女神の懺悔(1)
あけましておめでとうございます!
半年、一年以上も更新せずに申し訳ありませんでした。
更新早々、駄文ですがお時間があるときにでも読んでいただければ幸いです。
女神の名はシェリリアール。空のように澄んだ瞳、海のような深い髪色を持った女神は任された世界に降り立った。
そこに後に人となるものはおらずただ乾いた大地が延々と続いているだけだった。
「……あの方もまぁ、私にこんな世界を任せたことだ。」
自身よりも上位の存在である最上位の神は世界、と呼ばれるものに神々に管理させている。そこで何をするのも神の自由だが世界を壊してはならない。
――殆どの神々は与えられた世界を守り慈しんだ。
しかし、神にも荒れくれ者や破壊衝動を持つ者もいる、そんな者は世界の任から外され、無に還されてしまうらしい。
実際、私がこの世界を任されたのも前にこの世界を担当していた神が殺戮神と呼べるほどのことをして世界を、地上に命を宿していたもの全てを壊し、踏みつけ、消し去ってしまった。それ故にこの世界から外されたのだ。
「さて、あの殺戮神はどうなったことやら……」
ふと口に出しても答えてくれるものは誰もいない。
――淋しい場所だ。
ならばひとつ、創ってみよう。
私が退屈しないように、生き物が自然の摂理に沿って生きれるように。
ゆっくりと乾いた地に足をつける。
「さぁ、唄え。自らの生命を」
私の足が触れた乾いた地面に緑が芽生えた、その瞬間勢いよく草が、樹が、花が、瞬く間に辺り一面の乾いた地に潤いとともに新緑をもたらす。
地鳴りがやんで見える範囲では生えてくる草木も無くなったようだ。
でもまだ足りない。まだ何かが欠けている。
指先を噛み、溢れた血を一滴、もう一滴と地面に垂らすと川ができた。やがてその川の流れは急になり、川幅は広がり、海となった。
「……流石に疲れた」
今はこれくらいにしよう。また今度、何かを創ろう。
私だけの世界なのだから、慈しむべき世界に満ち足りた幸福を水のように絶え間なく与えてやりたい。
私はそっと回復のための眠りについた。
次に私が目覚めたら、世界のかたちは変わってしまっていた。
行動する生き物、と呼べるものはまだ創っていなかったはずなのに、いつの間にか地上を、海中を移動し他者を食らいより強いものへと進化する生物が蔓延っていた。
「……すごいな。これは」
そして、私は一つの生命の、種族の誕生を目撃したのだ。
海に漂う小さな小さな微細物が容を変え始めたのだ。思うように進まない、上手くいきそうにないその成形にやきもきして私はつい、力を与えてしまった。
――それが、人の始まり。
私が知る中で最も賢く、愚かで、愛しい、いきもの。
人の進化は速かった。
まだ海の中を漂う微生物だったのに、瞬きをする間にいつの間にか海からはい出ていた。容はまだ歪なものだが確実に少しずつでも地上で生きられるような機能を備えていった。そうして、人が人となりうる定義が定まり、はじまりの人が誕生した。
集団をつくり、村をつくり、王をつくり、国をつくる。
発展していく人に興味と期待を抱いたが、同時に落胆もした。
――人は強欲だったのだ。
他人の領土を、食料を、そして時には人さえも我が物にしようと略奪していく人は生きている生物の中でも浅ましく欲にまみれていた。そして、私がこのままでいいのかと考えていると人は世界さえも壊しかねない争いを始めてしまった。
――これは、まずい。
人だけが滅びるなら致し方ない、それが人の運命だったのだ。しかし、世界まで巻き込まれるわけにはいかない、私は人の容を模してある国の、国王と呼ばれるものがいる場所へと降り立った。
私が降り立った瞬間に誰もが息をのみ、そして言葉を失った。
私は閉じていた瞳を開けると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「我が幼子たちよ、争いをおやめなさい。それがこの世界の創造主である私の、女神シェリリアールの願いです。」
私の容の彩色は私自身の彩色をそのまま模したもので、この世界で生きていくには不向きなのだろう、はじまりの人は私の彩色をそのまま受け継いでいたが世界に生きている人にどんな形であれ彩色を受け継いでいるのは5つある国の中でもこの国の王族と呼ばれる者たちだけなのだ。
目の前には、目を見開いて私を見る国王。そしてその後ろにひっそりと佇み私を私と同じ彩色の瞳で視線を向けるのは、この国の妹姫。彼女は何も映さぬ瞳で私をじっと見つめた。
あぁ、面白い、この姫にしよう。
――この妹姫に、世界の命運を。
――そして、私の愛し子としての力を。
そっと彼女に微笑みかけてやると彼女は国王に視線をやり、何かを求める。国王はひとつ頷き彼女に何かの許可を出す。そのような決まり事すらも既に固定化され、身についているものだというのなら人というのは短い一生の中でどれほどの時間をかけて世界に破滅以外の何かを刻んでいるのだ、と私はそれをとても興味深いことだと感じた。
姫が私の前まで歩み出て、片膝をつき首を垂れる。
「姫の名は」
「――シェアリール、と申します。」
「シェアリール、か。惜しくも似たような音。……気に入りました。シェアリール、面をあげなさい。」
ゆっくりと、顔を上げた彼女の瞳に畏怖と敬愛、そして覚悟が見て取れた。
それがまた私の何かを刺激して、微笑む。
「では、シェアリール。そなたに私の力を与えましょう。この国に降りかかる戦火を振り払えるだけの力を。そして争いを沈め、世界の平穏を保ちなさい。」
