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第10話 孤立

小型竜たちはたけり狂っていた。枝葉を引き裂く音、腐葉土を蹴散らす重い足音。どれだけ数がいるのかもわからなかった。


ラファエルが対物ライフルを構えて何かを叫んでいた。


マテオがライフルを構えて引き金に手をかけて叫んでいた。


アンヘルは急いでその場から離れようとした。それでも、うまく動けなかった。幻覚。アンヘルは両足が地面と一体化している光景を幻視していた。


「ルシア、アンヘルを起こせ。射線上にいると邪魔だ。」


マテオが叫んでいた。


ルシアが飛び跳ねるようにしてアンヘルの腕を掴み、その身体を力づくで移動させた。


マテオが発砲した。


小型竜は吹き飛んだが、すぐに起き上がった。その背後から小型竜の二匹目、三匹目、四匹目が次々と現れた。小型竜はあっという間に散開してアンヘルたちを取り囲んでしまった。


マテオが弾丸を再装填した瞬間、二匹目が咆撃を放った。


全員が横方向に跳躍していた。それからイネスが魔刀を引き抜き、電撃的に三匹目を切り伏せた。ラファエルは対物ライフルを大槌のように振るって一匹目と二匹目の動きを牽制けんせいしていた。マテオがライフルの銃剣を使って四匹目と格闘していた。ルシアがナイフを使ってたおれた竜から逆鱗を剥ぎ取っていた。


竜達が咆撃を放つ間もなくイネスは一匹目と二匹目を切り伏せていた。最後に残った四匹目もマテオの銃撃によって動きを止められ、ラファエルの対物ライフルによって肉体を粉砕されていた。


ルシアが次々と竜の肉体を捌き、逆鱗を回収していく。


イネスが剣を振り、血を払った。イネスの動きはまさに電光石火だった。


「やれやれ。」


イネスが肩をすくめた。


「アンヘルは自動車両前で待機だね。」


それがアンヘルに対するイネスの評価だった。


森を出たとき、アンヘルの足はまだ震えていた。密林の湿気が薄れ、乾いた風が頬を撫でた瞬間、張りつめていたものが一気にほどけた。背後ではイネス隊が淡々と戦果を確認し、逆鱗を数え、装備を整えている。誰もアンヘルを責めはしなかった。だが、誰も彼を必要とはしていなかった。


帰路の自動車両の荷台で、アンヘルは膝を抱えたまま、揺れに身を委ねていた。

金属が軋む音、風のうなり、遠ざかる森の匂い。

それらが、戦場から切り離された現実として胸に落ちてくる。


都市に戻ったその日、イネスはアンヘルに声をかけた。


「あなたは、悪くない。

 でも、うちの隊には向いていない。」


イネスの言葉は穏やかだった。だが、はっきりしていた。


「ここは、即座に動ける者たちの場所よ。

 あなたは、ひとりで戦うほうが、生き残れる。」


アンヘルはうなずいた。反論する理由はなかった。


除隊の手続きはそれだけだった。


それでも、イネス隊はアンヘルを見捨てなかった。


ルシアは古い紙束と木炭筆を渡してくれた。

マテオは簡単な単語を書いた木片を作ってくれた。

ラファエルは黙って、掲示板の番号の読み方を教えた。

イネスは言った。

「読めるようになりなさい。

 言葉は、武器よ。」


それがイネスの言葉だった。


アンヘルは、毎日必死に言葉と向き合った。

昼は竜狩りギルドの石段に座り、余ったパン屑を乞うた。

夜にはロウソクの灯りの下で紙に向かった。

芯が爆ぜる小さな音。燭台に垂れる溶けた蝋。

頭痛が走り、指が痺れた。

アンヘルは残された指を使って文字を書く練習をした。

幻覚。無数の人の顔が闇一面に広がる。

幻覚だ、とアンヘルは呟いていた。

炭筆が紙を掻く感触がアンヘルを現実に繋ぎ止めていた。


季節が、静かに傾いていった。


草原は黄金に染まり、川辺の葦の穂が赤く燃える。

森の葉は一枚ずつ、音を立てて落ちていく。

風が冷たさを帯び、空は高く澄んだ清冽な青に変わっていく。


そのころからアンヘルは、独りで都市を離れるようになった。


必死さの結果だろう。アンヘルは三ヵ月で掲示板の文字を読み解けるようになっていた。

文字を追い、依頼番号を読み、自分の名前を書きつけることができるようになっていた。


そして、アンヘルは仕事を受注した。アンヘルが選んだ討伐対象は中型竜だった。


討伐依頼を受けた中型竜は頑強でそして獰猛だった。人間の被害などお構いなしに、破壊した教会を巣として眠りについていた。砕けたステンドグラスの欠片が足元で鳴る。軽い頭痛が常にアンヘルを追い詰めていた。


