一章五 『桜風に阻まれながら、前へ』
「ミツルギ」
「なんだ」
「みんなまだ起きないんだけど⋯⋯これって大丈夫なの?」
「──大方、そこの二人は妖気に当てられただけだろう。そこの男は、我が意識を落としたからな。明日には目覚める」
「そう⋯⋯無事ならいいんだけど」
刀を腰に刺し、千秋は雷斗を居間まで運んだ。
顔色に変わりはなく、ほんとうに、ただ眠っているだけのようだ。
「でも、ここでずっと寝かしとくわけにもいかないよなぁ⋯⋯親御さんも心配するだろうし」
千秋は少し考え込むと、携帯をズボンのポケットから取り出し、それをいじり始めた。
ミツルギは、それを無言で見つめている。
「──? どうしたの?」
「何をしている」
「倉橋さんっていう、俺を育ててくれてる人がいて⋯⋯その人に頼ろうかなって。迷惑かけちゃって、申し訳ないけど⋯⋯」
千秋はそのまま、倉橋に電話をかける。
ただでさえ迷惑をかけている倉橋にこれ以上迷惑をかけるのは忍びないが、千秋ひとりで、どうにかできるものでもない。
そんなふうに、眉を下げて耳元に携帯をあてる千秋を見て、ミツルギは、
「──下らん」
△▽△▽△▽
「珍しいですね、君の方から連絡をくれるなんて」
「ごめんなさい、お忙しいのに」
「いいえ。君の頼みを聞く以上に優先すべきことなどありませんよ」
「──ごめんなさい、いつも」
「いえ、お気になさらず。子供は少しわがままなくらいがいいんですよ」
家の前に、黒い車が一台止まり、その中から、メガネをかけた男性が一人降りてくる。
彼が倉橋だ。
彼は千秋を見るやいなや、優しく笑ってくれる。
それが、千秋のなかの罪悪感を刺激する。
「遊んでいたら眠ってしまわれたとは、困りましたね。私が送ってきますから、千秋くんはごゆっくり⋯⋯」
「えっ、そんな、申し訳ないです! せめて、運ぶのは俺がやりますよ!」
「──千秋くん、顔色が悪いですよ。無理をしないでくださいね」
倉橋はそう眉を下げて笑うと、千秋を下がらせた。
──また、あの顔をさせてしまった。
そんな、罪悪感が、罪の意識が、千秋の心臓を掴む。
「──貴様、あの男は親代わりではないのか」
「そうだよ。俺を育ててくれてる」
「それにしては随分と他人行儀だな」
「──ずっと、迷惑かけてるから」
千秋の瞳が、わずかに翳る。
人一人を育てるのは、簡単なことではない。
その上、千秋は昔から、体調を崩すことが度々あった。
いつも、迷惑ばかりをかけている。
「──貴様、体調を崩すことが度々あったのではないか?」
「え、今独白でそう言ってた⋯⋯なんでわかったの?」
「貴様は、刀を扱えるだけの霊力がある。幽霊を視認できるようになったのは最近のようだが⋯⋯霊力に寄ってきた低級どもに取り憑かれていたのではないか」
「──そうなの?」
そもそも、それだけ霊力があるなら、霊感もつけておいてほしいものだ。
全く、不便だ。
「──なんでそんな話⋯⋯」
「──戻ってきたぞ。応対してやらなくていいのか」
「えっ」
振り向けば、確かに車の止まる音がする。
千秋は、急いでそちらへ走り出す。
「──気にかけてくれてる⋯⋯?」
千秋には、ミツルギの気持ちが、よくわからなかった。
▽△▽△▽△
「ごめんなさい今日は、ご迷惑を⋯⋯」
「いいえ? 今日は事故が起きていたようなので、心配していたんですよ」
「──事故?」
温かい食事が並ぶ机の上。
それを囲む倉橋と千秋の間で、そんな会話が繰り広げられる。
「はい。なんの遮蔽物もないのに、衝突事故のようなものが多発したと」
「──それは⋯⋯」
千秋は、思わず黙る。
おそらく、丑の橋姫が千秋たちを追ってきていたときの、あの事故だ。
あれも、もとを辿れば、千秋に非が──
「千秋くん?」
「えっ!?」
「腰の刀、見つけたんですね」
倉橋の指先が、千秋の腰の刀を指差す。
そうだ、これについて、倉橋に謝らなければ。