「――貴女様の御心の思うままに」
にこりと彼女に笑いかけ、彼女に祝福を送った。
妹姫に降りかかる光の雪は兄と同じ彩色だった艶やかな黒髪を触れた場所から私と同じ彩色に変えていく。周りにいた者たちが感嘆の息を漏らす中、一人だけ、兄王だけが哀しそうに妹姫を見ていたことが何故なのかはわからなかった。
祝福が降り注ぐ間ずっと目を瞑っていた妹姫が瞳を開けて、私を見つめる。
「シェアリール、頼みますよ」
彼女が小さく頷いたのを見て、私は実体を霞の様に消していく。
「貴女が私を必要とするときにはいつでも現れましょう。」
そっと、彼女だけに囁いて。
その言葉に彼女は瞳を何度か瞬いて、それから懇願するように口を開けたが何も発さなかった。
そして私の実態が完璧に消える直前に、小さく手を伸ばした。
その伸ばした手にどんな思いが込められているのかは私にはわからなかった。
そうして、シェアリールは私からもたらされた力を国々の統一のために奮った。彼女に力を与えてから人の月日で一年という時間で戦争は起こった。自ら前線に立ち剣を、指揮を振るうようになった彼女は随分と変わってしまった。勇ましく、強い、女神の加護と力を持った妹姫は神子として人から、人として認識されなくなった。
幸か不幸かその認識が周囲の国を震え上がらせ、ある国は武力で降伏させ、ある国は取引で傘下に下ることを約束させ、ある国は無条件に白旗を上げた。そうして、妹姫は神子と持ち上げられ、彼女の兄が治めていた国が周辺国3つを統一し、残り二つの国とは条約を結び友好関係を築いた。
シェアリールに加護を与えてから十年ほどで統一を果たしたのである。
私はこれで争いで人の命が儚く散りゆくことがなくなると歓喜した。
だから、シェアリールの前に姿を見せたのだ。戦の時のように声だけではなく目の前にいるとわかるほどの実体をもって。
「シェアリール!貴女は本当によく戦ってくれました。本当にありがとう。」
「シェリリアール様……。」
姿を現した私を見て彼女は瞳に涙をため、ゆっくりと崩れ落ちる。
慌てて彼女を抱きとめようと手を伸ばすが、彼女の体をすり抜けていく手。
あぁ、私はまだ人に触れることのできる実体が持てないほどの力でしかないのだ。
今、悲しみに暮れる彼女をこの手で慰めることができないことに私は何とも言えない想いというものを初めて感じた。
「……シェリリアール様っ!なぜ、なぜ、ッ私は……!」
顔を覆った掌から零れるように苦悶の声をあげて私に問いかける彼女からはいつもの凛とした仮面のようなものが消えていた。
そして、慟哭する彼女はずっと胸に秘めていた隠し事を私に懺悔するように話し出した。
「……兄を、あの人に、恋焦がれているのです……!この血濡れた手をいつもいつも、ありがとうとすまないと、感謝と謝罪を繰り返しながら握る兄を、慕っているのです。もう、ずっと昔から……!兄だけは、あの人だけはまだ私を人として妹として……あい、してくれている。」
はらはらと涙を流し、切なげに顔を歪める彼女になんて言っていいのかわからない。私は彼女が抱くような感情を理解することは出来ないのだ。これでもまだ、彼女の隣で世界を見て想いを真似て、人の抱く感情として理解することは出来るようになったのに。
私は、彼女の、シェアリールが抱く苦しそうな、それでいて大切そうに抱えるその感情が分からないのだ。
困惑する私をよそに彼女は堰を切ったように止まらない。
「私と兄をつなぐ、彩色を変えてくださったこと、兄の役に立てる加護と力をくださった事、私にシェリリアール様の愛し子として見守ってくださった事、感謝しています。たとえ、それで人の命を奪うことになろうとも……!私とあの人をつなぐ血の楔を外してくださったとき……私は、歓喜にあふれたのです。」
――あぁ、なんて痛いのだろう。
なぜ痛いのかはわからない。シェアリールが泣いているのを見ると、とても痛いのだ。
彼女を私の愛し子にするときに彼女と他者の血の繋がりを薄くしなければ私のチカラは人には馴染まなかったのだ。だからこそ、彼女の容姿を変えたあと、二人きりになったときに了承と許しを請い彼女の人として流れる血潮を神に似せたものに造り替えたのだ。
その時、彼女は一粒涙を流しただけだったのに。
「……けれども兄が、あの人が、もうすぐ正妃を迎えるのです。」
悲痛なほど、彼女の声は平淡だった。
けれども、想いは痛いほど伝わってくる。
―――兄との、血の鎖はもうないのに、何故、私は妹なのだろう……!
声なき声で、彼女が心で涙を流しながら訴える。
「私に、夫となる男を宛がっていいのか臣下たちは悩んでます。私を人として穢してもよいのかどうか。」
哀しい、辛い、苦しい。
彼女の想いが痛々しいほどに私に流れ込んでくる。
私は彼女と寄り添う中で彼女の想いを理解できるようになってはいるのだけれども、感覚としてそれを捉えることができない。
「シェリリアール様。私が純潔を散らせばこの力は失われるのですか?」
「……そんなことはありません。例え、貴女が純潔の乙女でなくなったとしても私の愛し子であることには変わりはないのですから。」
「……そう、ですか」
彼女はそっと目を瞑って、何かに耐えるように手を胸の前で握った。
あぁ、その姿を何度目にしたことだろう。彼女の祈りを捧げるその姿は決して私にだけ想いを述べているわけではないのだ。
「……シェアリール、貴女が望むのなら私は貴女の力になりましょう。」
それ以上、彼女に辛い思いをさせたくはなかったのだ。
ただ、その一心だったのだ―――……。