一章十二 『地獄へと』
時は飛び、翌日の夜。
「まず、貴様に確認しておくが」
「なに?」
「貴様は、今まで悪行を犯したことはあるか」
「急に物騒な⋯⋯犯罪とかはしたことないよ。ちっちゃな罪とかは⋯⋯自信がないけど」
千秋本人は、今までそういった事柄にはかかわらず生きてこられたと自負している。
だが、人間誰しも小さな罪を犯すものだ。
それに自覚がないだけで、千秋も今までに何かをしてしまった可能性は拭えない。
「うーん⋯⋯」
「──はぁ、一々考え込むな、鬱陶しい。人を殺したり陥れたことはないんだな。ならいい」
「そんなこと、してる人のほうが少ないと思うけど⋯⋯」
「そうでもない。判明している悪行が毎日あふれるほどあるのだぞ。判明していないそれは、倍ではきかんだろう」
そう言われると、そんなような気もする。
千秋の周りでは物騒な事件など起こったことがないけれど、それは、千秋が知らないだけなのだろうか。
「でも、どうしてそんなこと聞くの、急に」
「言っただろう、報告に行くと。乗れ」
「わっ」
人間の形態に変化したミツルギに首根っこを掴まれ、窓の外に投げ出される。
びっくりして反射的に刀を構えてしまうが、その警戒に反して、背中に訪れるであろう衝撃は訪れず。
「──あれ?」
驚いたように顔を惚けさせていれば、
「何を惚けている。見たことがないのか」
「う、うん⋯⋯なにこれ」
千秋が投げられたのは、空に浮かぶ、一台の運搬車だった。
しかし、
「こんな車見たことない⋯⋯昔の車? それに、なんか、不思議な感じが⋯⋯」
「火車でございます」
「うわあっ!? しゃべった⋯⋯!?」
触れてみようと手を伸ばした千秋に突如として降り注いだ低い声。
それはまさに青天の霹靂であり、文字通り心臓が跳ねた。
「おや、驚かしてしまいましたか。私は火車、閻魔様からの使いです」
「閻魔様⋯⋯? ちょっと待って、情報量が多すぎて⋯⋯」
千秋は急な登場人物に頭が追いついていないのか、ぐるぐると目を回す。
そんな千秋を見てミツルギは呆れたようにため息を付いたが、火車は呆れることなく、
「構いませんよ。ですが、直接お話されたほうが早いと思いますので、一先ずお二人共ご乗車いただくというのはいかがですか?」
「う、うん⋯⋯わかった」
千秋がそう返事して火車の中に乗り込むと、ミツルギが隣に腰掛ける。
外からは狭く見えたが、中は存外ちょうどいい。
「火車さんは⋯⋯」
「火車で構いませんよ」
「──火車は、妖怪、なの?」
「おそらくそういった区分になるかと。ですが、私は閻魔様を支持しています。あの方は人間を無意味に傷つけたりはなさりませんから、私もあなた達を害したりはしませんよ」
火車の言葉に、千秋は自分の発言の軽率さに眉を下げた。
今の言い方だと、警戒しているように受け取られても仕方ない。
あんなに死線をくぐったのに、気分がまだ庇護対象の子供のままで──。
「──火車、迎えに来てもらってすまないな」
「いえ。役に立てたなら幸いです」
またも後ろ向きでなんの意味もない自省を始めた千秋を見て、ミツルギは苛ついたように小さく息を吐いてそう口にした。
千秋はミツルギのため息に気づいて顔を上げたが、ミツルギはいつものように仮面の下に素顔を隠してしまって、何を考えているのか、千秋には測りかねた。
「──そういえば、火車は、他の人には見えないの?」
「はい。余計な混乱を招くのは本意ではありませんから」
話しながら千秋が外に目をやれば、だいぶ高くまで飛んでいた。
「──わぁ、高⋯⋯」
と、そう口にして、千秋は、不意に頭の隅をよぎる記憶に気づいた。
──それは、観覧車から見た景色。
そして、そこに関連して、もうひとつの、記憶が──
「──っ!」
瞬間、千秋の顔が、血の気を失ったように青く染まる。
肩が震え、呼吸がほんの少し浅くなった。
指先が水につけたように冷たくなり、心の動揺が外へ漏れ出すかのように手が震えだす。
それは、精神の安寧を保つため、見ないふりをしていた感情。
だが、一晩立ち、頭が理解してしまった。
あれは、千秋にとって──
