一章二 『引き合わせの運命』
「クソ、全然振り切れてねぇ!」
雷斗が遥斗を抱えながら、後ろを恨めしそうに睨んでそう口にした。
学校を出てからすでに10分が経過しようとしているが、なにしろ、人一人を担いだ状態で走っているのだ。
体力の減り方も尋常ではなく、化け物との距離が縮み続けている。
「雷斗!」
そして、何よりも厄介なのがこれだ。
「──クソ!」
後ろを走る化け物が、関節が軋むような不自然な角度で腕を振り上げ、指先から釘を放つ。
それは、何かを追跡するかのように、正確に千秋たちを狙う。
ただ走るだけでも体力を使うというのに、背後からの一撃にも神経を使わなければならないのだ。
「千秋! 道ショートカットするぞ!」
「──! わかった!」
そんなふうに、若干の苛立ちと焦燥に苛まれていた千秋の思考を、雷斗の声が両断する。
そして、軌道を変え、狭い路地へと走る。
千秋の家は、広く、イツメンの中で学校から一番近い立地ということもあり、いつも雷斗たちと遊ぶのは千秋の家だった。
そして、面倒くさがり屋な性格の雷斗が編み出した近道が、この路地であった。
「こんなふうに役立つとは思わなかったがな⋯⋯!」
「ほんとにそれはそう⋯⋯! 雷斗、見えた!」
千秋が、そう、血の味が滲む喉奥から声を張り上げれば、瞬間、背後から耳を突くような爆音が轟く。
何事かと走りながら後ろを向けば、
「──!?」
化け物の体に触れた車が横転し、事故を起こしているのがみえる。
アスファルトに鉄の腹が擦れ、甲高い音が空間を走っていた。
「──他の人には、見えてない⋯⋯? そもそも、触れるのか⋯⋯」
「千秋!」
思考の海に沈みかけた千秋を雷斗が叩き起こす。
いつのまにか敷地のすぐ前まで来ており、そのまま、全力で家へと急ぐ。
そして、門をくぐり、砂利の上で化け物へと向き直る。
「──千秋、あの柱に貼られてる札は」
「──知らない。でも、聞いた話だと、俺の両親が、この家を守るために貼ったものだから、剥がすなって⋯⋯」
「また、随分と非科学的な話が出てきたもんだな。まぁ、この状況じゃ、信じる方に軍配が上がるがな⋯⋯」
話していると、化け物が──黒い女が、門のすぐ近くまで来ていた。
そして、黒い女は、門を越えようと──
「────!」
刹那、小さな花火が、静寂を裂いた。
次いで、門に貼られた無数の護符が、威嚇するかのようにイカヅチをまとい、墨で書かれた文字が青白く発光する。
轟音が、空が割れたかのような雷鳴が、門を中心に炸裂する。
稲妻が札から札へと連なり、網のように門を包み込む。
黒い女は、侵入を拒まれたまま、門の前で、ただ恨めしそうに唸りながら指先を門に当て続けていた。
「入ってこれない⋯⋯?」
「好都合だ! 萌奈たちを寝かすぞ!」
「わかった!」
△▽△▽△▽
居間の中央、だだっ広いそこに、萌奈と遥斗を寝かせる。
その顔色は、旧校舎内と比べると、著しく回復の兆しが見られた。
表情も安らかで、ただ眠っているだけのように見える。
「千秋」
「雷斗⋯⋯」
「あいつ、まだ門の前でなんかやってるぞ。危ないんじゃねぇか」
「──でも、どうしたら⋯⋯」
千秋は、その表情を曇らせ、瞳を陰らせる。
千秋は、幽霊だとか妖怪だとか、そういう話が嫌いだ。
千秋を育ててくれている男性──倉橋から、千秋の両親の話を聞いたときから。
と、
「──ぐ、っ⋯⋯!?」
ずきりと、鋭い杭を打ち込まれたような痛みが、頭の奥で弾けた。
次の瞬間には、脈打つ鼓動と歩調を合わせるように、強く、強く、何度も叩きつけてくる。
こめかみが内側から押し広げられ、視界が僅かに揺れる。
まるで、頭蓋の内側で嵐が荒れ狂い、逃げ場を失った稲妻が暴れているかのようだ。
