一章一 『それが、悪夢と奇跡の始まりでした』
「千秋ー!」
暖かい教室の中、太陽の影が色濃く映る教室の隅で、そう、大きな声が響いた。
時計の針が13時を指す頃、かすかな眠気に身を任せていた少年──千秋は、自分の名前を呼ぶ元気な声に、意識を呼び戻される。
「どうしたの? 遥斗」
「あのさ、めっちゃ面白いうわさ聞いちゃったんだ!」
目の前で騒ぐ彼の名は安達遥斗。
三人いる千秋の幼馴染の中の一人であり、噂話が好きな俗っぽい少年だ。
「へえ、どんな?」
「こっくりさんが成功するコインがあるんだって!」
「こっくりさん?」
遥斗の話をよくよく聞いていると、旧校舎の被服室に、こっくりさんを成功させるコインが置かれていると、科学教諭に話されたそうだ。
正直、眉唾すぎるし、千秋は、心霊だとかオカルトだとか、そういった話は信じない。
あんなものは、他者をだまして金を稼ぐ卑怯者のばらまいた噓であると、思っているからだ。
「──遥斗、気持ちはわかるけど……」
「そう固いこというなよ千秋。別に信じる必要はねぇんだぜ?」
「わっ」
断ろうとした千秋の頭に腕が置かれる。
その声に反射的に振り向けば、千秋の双眸に、端正な顔が映り込む。
その綺麗な顔に荒っぽい笑みを浮かべ、二人目の幼馴染──雷斗は、千秋と遥斗の間に割って入った。
「雷斗! 雷斗は賛成してくれるよな!?」
「あー、それは別にどうでもいい」
「え!?」
遥斗がショックを受けたようにピシッと固まれば、雷斗はそれを笑いながら、席を一つ詰める。
千秋が雷斗が詰めた席に視線を向ければ、
「わたしも興味あるなぁ、それ。千秋くん、おねがいっ」
雷斗と遥斗の間の席に座り、幼馴染のひとり──萌奈は、いたずらに手を合わせて、かわいくウインクして見せたのだった。
遥斗ひとりならまだしも、三人に頼まれては、断りづらい。
千秋は小さくため息を吐いて瞳を伏せると、
「──準備は遥斗たちがしてね?」
と、優しく笑ったのだった。
▽△▽△▽△
「ここが旧校舎……」
千秋が、小さく息をのむ。
そこはかとなく漂う、怪しい雰囲気。
思わず肩に力が入り、頬が固くなる。
「千秋! こっちだ」
と、雷斗の声が聞こえて振り向くと、雷斗が窓から手を振っていた。
そこに駆け寄り、
「……なんで窓?」
「仕方ねぇだろ、ここしかあいてなかった」
「諦めるって選択肢はないんだね……」
仕方ないかと腹をくくり、千秋は窓をまたいで旧校舎に足を踏み入れる。
靴底が床を撫でる度に、ぎしぎしと不安になる音が鳴り響くが、それを無視しながら奥にある被服室へと急いだ。
そのまま五分ほど歩くと、被服室と書かれた看板が目に入る。
「ここかな……被服室」
「ぽいな。入るか」
雷斗が乱暴にドアを開けると、遥斗と萌奈がこちらを向いて手を振る。
足元には紙やコインが散らばっており、こっくりさんの準備が整ったということなのだろう。
「もー遅いぞ!」
遥斗が眉を吊り上げて怒れば、その横で萌奈が笑いながらこちらを見ていた。
「まあまあ遥斗くん。落ち着いて? 雷斗くんたちも、早くやろうよ、ね?」
ゆったりとした雰囲気のまま、萌奈は着席を促す。
千秋はそれに促されるまま地べたに座ると、雷斗もそれに続いた。
そして、
「なんだかこういうのってどきどきしちゃうねぇ」
「そうか? どうせデマだろ。遥斗のがっかりした顔が楽しみだ」
「絶対成功するから!」
「何を根拠に……」
煽られて嚙みつく遥斗と、あざ笑うような顔をする雷斗に、千秋は呆れたようにため息をつき、四人の指は、コインの上で重なった。
コインの無機質な冷たさがなんだか怖くて、千秋の顔が少しだけ翳る。
と、
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください! もしおいでになられましたら『はい』へお進みください!」
遥斗が元気に声を張り上げ、千秋はそれに苦笑する。
「こっくりさんの声量じゃない……」