竜は気だるく起き上がり、瞬間的に加速した。竜はアンヘルをかみ砕こうとし、アンヘルは地面を蹴り上げ右前方向に前転して回避した。中型竜はそれを読んで噛みついたが、その動きを読んでアンヘルはさらに跳躍していた。中型竜が巨大な尾を振るった。強靭な尾部が教会の壁を砕き、砕きながらアンヘルの肉体に迫っていた。アンヘルは盾を用いて死の一撃を受け止めた。


中型竜が全身を震わせて咆哮を上げた。


アンヘルの脳裡で咆哮が反響した。心臓が異常な速度で拍動していた。


それでもアンヘルは全身をバネにして中型竜との距離を詰めた。竜は跳躍を繰り返してアンヘルを翻弄ほんろうした。牙を剥き出して距離を詰め、あるいは咆撃を放とうとして距離を保つ。竜が再び尾を用いてアンヘルの肉体を打たんとしたその時、アンヘルは無我夢中で前方に飛び跳ねた。アンヘルは体当たりの姿勢から魔剣を振るい、中型竜の鱗と肉を引き裂いた。瞬間、距離を取ろうとした竜の首元にアンヘルの魔剣が触れていた。アンヘルの魔剣は、竜の頸部を裂き筋肉を切断していた。器官と頸動脈を断ち切っていた。竜の頸部から凄まじい血煙が噴き出した。生暖かい鮮血がアンヘルの全身を濡らした。

頭部をだらりとぶら下げた中型竜はそれでもまったく怯まなかった。周囲を足で踏み砕き、でたらめに尾を振り回した。


教会は崩壊し、支えを失った天井が崩落した。それでもアンヘルは生きていた。竜も全く衰えていなかった。ようやく竜が動きを止めた瞬間、アンヘルは竜の胸部を貫いた。同じ動作で二撃目の刺突を放った。竜の肋骨が砕け、その内側にある臓器を裂いた。瞬間、中型竜はついに動きを止めた。仮死状態となった竜は膝から崩れ、音を立てて地面に倒れ込んでいた。


素早く竜の表面を撫でるように確認する。逆鱗はない。力づくで胴体を反転させる。それでも表面には逆鱗はなかった。魔剣を用いて腹を裂き、肉を裂く。そこから手を突き入れ、肝臓、胃、脾臓ひぞう、胆のう、心臓と内臓を手触りで確認する。柔い血と肉の中に固い異物があった。巨大な肝臓の裏に逆鱗が形成されていた。大型ナイフを用いて肝臓を切断する。中型竜は一瞬感電したように動き、そして動きを止めた。


そうしてアンヘルは初の任務を完全に達成した。


アンヘルは、独りで竜を狩る戦士になっていた。


中型竜の骸は、崩れかけた教会の瓦礫の中に沈んでいた。

血と粉塵が混じり、空気は重く澱んでいる。

アンヘルはその場に立ち尽くし、剣を下ろしたまま、しばらく動けなかった。


鼓動が、まだ耳の内側で暴れている。

指先は震え、魔剣の柄に残る熱が、現実を訴えていた。


「終わった。」


声に出した瞬間、胸の奥に空洞が生まれた。

歓喜はなかった。

達成感も、誇りも、そこにはなかった。


あるのは、ただ静寂だった。


瓦礫の隙間から、風が吹き抜ける。

割れたステンドグラスの欠片が、微かに鳴った。

かつて祈りが捧げられたであろう場所は、今や竜の血と人の廃墟に塗り替えられている。


アンヘルは、逆鱗を布に包み、背嚢へと収めた。

その動作は、驚くほど機械的だった。


誰もいない。

祝福する声も、労う言葉もない。


それでも、アンヘルは生きている。


それが、すべてだった。


都市へ戻る道すがら、アンヘルは何度も立ち止まった。

草を踏む音、風に揺れる穂、遠くの鳥の影。

すべてが、戦いとは無関係な世界の営みだった。


——あなたは大丈夫よ。


天の片隅かたすみから、母の声が響いた。

幻聴だと分かっていても、アンヘルは立ち止まり、空を見上げた。


雲が、ゆっくりと流れている。


都市に戻ると、ギルドの受付は事務的に報告を受け取った。

逆鱗の重さを量り、銀貨を袋に詰める。


「依頼、完遂ですね。」


受付の者がわずかに微笑んだ。


アンヘルは銀貨の袋を受け取り、しばらくそれを見つめた。

これは、生き延びた証だ。

それ以上でも、それ以下でもない。


ギルドの広間では、いつもと変わらず戦士たちが笑い、怒鳴り、依頼書を奪い合っていた。

誰も、アンヘルを見なかった。


だが、アンヘルはもう、それを悲しいとは思わなかった。


彼は知っていた。

自分は、どこにも属さない。

そして、生き延びる力をすでに手にしている。


孤立は、呪いではない。

それは、自分が選び取った形だ。


アンヘルは、魔剣の柄を握り直し、再び森へ向かった。

独りで。それでも、確かな足取りで。


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