一章六 『少女は鏡を疎む』
「──玄関には、いないみたい⋯⋯」
「そのようだな。この妖気の分散の仕方から見て、触媒を使う型であろうが」
「触媒?」
「嗚呼。わかりやすく言うなら⋯⋯ワープを可能にするアイテム、か?」
「ミツルギってカタカナ使えたの?」
「多用はせんがな」
そんな事を言いながら、階段を上り、妖気の大元を探す。
と、
「おい」
「え」
「気配が近い。刀を握れ」
「──! わかった」
千秋は、肩にかけた学生鞄へと手を突っ込んだ。
教科書やノートが無造作に押し込まれた、どこにでもあるような鞄。
ただ、その奥に、場違いな雰囲気を放つ一刀がある。
紙の角を押しのけ、筆箱を掻き分け、指先がそれに触れる。
鞄の中に、乱雑に投げ込まれていた刀。
千秋はそれを掴み、ぐい、と引き抜く。
ノートの束がずれ、鞄の口が大きく開く。
日常の象徴のような学生鞄の中から、明らかに異質な存在──特異な雰囲気を放ち、一刀の刀が姿を表した。
「ぞんざいに扱いおって⋯⋯よく入ったな」
学生鞄を見たことがあまりないのか、ミツルギがそう言って鞄を弄る。
「うん。刀の長さ、俺が念じれば変わるみたいだから」
鞘から刀身を抜き、感情を込める。
今、最も心に浮かぶ感情は──
「──あれ⋯⋯?」
「──! 避けろ!」
瞬間、ミツルギの叫びが耳をついた。
千秋も、すぐに顔を上げて、事態に気づく。
正面にあった鏡から、無数に影が伸びていた。
細く、長く、指の形をしたものが、絡まり合い、蠢きながら、床を這い、壁を伝い、こちらへと迫る。
それをなんとか避けようと、身を捩ったが、
「──ぐ、うっ」
すぐに、首を絞めあげられる。首を掴む力は容赦なく、気道を押しつぶすように締め上げてくる。
同時に手首を掴まれ、足首を縛られ、関節が軋むほど強く引き止められる。力を込めてもびくともしない。
頼みの綱である刀も、魂と共鳴しなければ、ただの刀だ。
喉は締まり、肺は空気を求めて痙攣し、視界の端が暗く滲んでいく。
刀を握る指先さえ、思うように動かない。
「──か、は」
「何をしている! たわけが⋯⋯!」
その時、横から、ミツルギの蹴りが飛んできた。
ミツルギが触れた瞬間、影は怯み、
「──きいてない」
「え⋯⋯?」
「白狐さまがいるなんて、きいてないよ⋯⋯」
それは、幼い少女の声だった。
その少女は、鏡の中にのみ、映っていた。
「き、みは⋯⋯」
「どうして? わたし、ちゃんとやったのに⋯⋯」
鏡の中の少女は、泣いて、泣いて、そして──
「おい! 刀で鏡を刺せ!」
「──!」
涙を具現化するが如く、鈍く光る銀の手がこちらへと伸びてくる。
それを、
「────!」
すんでのところで、刀の色が変色した。
それは、澄み切った橙赤だった。
「邪魔!」
髪と瞳も変色し、眉が吊り上がる。
ためらいなく鏡を叩き割り、刀を構えた。
「ひどい、いたいよ」
「──殺そうとしておいてよく言うな」
割れた鏡の奥の少女を睨みつけ、千秋は警戒を解かない。
見た目は、普通の人間だ。
ただ、纏う空気は、その限りではなかった。
「ミツルギ、こいつは⋯⋯」
「──気配から見て、強力な怪異から力を分け与えられている霊体──といったところか」
「──そうか」
怪異と幽霊、それから妖の違いは何なのか聞きたかったが、今はそれどころではない。
今は、目の前の怪異を祓うことにのみ注力すべきだ。
「────」
無言で息を吐き、刀を構える。
それを見た少女が、わかりやすく顔を顰めた。
「恵まれてる⋯⋯あなたは、だから、敵」
そう、少女が恨めしそうに言い、瞳が陰ったかと思えば、
「刀を放すな!」
ミツルギの、張り上げるような怒声が千秋の耳を激しく突いた。
