闇の女王、城に帰る
ついに闇の女王が帰還。
浄化と支配、二つの力が真正面からぶつかります。
城を巡る心理戦の幕開けです。
王都ブリュード、王宮最上階。
夜風を裂いて、魔王ノリスは窓辺から飛び立った。
赤い瞳に映るのは、宝石のように煌めく王都の夜景
――だが、彼女の視線はさらにその先、
闇に沈む魔王城の方角を射抜いている。
「……変ね」
小さく呟き、指先で虚空をなぞる。
闇の魔力が糸のように伸び、
かつて自らの力で満たしていた旧魔王城の循環を探り始めた。
下層は卑屈で、怯えたように蠢く闇。
中層は妖しく、荒々しい衝動の坩堝。
上層は冷たく、重く澱んだ支配の核。
それが、ノリスの知る自分の城だった。
――だが。
「下層が……静かすぎるわ」
穢れの唸りがない。
代わりに感じ取れるのは、白く整えられた流れ。
生き物の呼吸のように、規則正しく循環する魔力。
「生きてるのね、あの小娘」
唇が歪む。
愉悦と苛立ちが入り混じった、危うい笑み。
「ジギスムントはロンデル公国を優先したけど……」
ノリスは飛翔の速度を上げた。
「私は、自分の城を他人に使われたままにしておくほど、
甘くないのよ」
王都の門付近で、影が慌てて追いつく。
ジギスムントの配下だ。
「殿下、王都防衛任務の最中です。単身行動は――」
「黙りなさい」
甘く、冷たい声。
それだけで、影は喉を詰まらせた。
「私の城が、私以外の誰かに制御されている。
確かめずにいられると思う?」
「……王には、報告を」
影は膝をつきながらも告げる。
ノリスは振り返らなかった。
数時間後。
魔王城上空で、黒い霧が渦を巻いた。
それは凝縮し、ひとりの女の姿を形作る。
漆黒のドレスが、夜そのもののように揺れている。
月光が彼女の肌に触れた瞬間、
それは白磁のように冷たく輝いた。
赤い瞳は血よりも深く、鮮明な色を纏い
見る者の本能に告げる。
――逆らってはならない存在だと。
ノリスはかつて自らの玉座があった最上階のバルコニーへ、
音もなく降り立つ。
「……ずいぶん変わったわね」
空気を吸い、わずかに眉をひそめる。
腐臭は薄れ、瓦礫の匂いもない。
代わりに漂うのは、清浄で均された魔力。
下層から中層へ――
魔物たちの気配が、異様なほど秩序立っている。
「下層から浄化……城全体に波及してる?」
ノリスは小さく笑った。
「面白いじゃない」
そう言って、城内へ足を踏み入れる。
中層回廊。
ヒマリとフェルマーは、デーモンとの交渉を終えたところだった。
指揮権を渡した小隊を偵察に出し、
次の区画へ移ろうとした。
「次は、サキュバスエリアの――」
ヒマリの言葉が途切れる。
フェルマーの表情が、凍りついた。
「……来るぞ」
「え?」
次の瞬間。甘ったるい香りと、
圧倒的な闇の圧が、回廊の奥から流れ込んできた。
空気が重く沈み、浄化された魔物たちが一斉に息を詰める。
恐怖ではない。
もっと深い、身体に染みついた感覚だった。
悠然と歩いてくる、ひとりの女。
まるで何事も無く、自分の城を散策するかのような、自然な足取り。
「あら。聖女のお嬢さん」
ノリスはヒマリを見て、にこりと微笑んだ。
「ゴミ捨て場で生きてたのね。感心するわ」
ヒマリの頬にかっと血が昇る。
ノリスと一緒にいたジギスムントの微笑が浮かび、
肺の奥が焼けるように痛んだ。
周囲の魔物たちも武器を構えたが
――その動きが、微かに遅れた。
ノリスは攻撃しない。
ただ、視線を走らせ、囁く。
「……覚えてる?」
その瞬間。
浄化されたゴーストの輪郭が、一瞬だけ歪んだ。
白く整えられていた魔力が、揺らぐ。
まるで、忘れていた名前を呼ばれたかのように。
「私が、最初に紋章を刻んだ夜」
ゴーストの足が、命令もないのに一歩前へ出た。
膝が折れそうになり、慌てて踏みとどまる。
「……っ!」
血が昇った頭に冷水を浴びせられた。
ノリスは楽しげに笑う。
「ふふ。いい子ね。ちゃんと残ってる」
ヒマリは息を吸い、魔力循環を強く意識する。
浄化の流れが再構築され、魔物たちの揺らぎが鎮まった。
だが――ノリスは、それを見ていた。
「なるほど。浄化による上書きね」
一歩、近づく。
「でも消えてない。私の循環が」
フェルマーが前に出る。
「魔王ノリス……単身で来たか。
ジギスムントの命令か?」
ノリスは彼を見て、目を細めた。
「あら。召喚魔術師のフェルマーじゃない。
寝返ったの?」
「私は成果に仕えるだけだ。
ヒマリは、最高傑作になり得る」
「へぇ、あなたが褒めるなんて」
ノリスは、ぱちんと指を鳴らした。
そしてヒマリへ視線を戻す。
「支配の香りがする……いい目になったわね」
ノリスは小さく呟いた。
「ねえ、聖女。
あなた……私の城を乗っ取る気?」
ヒマリは首を振る。
「乗っ取らない。最適化してるだけ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ノリスは楽しげに笑い声を上げた。
「最適化! あはは、素敵な言葉」
赤い瞳が細まる。
「だったら、私も参加させてもらう」
空気が、張りつめる。
「あなたの浄化の力が上層に通じるか
―― 賭けてもいいわ」
圧倒的な魔力が軋み、回廊が低く唸る。
これは偵察ではない。
交渉でもない。
――宣戦布告だ。
闇の女王は、確かに帰ってきた。
そして分断と支配のゲームが、静かに動き始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
誰が城を掌握するのか、ご期待ください。




