに居すぎました。幽霊屋敷は閉店ですね。そろそろ、周囲に目を付けられはじめた」

 男は言う。先ほど小屋に火を付けようと企んだ男達は、けして珍しい客ではないと。吉原の一角で商売を営む以上、色々と金がかかる。それも大金だ。

「もちろん決められた額は納めていますけどね。私達のような異端を見ると、ああして強請がでるのです。もちろん今のように……」

 彼の目がすっと細くなる。それは蛇のようにも見えた。

「食べることもしますけど、やり過ぎるとやはり目立つ。それに、私一人じゃ食べきれない。小屋の子たちには、こんな汚い物を食べさせたくありませんし」

「お金……」

「それでも私達はここで商売するのが楽しかった。何故か分かりますか」

「……どうして?」

 男は腰を落として吉の顔を覗き込む。

「闇が深い場所だからです。こんなに明るいのに、闇が深い。闇が深ければ泣く人も多い。あなたのようにね。そんな人を救うことができる。この場所だからこそ、です。しかし……」

「お金が?」

「売上げは正直な話、それほど多くはありません」

 だからもう、ここに長居はできないと彼は言う。

「鬼子……あなたが男の子と呼ぶ子のことですが、彼への御礼は私からしておきましょう。すぐに別れるのに、あわせるのは酷ですから」

「どこへ……どこへいくのです」

「さて。いずこなりとも」

 さようなら。男はいって吉原の出口から吉の背を押す。二三歩たたらを踏んで、吉は耐えた。去ろうとする男の手を掴む。男は驚いたように目を見開いた。

「待って。それなら私が……あなたをお助けします」

 

 吉が男を連れていったのは、川の上流だ。その水底には美しい石がいくつも散っている。ここは昔から人々の信仰の地である。

 美しい石は、人々が投げ込んだものである。美しい川に潜り、一つ掴んだ吉はそれにフウ。と息を吹きかける。

 ……と、そこに現れたのは小判である。闇の中でも分かる、黄金の小判だ。

「なんと」

 男が目を丸める。吉の差し出した小判をあちこちから眺めて、そしてため息を付いた。

「驚いた」

「私には人に化ける他にこの技を持っています。と言ってもこれまで何の役にも立ちませんでしたが」

 これが何枚あれば良いのか吉には分からない。ただ百枚必要というのなら百回でも息を吹きかけよう。と思う。

 息が絶えるまで吹きかけてもいい。それが彼らを救う事となるのであれば。

 男は目を見開いて、それを見た。

「これがあれば、助かります。貴方になんと御礼を言いましょう」

「御礼なんて。ただ」

 真面目に頭を下げる男の手を握り、吉は震える声で呟いた。

「私をあなたの仲間に、入れてください」


「まあまあ、皆さんもうお眠りですか。お早いことで」

 座長がのんびりとした声で幽霊小屋に戻ってきたのは、明け方のことである。

 すっかり眠り込んでいた鬼子は轆轤に蹴り飛ばされて目を覚ます。

「おぃ、あにぃ。なんだいこんな明け方に。しかも昨日は仕事さぼりやがったな。おいらたちには逃げるななんて言っておいて自分は急に姿を消しやがって……ん?」 

 眠い目を擦り擦り起き上がれば、闇の中に爽やかな座長の顔が見える。その隣に小さな影も見える。

 片目の潰れた小さな顔の、幼い少女。そこに立っているのはかの、ドジョウの娘ではないか。

 二人は仲良く手など繋いでいて、鬼子の中にかすかな妬心が目覚める。そんな目覚めに彼自身が戸惑った。

「お、おいお前。なんだ、おい」

「座長、ちょっと説明してもらうよ。どうしたの、女なんか連れて。何、座長はそんな子がお好きなのかい」

 火鉢を抱えて眠っていた轆轤は細い眉をつり上げてきいきい怒鳴る。伸びかけた首を鬼子が必死に押さえた。

「馬鹿、轆轤姐、ちげえよ、この子は」

 川辺で見つけた、気の弱いドジョウの娘は鬼子を見てにこりと笑った。愛らしい笑みに、鬼子はぽかんと口を開けることとなる。

「おい、あにぃ。説明しろよ……まさか、この子に手を出して」

「……吉と申します」

 彼女は頭を下げた。先日見かけた時の、気弱な顔ではない。しっかりとした意思を持つ顔だ。

 ……先日までの彼女は孤独に押しつぶされそうな顔をしていた。しかし今は、確かに笑っている。

「皆さん。ご紹介しましょう。新しい家族が増えました」

 座長がご機嫌に微笑んでいる。その背が吉の背を押して、彼女は頬を赤く染める。

 座長はまるで、我が娘でも見るような目。わざわざ腰を落としてその耳に、何やら優しく囁きかけた。

「……鬼子、初恋は実らないってね」

「姐さんこそ、年増の嫉妬は醜いぜ」

 三つ指を揃えて座る幼い彼女は首を傾げて二人を見る。そして続いて天井を見上げた。

「あら、そこにもいらっしゃるのね。どうぞ……よろしくお願いします」

 天井に住み着く武士は、照れたのか情けなくもじたばた蠢き、聞こえるか聞こえないかの声で。

「うむ」

 とだけ言った。歴戦の怨霊と噂に聞いたが情けの無いことだ。と鬼子は思って爪を噛む。

 そして吉の目線から目をそらし、わざと素っ気なく言い放つ。

「なんでい。どんなやつでも新しいのが増えれば、幽霊屋敷も賑わうぜ。なあ。百鬼夜行にゃまだ足りねえが」

「あと95人ほどでしょう? あっという間ですよ」

 座長はのほほんと、そんなことを言う。

「いつかは百鬼夜行の列を成し、この吉原を驚かせてあげましょう」

 幽霊屋敷を飛び出して、吉原の空を大地を水の中を、化け物が進む。大声で歌いながら踊りながら化け物の本性を剥き出しにして。

 人は驚くだろう逃げ惑うだろう。しかしそれが彼らなりのお披露目だ。どこの太夫よりも、きっと見事に歩いてみせようと、五人は顔をつきあわせ意地悪く笑った。

 外には、ゆるゆると朝がくる。 闇を背負った吉原に、ようやく朝日が昇りはじめたのである。

 朝日を感じて鬼子は欠伸を噛みしめる。

「まあいいや、とりあえず今日はもう少し寝ようぜ」


 幽霊屋敷が開くは夜。それまでは彼らにとっては眠りの時間。だから妖怪たちは今宵も夢を見る。

 それはいつか訪れる、百鬼夜行のらんちき騒ぎ。

 鳴り響く鐘の音が聞こえたようで、鬼子の顔に笑みが浮かんだ。

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