一章十三 『雨は止む』
「閻魔⋯⋯」
目の前で笑みを浮かべる美丈夫を見て、千秋は思わず瞳を瞬かせた。
その男──閻魔は、初対面だというのに、不思議と警戒心や緊張の類を抱かせない雰囲気がある。
「おや? オレの名前を聞いていないのか? ミツルギ、この子に話を通してくれと頼んだだろう」
「──話そうと思っていた。だが、目を離した一日で奴らに嗅ぎつけられていたから、最低限のことだけ話して連れてきたんだ」
「最低限のことも話してもらえてない気がするけど⋯⋯」
千秋がそう言ってじとりと目を細めてミツルギの方を見れば、「うるさい」と顔を前に向けさせられる。
そんな様子を見て、閻魔は心底楽しそうに肩を震わせ、
「まあ、細かいことは気にしないさ。お前、名前は?」
「神薙千秋です」
「──ふむ、千秋か」
いきなり下の名前で呼んでくる閻魔に、千秋は思わず面食らう。
しかし、閻魔は、
「字は? どういう書き方をする?」
「え? えっと、神を薙ぐと書いて神薙、千の秋と書いて千秋です」
「──そうか」
千秋の返答を受けて、閻魔は瞳を瞬かせた。
その瞳に、ほんの一瞬、考え込むような仕草を見せ、
「実にいい名前だ! 景気が良いな」
「え? そう、ですか?」
ぱっと、明るく笑った。
景気が良いのかどうかは、よくわからないが。
「ミツルギ、お前がこの子を気にかけてる理由がわかった気がするよ」
「邪推をするな。そもそも、俺はそいつがどこで死のうが構わん」
「まあ、そう怒るな。オレとしても、刀が善良な人間に渡ったのなら、ミツルギに守らせようと考えていたんだ」
ミツルギの肩に腕を回し、ケラケラと笑う閻魔に、ミツルギが鋭い殺気を飛ばす。
千秋はそれにびくっと肩を跳ねさせたが、閻魔は全く構わずに、そのまま千秋に視線を移した。
「オレが頼む前に会いに行かれたのは予定外だったけど?」
「殺しに行ったんだ」
「オレの前で罪の自白とはやるねぇお前」
悪びれることもなくさらりと言い放つミツルギに、さすがの閻魔も面食らう。
だが、すぐに子供のような笑みを浮かべ、
「千秋、その刀を持って、何か感じるものとかなかったか?」
「なにか⋯⋯」
千秋は顎に手を当てたまま首を傾げ、考える。
「声が聞こえたりとか、怪我を直してくれたりするし⋯⋯ミツルギは呪われた刀って言ってたけど、そこまで悪いものでもないのかな、って」
「──うんうん、そうか」
千秋の言葉に満足そうに笑い、閻魔は千秋の方へ歩み寄ってくる。
千秋は、何か言い方を間違えたかと頬を固くしたが、
「その刀を継いだのが千秋で良かったよ。⋯⋯そういえば、その刀は千秋の家にあったんだよな」
「はい。俺の家は、死んだ両親の建てたもので⋯⋯無駄に広いから、何があるとか、あんまり知らなくて。俺より、倉橋さ⋯⋯俺を育ててくれてる人のほうが、その点だと詳しいかもしれません」
「ふむ⋯⋯両親がいないのか。それなのにこんな無愛想な妖怪に翻弄されて可哀想になぁ」
「誰がだ!」
ミツルギがそう怒鳴り、閻魔の頭を殴る。
──怒ったということは、少なからず無愛想であることに自覚的であったのだろうか。
別に、千秋はミツルギを無愛想だと思ったことはないのだけど。
「その、千秋の育ての親になにか聞いたらいいかもな。オレも現世のことは一通り知ってるが、守秘義務があってな? 千秋に何でもかんでも教えてあげるわけにはいかないんだ」
「守秘義務⋯⋯」
「ミツルギが千秋に戦わせるのもそれが理由なんだ。ミツルギは本来地獄に籍があるから、現世の怪異を祓うのは原則として禁止でな」
「えっ、そうなの!?」
ミツルギの方を向けば、ふいっと顔を背けられる。
たしかに、千秋が戦うよりもミツルギが戦ったほうが早いのではと思わなくもなかったが。
でもそれは、千秋がやるべきこととして割り切っていたから、疑問にすら思わなかった。