「おい、千秋! どうしたんだ、しんどいのか」
視線を合わせるようにしゃがむ、雷斗の心配するような顔が視界を占める。
千秋は、頭を抑えながら、床に預けていた重みをゆっくりと引き剥がすようにふらりと立ち上がる。
「うん⋯⋯ちょっと、ごめん、一瞬だけ水飲んできてもいい?」
「ああ⋯⋯コイツラのことは見ておく」
ありがとう、と呟いた声はあまりに細く、雷斗に届いていたのかどうかはわからない。
ただ、あまりの頭痛に、壁を這いながら、台所に急ぐことしかできず──
「──っ? 痛みが、」
が、とある部屋の前にたどり着いた瞬間に、先程までの突き刺すような痛みが離散する。
曇天が消え失せ、晴天になるが如く、頭痛が一切消えたのだ。
「こんな部屋、あったんだ⋯⋯」
この家は、千秋の両親が建てたものだ。
無駄に広いこの家は、千秋と倉橋だけでは余る。
必然的に、知らない部屋もあるというわけだ。
そもそも、千秋は、自分の部屋と居間くらいしか使わない。
「──戻らなきゃ、雷斗のところ⋯⋯」
踵を返し、来た道を戻ろうとした。
すると、
「──っ!? なに⋯⋯!?」
消えたはずの痛みが、再び頭を支配する。
あまりの痛みに、涙が浮かび、うまく立てなくなる。
そのまま、もたれかかっていた襖へと、全体重がかかり──
「うわっ!?」
紙越しに伝わる木枠の硬さが骨に響く。
背中を強く打ち付け、痛みに顔を歪ませながら、空間を見渡す。
「これは──」
ホコリが舞う薄暗い部屋。
そこには、御札や注連縄、薙刀や槍のようなものが大量に置かれていた。
一見すれば、ただの物置のようだが、置かれた物たちが放つ雰囲気が、普通ではない。
そして、
「刀?」
部屋の真ん中に置かれた、鞘に収まったままの刀。
それが、不思議と目を引いた。
それが視界に入った瞬間、痛みが軽くなる。
「使えってこと⋯⋯?」
それを、恐る恐る手に取った。
刀にしては、ひどく軽く、非力な千秋の力でも軽々と持ち上げることが可能であった。
「──もう、頭痛くない⋯⋯」
あまりの、非現実的な事態に、目が眩む。
だが、その前に、
「雷斗のとこ、戻らなきゃ⋯⋯」
▽△▽△▽△
「雷斗!」
「千秋、もう頭は大丈夫なのか」
「うん、それより、あれをどうするか⋯⋯」
瞬間、足が畳から浮き、家全体が、大きく揺れた。
それと同時に聞こえてきたのは、遠くまで響くような、深い呪いの怨嗟だった。
「何この音⋯⋯」
「とりあえず、外に出るぞ千秋!」
「うん⋯⋯!」
刀を片手に持ったまま、千秋は雷斗の後ろをついて走る。
そして、光と音が止まぬ門へと急ぎ、
「────!」
そこで見たものは、
「なにあれ⋯⋯!?」
「クソ⋯⋯! 乗り越えてくる気かよ!」
黒い女が、身体中から拒絶の煙が立ち上ることも厭わず、門を越えようとする姿だった。
「──雷斗! あの女を止めよう! 俺は、これであいつの指を切るから!」
「切るって⋯⋯あぶねぇだろうが! 入ってこれねぇんだ、放っておいたら⋯⋯」
「でも、さっきより前に進んでる! 俺の親が貼った御札なんて、あいつに勝てるかわからない!」
「──っ!」
雷斗が、息を呑むのが聞こえた。
実際、千秋も、こんな強硬手段に出るのは嫌だ。
だが、奥には、動けない萌奈と遥斗がいる。
もし二人を殺されでもしたらと考えれば、刀を持つ手が白くなる。
「──わかった」
「雷斗⋯⋯!」
「だが、危ないと思ったら引くぞ。大事なのは命だ」
「わかってる」
雷斗の言葉に短く返事をし、千秋は、刀を抜いた。冷たい銀の線が走り、光を怪しく反射した。
瞬間。
「──その刀を渡せ、人間」
狐の面を被った何者かが、そう、言った。