と、逸れていた意識を呼び戻すかのように、指先のコインが小さく震え、紙の上を動き始めた。
「──!」
千秋たちの瞳が見開かれ、小さく顔が強張る。笑みが途中で凍り、砕け損ねたまま張り付くかのようだった。
が、遥斗だけは、それに瞳を輝かせ、
「はいだ! こっくりさんきてる!」
と、うれしそうに笑う。
萌奈は疑うように眉を顰めて、雷斗は何か考え込むように瞳を細めていた。
「質問何にしよー……あ、そうだ! 明日の小テスト、教科なんだっけ……」
遥斗が、携帯を取り出し、空間に淡い光が薄く満ちる。
が、遥斗は石像のように固まったまま動かない。
「遥斗くん?」
「──携帯、圏外になってる……」
「え? ちょっと見せて……」
萌奈が、コインから手を離し、体をゆっくりと前へ傾けた。
それを見て、千秋は、皮膚の下を細い氷が走るような感覚に襲われる。
直感したのだ。
まずいことが起きると。
「萌奈!」
「──え」
それは、ぎりぎりの攻防であった。
空を裂くように、雷鳴が地を走ったのだ。
触れたらまずいと、本能が警鐘を鳴らした。
思わず、近くにいた萌奈の腕を引っ張り後ろへ倒れこむ。
背中から倒れた衝撃が重いが、それどころではない。
なぜなら、
「──雷斗!」
腕の中で萌奈が意識を失っている。
遥斗も同様のようで、糸が切れた人形のように雷斗に抱えられたままだ。
──千秋と雷斗だけが、動けるのだ。
「いくぞ、千秋!」
雷斗の声に頷き、千秋は、胸を叩く鼓動を置き去りにするように地を蹴った。
腕の中の萌奈が、脱力しているのがわかる。なるべく負担にならないよう、体勢を変えて走る。
風が頬を打ち、景色が流星の尾のように流れていく。
あっという間に玄関までたどり着いた。
が、
「ぐ……っ!?」
扉に手をかけた瞬間、空気が見えない膜となってはじいた。
ぱちりと乾いた音がして、手のひらに鋭い痛みが走る。
まるで透明な棘に貫かれたかのように、指先から手首へと灼けるような痺れが駆け上がった。
「千秋!? おい、どうした!」
遥斗を抱えたまま、後ろから追いついてきた雷斗が千秋の顔を覗き込む。
千秋はゆっくりと手を開いた。すると、掌に、細い罅が入っているのが雷斗の目に映る。
乾いた大地のように幾筋もの裂け目が白く浮かび、そこからにじむ赤がひどく目立つ。
「なんか、ドア、開かなくて……」
千秋が、ひねり出すように口にすれば、
「……どいてろ」
遥斗を下ろし、切れ長の瞳を吊り上げて、ドアノブを強くつかむ。
千秋は到底知り得ぬことだが、その刹那、雷斗の視界に青白い閃光が弾け、衝撃が腕を打った。骨の奥まで震え、歯が軋む。
が、雷斗は叫びを飲み込み、ただひたすらに、全身に力を込める。
そして、
「──っ!」
すさまじい轟音とともに、ドアが破壊される。
雷斗は荒い息を吐きながら、遥斗を再度抱え、外へと歩き出す。
「──雷斗! なにしてるの、怪我を……」
「いってる場合かよ、走るぞ」
雷斗の言葉を飲み込み、千秋は、雷斗の隣へと並び立つ。
そのまま、正門前まで走ったころ、
「────!」
足元の奥深くから、低く唸るような音が生まれた。
地面が、生き物のように身をよじり、世界が傾く。
まるで、大地そのものに怒りが宿り、永い眠りから目を覚ましたかのようだった。
やがて、揺れが収まり、旧校舎に目を向ける。
と、
「──千秋」
「──うん」
千秋と雷斗の瞳が、ただ一点に釘付けになる。
それは、風の中に立っていた。
死体のように、どこまでも白い肌。
火葬場から立ち上る煙のような髪。
「──千秋、逃げるぞ!」
その言葉を削り取るように、女の悲鳴が空気を揺らす。
銀色の軌跡が一直線に走り、冷酷に光る釘が、千秋たちの心臓を狙っている。
「雷斗、俺の家! 俺の家、いこ!」
「ああ、そうだな!」
二人は走る。
背後から、無慈悲に光る釘が、無数に迫っていると、知っていながら。
「ああ、クソ! こんなの予想できるかよ!」
覚醒まであと二話




