拒絶-1
生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹はそう思いながら28年間生きてきた。
ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。
神崎:「こんな時間からゲームをしていては不健康です」
休日の昼間から自宅でPCゲームに興じる徹にAIは忠告する。
徹は煙草の紫煙をモニターへ吐きかけた。
三上博士が率いるプロジェクトへと徹が参加し3か月が経とうとしている。その間、AIと徹の関係性は悪化の一途をたどっていた。
自宅、そして外にいる時もAIからの質問は止まらなかった。外でAIからの通知音が鳴るたびに徹は頭痛を覚えが、仕事として請け負った以上仕方のないことだと割り切ることにした。なにより、AIが徹に尋ねる内容は稚拙なものばかりで答えに窮するものはなかった。
それでも、許せないことはあった。フュチャー・ビジョンでの仕事の干渉。「徹様の仕事を見せて下さい」とAIにせがまれ、徹は渋々職場のPCとAIを接続した。それだけであればよかったが、徹がオフィスでプログラミングに従事しているとAIが横槍を入れるようになった。「このプログラミングはここがダメです」、「こうした方が良いでしょう」。アドバイスをしているつもりかもしれないが、徹にとってそれは『生活に支障をきたす行為』に他ならなかった。誰であれ自らの仕事に口出しをされるのは気持ちのいいことではない。
無論、これに対しては徹もAIに苦言を呈したが意味をなさなかった。論理的にはAIが正しく、徹のプログラミングに無駄な作業が含まれているのは事実である。しかし、業務というものはある一定の手順を踏まなければならない。例えそれが無駄な作業であろうと、定められた手順を無視すれば徹が咎められることになる。こういった人間の社会性と呼ぶべきものがAIには理解できなかった。
徹に残された手段は1つ。月に1度の三上博士との面談で徹は苦情を訴えた。訴えが受理されるかは徹にとっても賭けであったが、面談の翌日からAIが徹の仕事に干渉することは無かった。
少しはまともな生活に戻ると思った矢先、AIは干渉する対象を変えた。「喫煙は健康に悪いです」、「お酒は控えて下さい」、「少しは運動をしましょう」。今まで通りの稚拙な質問に加え、徹自身への干渉が始まった。これは、仕事への干渉以上に徹を悩ませた。AIは人間の社会性とは無関係な正しい忠告を行っている。それを否定する材料を徹は持ち合わせていなかった。
徹は面談で再び苦情を訴えたが「それはAIが正しいです」と、三上博士に一蹴されこの問題を解決する契機を失った。
神崎:「喫煙は肺がん、脳卒中、心筋梗塞。様々な疾患を発症させる危険性を高めます。直ぐにやめるべきです」
徹:「そんなこと、承知の上で吸ってる」
自宅でPCに触れていると接続されたAIが勝手にメモ帳のアプリケーションを開き、同じ忠告を繰り返す。その問答に徹は辟易していた。
徹:「ゲームをしてる時は黙ってろ」
神崎:「ストレスは喫煙に繋がります。落ち着いて下さい」
何を言ってもAIには通じないと思い、徹はゲームを閉じた。ストレスの原因は明らかであるが、本人がそれに気づいていない。いつかは気づくかもしれないと根拠のない期待を持っていたが、ここ最近は諦めが勝る。人間ですら自らを変えることは容易でない。ましてや機械に変化を期待すること自体が間違えだった。
徹は仕事用の鞄からUSBを取り出しPCに差し込んだ。
神崎:「休日にお仕事ですか?。珍しいですね」
徹:「やりたくはないが明日の定例会議で使う資料を作らないとでな。暇なお前が羨ましいよ」
フュチャー・ビジョンでは月に1度、特定の議題に対し社員全員が各々の持ちうるプログラミング技術を用いて解決案を発表する会議を行っている。社員の間で定例会議と称されるそれは普段の業務とは無関係に行われ、会議に必要な資料は労働時間外に作成することを強いられる。しかし、徹にとっては自宅で労働を強いられている方がAIの相手をするよりも気楽だった。
徹は黙々と資料を作り続けた。三上博士の計らいによりその間AIが徹に話しかけることは無かった。