「ごめんなさい、勝手に⋯⋯」
「いいえ? それは、君の両親の私物ですから。受け継ぐなら、君であるべきです」
倉橋の言葉に、千秋は眉を下げて笑う。
「──そう、ですね」
△▽△▽△▽
「おはよー、千秋ー!」
「わっ、遥斗!」
翌日、校門をくぐった千秋の背中に、遥斗がタックルをかましてくる。
その快活な笑顔には、昨日の蒼白な顔色の片鱗も感じさせることはなかった。
「千秋、俺、昨日のことよく覚えてなくて⋯⋯旧校舎って行ったっけ?」
「俺もよく覚えてなーい」
「えー!?」
遥斗が背中で騒々しくしているのが聞こえるが、千秋はそれを諌めながら校舎へと向かう。
「遥斗くん、おはよう」
「あ、萌奈!」
「はえぇな、千秋」
「雷斗⋯⋯」
萌奈と雷斗が玄関前で合流し、背中にいた遥斗が萌奈に抱きつきに行く。
「千秋くん」
「ん?」
「昨日って何があったか覚えてる? よく思い出せないの」
「──俺も、よく覚えてないんだ。何があったっけ?」
「そっかぁ⋯⋯雷斗くんは?」
「覚えてねぇ」
「そっかぁ⋯⋯まぁ、思い出せないなら、大したことはなかったのかもしれないよねぇ」
そんな会話をしながら、教室へと向かう。
嘘をついた事実に、若干胸を痛めながら。
▽△▽△▽△
「────」
桜が舞い散る中庭を見つめながら、千秋は物思いに耽る。
昨日のことが、本当に夢のようだ。
あんな、信じられないくらい現実離れした刀を手にして、それから、
「おい」
「そうそう、こんな声だっ──」
ゆっくりと、声の方を向く。
すると、
「今すぐ下へ降りてこい」
「はあっ!?」
窓の外に、いるはずのない狐面が浮かんでおり、千秋は思わず椅子から転がり落ちる。
授業中なのだから、当然、視線が集中する。
「どうした神薙、トイレか?」
「えっ? あ、はい!」
「そうか、次からはもう少し静かに申告するようにー」
後ろから笑い声が聞こえるのに羞恥を覚えながら、千秋は急いで下へと降りる。
エントランスへと出ると、ミツルギが腕を組んで待っていた。
「ミツルギ、なんでここに⋯⋯」
「なにか問題か?」
「問題だよ! 一人で話してると変な人って思われるでしょ!?」
千秋が身振り手振りで説明すると、ミツルギはようやくわかったようだった。
そして、旧校舎の方を向き、
「その話はあとだ。今は、早急に伝えるべき事柄がある」
「早急に⋯⋯?」
「嗚呼。この学校は──」
と、そこまで話したあたりで、空気が一変する感覚があった。
空気の色が変わって、
「──嫌な感じがする」
「──妖力を感じ取ったか」
「妖力⋯⋯? ってことは」
辺りを見渡す。
それは、旧校舎から濃く立ち上っていた。
昨日とはまた違う、悍ましい気配が。
「なにか心当たりはあるか?」
「えっと⋯⋯あ、そうだ! 昨日、こっくりさんしてて⋯⋯丑の橋姫が来たのも、たぶん、それが原因なんだけど⋯⋯」
そう言うと、ミツルギが、わかりやすく嫌そうな顔をする。
「命知らずにもほどがあるな。今の子供は命が惜しくないのか」
「う⋯⋯気をつけます⋯⋯」
はあ、とため息を付き、ミツルギは旧校舎に向けて歩き出す。
「行くぞ、うろちょろされては厄介だ」
「え、でも授業⋯⋯」
「たわけ。昨日の怪異は加減をしていたようだがな、怪異であれば、霊力のないものの意識をすべて落とす──そんな結界すら、容易に張れるのだ」
丑の橋姫が、千秋たちに加減をしていた。
それはなぜ。
だって、彼女は──
「余計なことを考え込むな。今、動けるのは我と貴様のみ⋯⋯それだけ理解していればいい」
「そう⋯⋯」
「それから、怪異は、災厄を呼ぶ存在だということも覚えておけ」
「え──」
「怪異は自然消滅することがある。そんなとき、強さに合わせた災厄をこの世にもたらし、その生命を散らすのだ」
ミツルギの言葉が、重く、胸にのしかかる。
「──じゃあ、絶対、祓わないと」
「そうだ。行くぞ」
「──うん」




