第21話 寒空
島に短い冬が訪れた。珍しく雪が止まない。風が吹くたび、屋根の上の氷が鳴り、戸口の隙間から冷気が忍び込んでくる。
冬の祝いとして、地元の農民がラム酒を贈ってくれた。ひと口含むと、焦げた砂糖の甘い香りが鼻腔に広がり、喉を焼くような熱が走る。それでも不思議と不快ではなく、胸の奥に火種を落とされたような温もりが残る。どういうわけか竜人は発酵と腐敗の区別がつかないため、うまく酒を造れない。この酒は竜人に大いに喜ばれた。
その翌日。騎士官たちが竜人の里を訪れ、カイルに「ここで慎んで待つように」と命令をよこしてきた。リザは無言で指を折る仕草をして沈黙し、カイルもまたこの解せない命令に不吉な予感を覚えた。
リザは家と路を掃き清めて暖炉の隅に座り、カイルもまた木綿のシャツに、灰色のジャケットとコート、黒のトラウザーズ、騎士用の革製のロングブーツを着て騎士官を出迎えた。
騎士官たちの言い回しはくどく、分かりにくかった。革鎧の軋む音と、竜の鼻息だけが、室内に間延びして残る。要するに、この竜人の里から出ないこと、そして農民との交わりを一切立つこと。それを改めて要求してきた。そういうことであるようだった。
「胸中、お察し申し上げます。」
騎士官たちは儀式的にそう言い、竜にまたがって去っていこうとした。その際、騎士官の一人が、声を潜めて教えてくれた。
「内密だが、飛竜狩りに関わった若者が農民たちの反乱軍に加わったのだ。それさえなければな。こちらも、あらためてこのような処分を伝える必要はなかった。」
カイルはようやく、なるほど、と思った。丁重に礼を言い、騎士官たちを見送った。
「そうか、反乱軍に入ったのか。」
カイルは王城で別れたあの若者を思い返した。もう顔も覚えていない。しかし、烈しい気質をもつ竜狩りの戦士が処分を恨み、反乱軍に加わる。その成り行きは理解できるような気がした。
リザが不安そうにカイルを見上げていた。
「案ずるな。単なる謹慎だよ。竜の里になんらかの実害がある話ではない。」
そう言って、カイルはリザの肩を抱き寄せた。
年明け。謹慎の身だったが祝いの席に加わった。竜人の里ではこの日に、海辺の家々から新しい子供たちがやってくる。これは竜人に特有の事情が関わっている。竜人たちは子をなさない。體母冥蘭と造竜黄泉という二柱の巨大な竜人が一元的に竜人の仔を聖産する。海辺の竜人たちがその卵を集め、そして各村に配分する。それが竜人たちの生存戦略だった。
新しく里に来た子供たちはリンゴのような頬をしていた。まだ足もともおぼつかない幼子ばかりだった。リザに育てられた子供たちが、かいがいしく幼子の世話をしていた。
カイルは相変わらず竜の見回りをし、田畑を荒らす害獣を罠で仕留めることをしていた。
一月に、竜人の老師がなくなった。鍛冶の生業はリザが引き継いだ。その体は小さくなり、頬は削げていた。老師の顔は穏やかだった。それがカイルとリザを慰めた。
竜人は火葬が習慣であったから、遺体の周りに薪を組み、油を敷いて火をつけた。雪を溶かしていく火勢は強く、ぱちぱちと脂の弾ける音を立てた。周囲の雪が音を立てて溶ける。
焼けた木と油の匂いが、冷え切った空気の中に重く漂った。鍛冶を生業にした者が、火とひとつになる。その瞬間を、カイルはリザと共に見届けた。
雪が止まない。昼夜を問わず、凍み雪の上を風が鳴いて吹き抜ける。そのような日が続いた。
急に、王城へ呼び出しがかかった。竜人たちは「謹慎が解けた祝いだ」と喜んだが、カイルは胸中に不安を感じた。リザをそっと呼び寄せ、「なぜ王城に出向く必要があるのか。」と首をひねった。
リザは指を折る仕草をして、目を瞬いた。リザを無意味に不安がらせた、とカイルは反省した。しかし、それでも胸中のざわめきは収まらなかった。
「いやな予感がするが、断れば里全体の問題になりかねない。行ってくる。」
リザにそう伝え、カイルは王城へと出発した。
カイルは独り、歩きつづけた。路は寒く、時折、鉛色の雪空から薄く陽が差すだけだった。林から風に吹かれた雪が頬に当たった。濡れた皮膚がすぐに痛みに変わる。厚い氷の張った川が珍しく、カイルは数瞬、足を止めた。こんなに吹雪く冬は生まれて初めてだった。
時々、道を振り返った。自分の歩いた道。怯えながら歩いた道。自分の人生と雪道を重ね、カイルはそれでも歩きつづけた。
王城に到着するころ、空は晴れていた。山脈は遠くまで連なり、みわたす限りの畑は雪に覆われていた。
王城で出迎えたのは、若い騎士だった。
「悔しき事、多くありましょう。しかし竜人の里には一切の手出し無用とのことです。そのことをありがたく、思わねばなりません。」
何の話だろう。若い騎士が何を言いたいのか、カイルはまだわからなかった。
「貴方の罪咎ではありません。反乱軍に竜狩りの戦士達が幾人も、参加しています。」
瞬間。カイルはすべてを悟った。
「この国はいずれ瓦解するでしょう。それでもその日までは、こうするより他ないのです。どうか、お恨みなきよう…」
若い騎士の言葉を、カイルは最後まで聞かなかった。逃げ切れるか。不可能だ。自分が逃げれば竜の里が危うくなる。
つまり、自分は間もなく殺されるのだ。
若い騎士は、カイルをあの建物へと案内した。あの誓詞を書かされた部屋だ。部屋の中は静かだった。冷えた石床が靴底からじわりと体温を奪っていく。手紙を書くことを許された。静かだった。ときおり、雪が屋根から滑り落ちる音がした。その鈍い音が消えると、静寂はさらに深くなった。
「どうか、お恨みなきよう。」
若い騎士はその言葉を再び、繰り返した。自分は屠り場に向かう轍を歩いている。少しずつ、死に向かっている。
——お前は大丈夫だ。
瞬間、声がした。師の声を聞いた。
「ここからは、別の者が案内します。別の場所へ…。」
若い騎士がそう言い、カイルは立ち上がった。
お前は大丈夫だ。
アンヘルの声はすぐ、近くに聞こえた。
カイルは立ち止まり、振り返った。
師の声のする片隅に向かい、大きく頷いた。
師が見守っている。その感覚は医療院を去った後も消えなかった。
竜の里を守るために。
妻と子供たちのために。
カイルは、石床の廊下を、旅の終わりに向かう道を、気高く進んでいった。