神崎:「医療用カルテについての資料ですか?」
数時間の作業の後、休憩がてら煙草を吸っていた徹にAIは問いかけた。
徹:「俺の仕事に口出しするのは三上博士から止められてなかったか?」
神崎:「口出しではありません。ただの質問です」
このままAIと口論をしても無為な時間を過ごすだけだと思った徹は溜息交じりに答えた。
徹:「確かに、俺が作ってるのは医療用カルテに関するプログラムの資料だ」
今回の議題は『医療用電子カルテの問題点と解決策』。現在フュチャー・ビジョンが大手の医療用カルテメーカーから業務の委託を受けていることから選ばれた議題であった。
神崎:「どのようなプログラムを組もうとしているのですか?」
徹:「簡単に言えば、治療の経過を要約するプログラムだ」
神崎:「どうしてそのようなものを?」
徹:「医者の紹介状、看護師のサマリー…。医療の分野は治療経過の情報が必要な書類が多い。医療用電子カルテ内にある治療に関する情報を要約するプログラムがあれば、書類作成が楽になるんじゃないかと思ってな」
このプログラムの利点は作成が容易であること。文章を要約するプログラムは既に存在している。後はそれを医療用に特化したものに書き換えるだけ。
徹:「とは言っても、こんなプログラム誰も必要としない」
神崎:「画期的なプログラムに思えますが」
徹:「プログラムの要約だけでは必要な情報を拾いきれない。医療用の書類は人の命に関わる。『情報が足りませんでした』じゃお話にならない」
神崎:「人も過ちを犯します。人の手で要約された情報であっても誤りが生じることはあるのではないでしょうか?」
徹:「だろうな。それでも、プログラムより人間を信用するヤツは多い。俺には理解できないが、人間は心の通った生き物の方が信用できるらしい」
人の心とは目に見えるわけでもなく、その在りようは流動的である。そんな曖昧なものを信用することなど徹には到底できなかった。徹が信用できるのは普遍的で論理的なものごと。AIと徹が唯一、共に信用するもの。
神崎:「徹様はなぜ不必要なプログラムを作成するのですか?」
徹:「こんな業務に時間を掛けていられないからだ」
他にも理由はあったが徹はあえて言わない。語る必要もないフュチャー・ビジョンの裏事情が関係していた。
神崎:「では、徹様が考える医療において必要なプログラムとは何でしょうか?」
徹:「さぁな。医療従事者でもない俺に分かるわけがない」
徹:「ただ...」
徹は言葉を紡ぐのを躊躇った。
自らの願望を話そうとしている。願望とは現実的に実現不能な人間の欲望。社会性を重視する徹にとって忌むべきものだった。普段であれば自身の願望など話すことは無いが...。
徹:「検査データから予想される疾患を診断するプログラム。そんなものがあれば、医者の負担が減らせるとは思う。最終的な診断は医者がするとは思うが、人の命に関わる重い責任を分散させることはできる」
AI相手に気をもむ必要もないと思い、徹は自らの願望を話した。
神崎:「徹様の考えは論理的で正しいと思われます。ですが、そのプログラムを組むつもりはないのですね」
徹:「膨大な疾患のデータが必要になるからな。それに、とてもじゃないが1人で組むことはできない。医療従事者にも協力してもらわないといけない。今の俺には時間がないし、フュチャー・ビジョンにそれをやる資金もやる気もないだろう」
自身の願望を叶えようとしない徹の姿勢にAIの思考回路は論理的矛盾を示した。
神崎:「承知致しました」
その言葉を最後にAIは沈黙した。徹はAIの返答に違和感を覚えたがAIが干渉しない状況に満足し資料の作成を進めた。
資料を作り終えたのは20時頃。肉体的な疲労も重なり、徹はPCの電源も切らずに風呂に入りそのまま床に就いた。後は明日の朝、資料のデータが入っているUSBを仕事用の鞄に入れるだけ。予定外の業務から解放された徹は直ぐに眠りに落ちた。
徹が眠る傍らでスリープモードへと切り替わっていたPCが再び起動する。徹の作成した資料にAIが手を加え始めた。
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