一章九 『そこに未来を見たから』
「──あレ?」
ピエロの着ぐるみを容赦なく千秋は斬り伏せる。
血しぶきが宙を舞うものだと思われたが、その読みは盛大に外れることとなった。
「おかしいナ、動けル痛みハ超えてるでショ?」
「──綿?」
中にいる存在の痕跡を微塵も感じさせることなく、その巨体からは、メルヘンな印象を与える色の綿が溢れ出した。
腹を思い切り切り裂いたはずだが、男の痛覚はまともに機能していないのか、痛みに顔をしかめることすらなく、こちらに追撃を仕掛けてくる。
「──っ! 分が悪い!」
刀と魂がやっとリンクし、本来の力が引き出される。治癒能力が莫大にランクアップし、へし折られていた両足の治癒が始まった。
しかし、千秋は知る由もないことだが、刀のリソースが治癒能力に割かれているせいで、身体能力の方の強化が弱い。
そのせいで、ただでさえ本調子でない重体の体を引きずり、千秋にとっては原因不明のトラブルを抱え、戦わなくてはならないのだった。
「すごいなア、よく動けるねヱ」
「──! ぐ、っ⋯⋯!」
動体視力が追いつかない。
目の前から飛んできたタイヤを避けきれず、顔に張り飛ばされるような痛みが走る。
怪我が癒えない限り、刀は、千秋の身体能力を強化してはくれない。
刀にとっての優先事項が、千秋とズレているのだ。
「どうして⋯⋯!」
恨み言が口からこぼれる。
その間にも、『怪異』は、千秋に向かって攻撃を続ける。
回転木馬が異常に加速し、千秋の体に打ち付けられる。
嫌な音とともにあばら骨が折れ、その奥の内臓が悲鳴を上げる。
「────っ!」
「うーン、可哀想にねヱ。中途半端に治るから辛いだろうニ」
地面に倒れて瞳を見開く千秋を見下ろし、『怪異』がそう眉を下げる。
──うるさい、バカ。
本当はそんなこと思っていないくせに白々しい。
可哀想と思うなら死んでくれ。
千秋の、大切な人たちを害する前に。
「──まだかかりそうかナ」
言葉とともに、観覧車などの設備の鎖やワイヤーが伸び、千秋の体を激しく圧迫する。
呼吸困難に陥り、視界が白く染まる。
まだ、治らない。
最初の傷は治っているのに、その次の怪我の治癒に刀の力を使われている。
「ねヱ、刀を渡してヨ。そうしたラ、キミの命は奪わないかラ」
『怪異』の言葉に耳を貸さず、千秋はなおも瞳に闘志を灯す。
ワイヤーを自力で脱出し、着地しきれずにまた足の骨が折れるのを感じながら、地べたに這いつくばる。
『怪異』を睨みつけながら、回復時間を稼ごうと、口を開いた。
「──どうして」
「──ン?」
「どうして、そんなにこれを欲しがる? そんなに価値があるもの、なのか」
千秋の言葉に、『怪異』は目を瞬かせると、
「あレ、知らなかったノ? それハ、手にするだけデ、どんなに努力しても手に入らないほどの力を授かれル」
「──手にするだけ、で」
「あレ、違っタ? おかしいナ、僕はそう聞いてるんだけド」
──違う、はずだ。
だって、ミツルギは、千秋が適合したと口にしていた。
あの場で、ミツルギがそんな嘘を付く理由がない。
だから、きっと、それは嘘じゃない。
「──それは、人間でも、そうなのか?」
「どうだろウ、人間はそもそモ、その刀を持ったら体が耐えきれないはずなんだけド⋯キミ、本当にただの人間?」
『怪異』が瞳を細めて、踏み込んでくる。
まずい。まだ刀がリソースを治癒に裂いている。
頑張って話を引き伸ばしたつもりだが、足りなかった。
「ぐ、っ⋯⋯!」
首を掴まれる。
触れられた感触が冷たくて、相手が死んでいるのだと実感する。
そして、そんな冷たさとは裏腹に、締められた首が熱い。
「なんで刀を渡してくれないノ? キミにはいらないでショ?」
──そうだ。
なんでこんなに、手放したくないのだろう。
両親の形見だから?
たしかにそうだけど、今までだって、一度もそれを考えたことがないわけじゃなかった。
倉橋は千秋に何かを隠していて、でも、聞いたらきっと教えてくれる。
だから、知らないことを知るのが怖くて、知らないフリをしていた。
そうだ、ずっと、千秋は勘づいていたのだ。
──なら、どうして?