「──? おい、どうした」
千秋の異変に気がついたのか、頬杖をついて外を見ていたミツルギが千秋の方に目をやる。
先程までのテンションとどう考えても違う。そう判断したミツルギは千秋の顔を覗き、
「──は、ぁ」
青い顔で拳を握りしめたまま、眉を下げて瞳を閉じる。
そんな姿を見て、健康状態だと感じるほどミツルギは人間への理解が浅くなかった。
「おい、平気か」
「──う、ん。ちょっと、嫌なこと思い出しただけで⋯⋯ごめん」
別に、ミツルギは千秋に謝らせたかったわけではない。
だが、今の千秋にそれを察するだけの元気はなく、ミツルギも、それを期待などしていなかった。
千秋には、それを知る由もないが。
「──大人しくしておけ。余計な体力を使うな」
「──うん。ごめん」
ミツルギの言葉通り、体力を温存しようと千秋は瞳をすっと閉じる。
すると、左手がほんの少しだけ刀に触れ、そこから淡い光が伝搬した。
──刀の力については、ミツルギでさえも図りきれない部分が大きい。
刀のすべてを理解することは、きっと誰にも出来はしないのだ。
たとえ、ミツルギであろうと──千秋であろうと。
「謝罪は貴様の処世術か? 全く、腹立たしい」
「──せっかく眠られたのでしょう? そのように殺気を飛ばしては起こしてしまいますよ」
「喧しい。何故我が此奴に気を使わねばならんのだ。貴様は大人しく速度を守って走行していろ」
ミツルギの言い分に火車は気分を害することもなく、「そうですね」とだけ返した。
ミツルギは、夜空に浮かぶ星を見ながら、
「──人間は、変わらんな」
と、眉をひそめたまま口にしたのだった。
▽△▽△▽△
「つきました。ご気分の方はいかがですか?」
「平気。火車は⋯⋯」
「残念ですが、ここで。帰るときはまたお迎えに上がりますので」
火車はそう告げると姿を空気の中へと眩ませた。
その光景に千秋は驚いたような顔で固まるが、
「早く行くぞ。急げ」
「あっ、待って!」
ミツルギが先へさきへと歩いてしまうので、千秋はその後ろをついて走る。
「ねえミツルギ、ここって⋯⋯」
「地獄だ」
「地獄!?」
当然のことのように告げられ、千秋は驚きに口を開ける。
ミツルギは千秋の方へ一瞥もせず、目的地へと淡々と向かっていく。
「なんでそんなところに⋯⋯」
「貴様は本当に鈍いな。今までの会話を順に繋いでみろ」
「え、うーん⋯⋯」
ミツルギの言葉通り今までの会話を思い出してみるが、駄目だ。
千秋の頭のスペックが悪すぎてわからない。
「ねえ教えてよ、なにが⋯⋯」
そう口を開こうとしたところで、ミツルギが急に歩みを止める。
それを予見しきれず、千秋はミツルギの背中に強く顔を打ち付けてしまった。
岩にぶつかったのかと思うほどの硬さ。
その人形のように細い体のどこにこんな密度の筋肉を有しているのか。
「人とは思えな⋯⋯あ、人間じゃなかったか」
「何を無駄話をしている。入るぞ」
「え、うわっ」
首根っこを掴まれ引き摺られる。
前から思っていたが、ミツルギは千秋を猫か何かと思っているのではないだろうか。
そうでなければこの扱いの雑さは説明がつかないのだが。
「というか、狐なんだからミツルギのほうが猫っぽ⋯⋯うわあっ!?」
ブツブツと呟いていた千秋の体をミツルギが宙へ放る。
「聞こえている、狐の聴覚を舐めるな」
「だからって投げなくても! ──あれ?」
落下の衝撃を覚悟した千秋を、何かが受け止める。
「なるほど、これが適合者か!」
「え?」
「──不思議なものだな、こんなに懐かしい気配の人間に会うのは初めてだ」
──目の前にある、ひどく美しい顔が、目を引いた。
その顔が絵画として飾られていたなら、息をすることよりもその顔を網膜に焼き付けることを優先するだろうと思わされる、精錬で整った顔。
その顔の横を揺れる金髪は、彼の美しさを讃えるかのようにきらびやかに光を反射しており、華美な装飾品に負けない美しさをしている。
「はじめまして、オレの名前は閻魔。まあ、ゆっくりしていってくれ」
そう、売り払ったならば数字にならない額がつくようないい声で、そう、言った。




