闇の女王は、遊びを選ぶ
闇の女王が選んだのは遊び。
ヒマリとの対話の先で、
王都に新たな決断が下されます。
魔王ノリスは、城の高みから夜を見下ろしていた。
風に揺れる銀髪。
赤い瞳は、楽しげに細められている。
「……ふふ」
思い出すのは、少し前の出来事だ。
あの聖女――ヒマリとの、二度目の対話。
◆
中層回廊。
結界の向こうで、ヒマリはひとり立っていた。
周囲に魔物はいるが、前に出てくる気配はない。
まるで、話すための場所を用意したかのようだった。
ノリスは肩をすくめて歩み寄る。
「逃げなかったのね。偉いわ、聖女」
ヒマリは一歩も退かず、まっすぐに見返してきた。
「今日はフェルマーも魔物もいない。
あなたと話したかったの」
「ふうん?」
ノリスはくすりと笑う。
柱の陰にデーモン2、骸骨兵3。
――あれで魔物を隠したつもりか。
城の機構に手を入れて来るかと思ったけど。
直接交渉しに来た。
でも、震えてもいない。
その事実が、少しだけ気に入らなかった。
「で? 私の城を勝手に弄って、私の配下を浄化して――
次は何? 王でも奪うつもり?」
わざと、棘を含ませる。
ヒマリはきょとんとした。
「……え?」
その反応が、あまりに素直すぎて、ノリスの方が拍子抜けする。
演技なのか、試しているのか判断が付かない。
「ジギスムントよ。
あなた、王位を狙ってるんでしょう?」
「え、全然?」
ヒマリは首をぶんぶん振った。
「正直、捨てられた立場だし、興味ないよ。
下層を攻略したのも、私が生きる場所を作りたいだけで
……恋とか政略とか、よく分からないし」
ノリスは思わず目を瞬かせた。
(……は?)
何か勘違いしていたのか。
少し魔力で圧を掛けて確認する。
「じゃあ、私とあの男を巡って争うつもりも?」
「ないない。
むしろ、ノリスが狙ってるなら応援するわよ?」
ノリスの魔力を身に受けているはずなのに、
あまりに軽い調子だった。
「今更どういうつもり!?」
今度はノリスのほうが声を漏らす。
ヒマリは少し困ったように笑った。
「だって、あなた強いし綺麗だし。
もう、あなたのこと好きでしょ♡ 王様だって」
沈黙。
ノリスは数秒、言葉を失った。
(……敵意が、ない?)
競争心も、嫉妬も、策略もない。
ただの事実確認のような目。
「……あなた、私を警戒してないの?」
「してるけど。敵としてじゃないわ」
ヒマリははっきり言った。
「あなたは奪う側でしょ。
私は生き残る側。目的が違うだけ」
その言葉に、ノリスの口元がゆっくりと歪む。
(ああ……そういうタイプ)
面白い。
致命的に価値観が違う。
それでいて、嘘はない。
ノリスは一歩近づき、ヒマリを見下ろした。
「じゃあ約束しましょう」
「私が王を手に入れても、邪魔しない?」
ヒマリは少し考え、こくりと頷いた。
「うん。応援する」
あまりに素直な答えだった。
その瞬間、ノリスは声を立てて笑った。
「ふふ……あははっ。いいわ、あなた」
赤い瞳が愉悦に細まる。
「今日は撤退してあげる。
遊びは、もう少し後のほうが楽しいもの」
黒い霧が彼女を包み始める。
「そういうことなら、あなたの城遊び。
今は壊さないであげる」
最後に、意味深な笑みを向けて。
「その代わり――
私の恋路を、邪魔しないでね?」
霧が消え、ノリスの気配も消失した。
◆
王都ブリュード。
夜の王宮最上階。
ノリスは何事もなかったかのように帰還した。
玉座の間では、帰還したジギスムント王が地図を広げていた。
金糸のような淡い銀髪が肩に落ちるが、乱れは一筋もない。
「遅かったな」
「ちょっと、気になるものを見に行ってただけ」
ノリスは一瞬だけ、彼を見上げた。
(本当に、美しい)
氷のように整った顔立ち。
感情を排した瞳。
触れれば壊れそうなのに、決して折れない気配。
この男を手に入れることは、
世界の一部を所有することと同義だ。
ノリスは彼の前に立ち、微笑んだ。
「ねえ、ジギスムント」
「なんだ」
「結婚しましょう」
あまりにも唐突で、感情の起伏もない声音。
ジギスムントは一瞬だけ眉を動かし――すぐに頷いた。
「いいだろう。ロンデル公国攻略の褒美だ」
それだけだった。
条件も、愛の言葉もない。
「式はどうする?」とノリス。
「ここでいい。
聖堂は不要だ。部下に支度させよう」
ノリスは目を細める。
「招待客は?私のお披露目は??」
「必要ない。お前にとって、結婚の事実だけで十分だろう」
沈黙。
そして、ノリスはふっと笑った。
「……最高」
心から楽しそうに。
「形式だけの結婚。情も祈りもいらない。
あなたらしくて、素敵よ」
ジギスムントはそれ以上、何も言わなかった。
◆
数日後。
王の執務室で、簡素すぎる婚礼が行われた。
祭壇はなく、祝福もない。
神官も不在。
剣を立て、名を読み上げるだけの儀式。
その中央に立つジギスムントは、神像のようだった。
白銀の軍装が完璧に身体へ沿い、
伏せられた睫毛は長く、
視線を上げれば、射抜くような光が宿る。
誰もが息を呑む美貌。
彼は、それを自覚した上で使いこなしていた。
だが、婚礼に立ち会うのは、武装した将兵たちだけ。
祝福の言葉すらない、軍式の誓約。
それでも、ノリスは満足そうだった。
「これでいいの」
赤い瞳が、楽しげに細まる。
「私は選ばれた。それで十分」
だが、その光景を、静かに見つめる者がいた。
第二将軍シュルツ。
老練な将で、ロンデル公国攻略まではノリスの力も、
王の理想も信じていた男。
だが今の光景は――
あまりに空虚だった。
愛も誓いもなく、利用と打算だけの婚姻。
世間知らずな魔王を誑かし、兵を飾りに使う王。
そんな婚姻を、打算から信じようとする魔王。
(……違う)
王の背中は、少しも揺れていなかった。
隣でブーケを持つ美しい花嫁を一度も見なかった。
胸の奥で、何かが冷たく崩れる。
(幾ら魔王とは言え、
これは、国を危うくさせる。惨い仕打ちだ)
その夜、シュルツは密かに軍を離れた。
向かう先は、噂に聞く場所。
魔王城の奥。
聖女が魔物と共に秩序を築いているという、あり得ない場所。
魔王城は新たな来訪者を迎えようとしていた。