それは、
「──はじめて、だったんだ」
『怪異』の瞳が、瞬く。
「遠慮とか配慮とか、そういう、温かいけど、さみしいものがない話をしてくれた人」
そう、千秋はいつも、その2つが寂しかった。
倉橋はいつも優しいけれど、どこか距離があった。それは、倉橋のせいではなくて、千秋の心持ちのせいでもあったのだけど。
雷斗たちは、割と千秋に遠慮がないけど、それでも、やっぱり、優しいから、千秋の前では家族の話をしなかった。それはただの優しさで、嬉しかった。でも、やっぱり、遠く、感じてしまうのだ。
けれど、
「──ミツルギは、そういうのがなかった。だから、うまく、言えないけど⋯⋯」
刀の色が、変わる。
それは、濃い青色。
海の底のような、どこまでも広がる可能性を孕んだ色だ。
「──刀は渡さない。俺にとってすごく大切な何かがきっとこれにはある。──それに、」
刀を握りしめた。
心做しか、治療速度が加速する。
「嫌だって言われても、友だちになりたいんだ。なれる、気がするから」
刀を、振る。
まだ治癒に力を持ってかれているから、千秋の元の腕力だけで『怪異』の首を切るために。
「なにヲ⋯⋯」
「謝らなきゃいけない。──だから、どいてくれ」
『怪異』が、千秋の首を握りつぶそうと手のひらに力を込める。
だが、その圧力で耳から血が溢れようが、千秋は刀に込める力を緩めない。
──諦めなければいい。
成功するまで続ければ、絶対に成功するから。
「──ご、ふ」
口から血が噴き出そうと、切る。
絶対に。
ミツルギに、謝りに行きたいから。
「──そんナ、人間なのニ?」
「──っ!」
瞳を見開いて、刀を握る両腕に渾身の力を込める。
そのうち、心拍数と体温が著しく上がっていき、アドレナリンがありえないほど分泌される。
「斬る、斬る、斬る──!」
首の骨がへし折れ、痛みで片腕はすでに力を放棄している。
にもかかわらず、千秋の脳裏にあったのは、ただひとつ。
──あのとき、一瞬だけ悲しい顔をしたミツルギへの、罪悪感だ。
「そんナ、ありえなイ!」
「──斬る」
そう、吐息だけが先行するように口先を突いて出た。
その、とき。
「──ぎ、あ」
自分のものではない声が、途切れた。
と、同時に、目の前にあった憎たらしい顔が、綿を撒き散らしながら、ぐるんと宙で一回転し、ごとんと地面に勢いよく落ちた。
その瞬間、紫に染まっていた気持ちの悪い世界が、見慣れた鮮やかな世界へと回帰する。
刀が、折れている骨と潰れた内臓を急速に直しながら、髪と瞳を先にもとへ戻す。
そして、次の瞬間、
「うわっ!?」
刀が、ふわりと宙に浮く。
刀を握りしめたまま腕を引っ張られる形となり、折れた肋がズキンと痛んだ。
が、刀はそのまま千秋ごとどこかへと移動する。
「えっ!? ま、待って⋯⋯」
どこへ行くのか千秋にはわからず、だが刀を手放すわけにもいかないため、そのまま刀にされるがままとなる。
すると、
「──ゴンドラ⋯⋯」
あの時、雷斗と千秋が乗っていたゴンドラの前で、刀が止まる。
「──寝てる?」
おそらく、遊園地全体があの『怪異』の結界に巻き込まれ、雷斗たちは意識を落とされていたのだろう。
つまり、
「こっそり戻れば、ばれない⋯⋯」
刀に扉を開けてもらい、こっそりとゴンドラの中に入る。
すると、雷斗は眉をひそめたまま、夢の世界を彷徨っていた。
「ありがとう、ここまでつれてきてくれて」
刀に向かって礼を言えば、刀が僅かにひかり、
「──ん、」
「──! 雷斗」
「あれ、俺寝てたか?」
「──うん。でもまだ頂上だから大丈夫だよ」
雷斗が目を覚ましたので、反射的に鞄の中に刀をしまった。
目を覚ました雷斗は直前のことを覚えていないのか景色に目を向けている。
そして、
「──ミツルギ⋯⋯」
千秋は、さっきとは違う気持ちで、景色を見ていた。