「緊急時を除いて、現世の怪異を祓うのは人間の祓い屋の仕事なんだ。そこに地獄の妖怪たちが関わりすぎるとパワーバランスが崩れるからな」
「そう、なんですね⋯⋯なんか、厳しいな⋯⋯」
「オレも、この立場について日が浅いんだ。いずれ、規則を緩められるように働くさ。弱肉強食は世の常だが、弱さと強さは表裏一体だからな」
「なるほど⋯⋯じゃあ閻魔様は、」
そう口を開こうとした。
すると、閻魔が眉を顰めて、
「閻魔でいい。というか、敬語も外してくれ。違和感がある」
「──えー、っと⋯⋯?」
「諦めろ。そいつはそういうやつだ」
ミツルギに助けを求めるように視線をそらしたが、そう匙を投げられる。
千秋はそれに困ったように笑い、
「わかったよ、閻魔。⋯⋯刀についてまたわかったら、来てもいい?」
「ああ、もちろん。千秋ならいつでも歓迎する」
「──何もしてないのに好感度が高いと、違和感がすごいんだけど⋯⋯まぁいいや。ミツルギ、用事は終わったんだよね? そろそろ、」
「ああ、帰るか」
ミツルギに視線を送れば、あっさりとそう返事が返ってくる。
「えっ、もう帰るのか!? ミツルギ、もう少しゆっくりしていっても」
「帰る。こいつの育ての親に話を聞かねばならんからな」
後ろ髪を引かれる閻魔とは裏腹に、ミツルギはそうはっきり言い放って千秋の頭を指先でとんとんと突いた。
ミツルギが扉へ向かって歩き出す後ろを追い、千秋は閻魔に向かって手を降る。
「じゃあ閻魔、また来るから。お仕事、頑張ってね」
「嗚呼! 何かあれば火車を呼んでくれ。ミツルギに呼ぶ術式は教えてある」
「わかった。ありがとう!」
千秋がそう笑って扉に手をかける。
蝶番が鳴き、ミツルギと千秋の姿が、ドアの向こうへと隠れた。
そして、
「──千秋、千秋⋯⋯か」
静かになった空間で、閻魔は、値踏みをするように口にした。
その名前が、閻魔には、とても面白いものに感じられたからだ。
「やっぱり、人間の名前はきれいだな。風情がある」
閻魔は、生まれたときから閻魔として生きることが運命づけられていたから、個人の名前を持たない。
そんな閻魔にとって、きれいで、意味を持つ人間の名前は、とても興味深く、羨ましいものだった。
しかし、
「──ミツルギは、嫌だろうな」
ミツルギは、千秋を殺して刀を奪ったりしなかった。
だから、『あの頃』と比べて、人間への嫌悪感は薄れていると思いたいが、
「人間といるだけでも嫌なことを思い出すだろうに、あの子の性格は、余計に──」
と、そこまで口にして、閻魔は口を噤む。
「──おっと。誰に見られているかもわからないのに、喋りすぎたな。よし、仕事しよ」
そう、言って、手元の書類を手繰り寄せた。
△▽△▽△▽
「おかえりなさいませ、千秋様。気分の方はお変わりないですか?」
「うん。むしろ、スッキリした⋯⋯いや、ごちゃごちゃしてるかも?」
「左様でございますか。いずれにせよ、閻魔様への報告は滞りなく行われたようで何よりです」
千秋が、そう火車と話していると、
「早く乗れ」
「うえっ!?」
ミツルギに、尾骶骨の辺りを思い切り蹴り飛ばされる。
火車の中に押し込められ、目を回す千秋に構いもせず、ミツルギは火車に声を掛けた。
「急げ」
「──了解いたしました。千秋様、今日は現世の天気が悪いため、カーテンをお願いします」
「え? あ、うん。わかった」
隣りにあったカーテンを閉めると、火車が音を立てて動き出す。
「千秋様、またついたら起こしますので、眠られても構いませんよ」
「ん? んー、今はいいよ。ありがとう」
「左様ですか」
火車は進む。
現世へと戻る道を。
▽△▽△▽△
「つきました。千秋様、ミツルギ様、またご贔屓に」
「うんありがと⋯⋯うえっ、消えた!」
火車が空気に溶け込むように消える。
何度見ても慣れないそれに、千秋は目を瞬かせると、
「──? 雨、降ってないじゃん」
星々の輝くきれいな空を見て、そう、首をひねった。




