優しい時間 7
更新が本当に久しぶり過ぎて申し訳ありません。
人間は自分達の力で考え、理解しなければ成長に繋がらない。又、考える事を放棄し、誰かに全ての指示を仰げば人形や傀儡となり、程度の差こそあれど、結局は悲惨な末路を歩むという事を大人である自分達が、なにも知らない子供たちに「自分で悩み、考えて行動しなければいけない。だけれども、分からないままにせず、行動し、出来ない事に気付いたなら大人は手を貸してくれる」と理解させなければいけないのだ。
ぶっちゃけ、王族として生まれたからこそ、馬鹿だと民に思われたら、人生終了だろう。何故って?
例えばなしをしよう。現代日本において「幸せになりたい」と願うならば、世知辛いが、現金が少なからず必要だ。その為に会社に入り、賃金を求めて必死に努力しているのに、社長が社員の事を顧みずに私事で散財したとなったら、労働省や株主総会などで声を出して、「トップを変えろ」と訴えたくなるものだろう。
そう。見切りをつけたら排除に動きたくなるのは日本人だけではない。肌の色や文化の違いはあれども、シンプルに、「人間なら当たり前」と言い切っても過言ではないはずだ。
その方法が過激であればあるほど、バカなトップは肉体的、社会的、精神的、と死にも色々あれども、避けたい現実へと確実に近付く。
いつまでも事実と好奇の目と悪意の言葉にさらされ、針の筵にのせられる為、「いっそ、(肉体的に)殺してくれ」と言いたくなるだろうぶん、社会的死が私としては一番嫌だ。叫べば叫ぶほど、虐げられたられたり煮え湯を呑まされた者たちは「ザマアミロ」と笑いながら、決して終わらせてやる事はしないだろう。
可愛らしい子供達に躾をせずに、ただただ甘やかしたりして育てることを放棄し、そんな悲惨な道を歩ませたい大人がどこにいるもんか。だからこそ私は言う。
「ラン君、リーン君。素敵な考えをありがとう。二人はこの素敵な考えを早く教えたいな〜って鏡を持ってきちゃったんだよね?」
「「……うん。ごめんなさい。じいちゃま」」
ラン君とリーン君はしょんぼりと項垂れながらサンタさんに謝った。
「わしのか!?」
「「うん」」
思わずといった感じで零れる確認の言葉に素直に頷くオーシャンの子供たちと目を合わせながら、静かに再び問いかける。
「何が悪かったのか、なんで怒られると思ったのか、ラン君とリーン君はもう分かるよね?」
アルゴス君とマルケス君も、声こそ出さないまでも、真剣な眼差しのままに力強く頷いている。
うん。アルゴス君とマルケス君も少しづつ大人の階段を登ってるね。
ラン君とリーン君もフォレストの子供たちに負けず劣らずの真剣な眼差しで私に、頷いてから口を開いた。
「うん。居ないからラッキーって、勝手にじいちゃまの部屋に入ったこと」
ラン君の言葉にリーン君がちょっぴり震える声で続ける。
「じいちゃまの鏡をダメだよって言われたのに使ったこと」