それに瞳を見開きながら、千秋は刀を握る手に力を込め、
「──な、」
床に散らばっていた鏡の破片が歪に繋がり、千秋たちを異空間へと落とすその様を、その目へと焼き付けることとなった。
△▽△▽△▽
「──ここは、」
その空間は、例えるならば、汚れた海の底のようであった。
鏡の破片がそこかしこに散り、関連性のない景色と、止まぬ怨嗟だけが、空間を支配していた。
──まるで、空間の持ち主の、心の有り様を、はっきりと表しているようであった。
「領域だ」
「──領域?」
「怪異が人を喰らうとき、結界が大皿、領域が小皿のような役割を果たすとされている」
ミツルギの簡易的な説明を聞いて、千秋はなんとなくだがそれを理解する。
「つまり、結界は閉じ込めるためのもので、領域は、必ず殺すため⋯⋯みたいなことか?」
微妙に理解がズレていたのか、ミツルギが違うと言いたげに顔を顰めたが、
「その理解で構わん。大事なのは、結界も領域も怪異にアドバンテージが高い場所ということだ」
言い終わると、ミツルギは仮面の奥の瞳を静かに動かし、千秋の胸ぐらをつかんで後ろへ投げた。
「うわっ!? 急に何す──」
刀の影響で苛立つ心のまま、ミツルギにそう鋭い視線を向けた。
すると、
「──白狐さま、その子の味方をするの?」
千秋が先程まで立っていた場所へ、大きな風穴が空いていた。
状況から見るに、少女が攻撃を差し向けていたのだろう。
「──白狐⋯⋯?」
千秋が不可解そうに眉根を寄せれば、ミツルギは小さく舌を打ち、
「貴様は、誰に命令されている?」
「────」
「あまりにも不可解だ。連続して、同じ場所に怪異が出没するなど」
その言葉に、千秋は確かに、と顎を引いた。
昨日のことは千秋たちに非があるが、それにしても変だ。
誰かが、関与でもしていない限り。
「──人間。これ以上の問答は無駄だ、祓え」
「だから千秋だっ⋯⋯」
そう、言おうとした瞬間、
「──っ!?」
「人間!」
千秋の脇腹を、影で作られた弾のようなものが突く。
骨の奥まで振動が走り、肺の中の空気が一瞬で押し出された。
息が詰まり、声にならない息だけが喉から漏れる。
遅れて、じわりと広がる鈍痛と、脇腹の奥で内側から殴られたような重い痛みが脈打った。
足元がぐらりと揺れ、視界が一瞬だけ白く弾ける。
「いや」
「──厄介な女だ」
「消えたくない、どうしてわたしが!」
「感情的に喚くな。だから子供は嫌いなんだ」
少し距離のある場所で倒れる千秋を見ながら、ミツルギは苛立ったように舌を鳴らし、
「おい! 刀を持っていながらその体たらくは何だ! 早く動け!」
「ぅ、くっ⋯⋯」
千秋の喉から、苦しそうな呻きとともに、
「──うるさい! わかってる!」
そう、怒号が短く飛んだ。
「クソ、痛い⋯⋯! ああ、イライラする!」
涙の浮かぶ瞳で少女を睨みながら、千秋は、助走をつけて走り出す。
腹の奥が軋むように痛いが、止まれば多分もう一撃が来る。
今、あまりの痛みにアドレナリンが出ている内に、決着をつけなければならない。
刀を握りしめ、足を踏み込み、宙へ浮く。
「──っ!」
予想通り、少女の操る影が、再度千秋を狙い撃ってきた。
宙へ浮き、回避が難しい状態の胴体を貫こうと、無数に影が蠢く。
黒い指が、千秋の腹を掴もうとする。
刹那、赤橙色の刃が、弧を描いた。
落下の勢いをそのまま斬撃へと変える。
空中で振り抜かれた一閃が、迫る影の手を真横から断ち切った。
黒い腕は裂け、煙のように崩れ落ちていく。
そして、影を失って呆然とする少女の、その首元へ、刃を運び、
「──嘘吐き」
そんな、恨み言を、真正面から、受け止めた。




