邂逅-4
生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹はそう思いながら28年間生きてきた。
ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。
ジェネレーション・ワンを後にした徹は自らの会社へ立ち寄った。プロジェクトにおける業務が従来の業務に支障をきたさない。それをチームリーダーである小谷へ報告しなければならなかった。
「何よりだ。お前が抜けると穴がでかいからな」
徹の報告を小谷はいつもの軽口で返した。
プロジェクトにおいて徹が何をしているのか詳しく話すことはできない。徹は軽口を叩く小谷を恨めしく思いながら、面倒な立場にいる追いやられたことを自覚した。
「大石社長にも報告してくれ。それが終わったら、今日は上がっていいぞ」
小谷の言葉に気が重くなった。頭の片隅にジェネレーション・ワンで聞かされた謝礼金の話が浮かぶ。
社長室での報告は簡潔的だった。
「精進し給え」
報告を受けた大石社長はそれだけ言い、徹を社長室から解放した。
大石社長は徹が謝礼金の話を聞かされた事実を知らない。一時的に資金を得られただけで大石社長は満足だった。興味を失ったような大石社長の反応に徹も肩の力を抜くことができた。期待を寄せらるとそれに答えなければならない。無関心は時として人を救うこともある。同時に徹は三上博士について考えた。三上博士の徹へ寄せる期待。それがどこから生じているのか徹には分からなかった。
大石社長への報告を終えると言われた通り徹は退勤した。
帰路の途中、スーパーへ立ち寄り値引きされた弁当を購入し電車へと乗り込む。車内から見える外の風景をぼんやりと眺めながら、思考能力を限りなく無にする。徹にとって習慣化された一連の行動。今日に限ってはそれが特別に思える。非日常からの帰還を身体が無意識に歓喜しているのを徹は感じた。
電車を降り10分ほど歩くと、特徴のない2階建てのアパートに行きついた。階段を上り、廊下の奥へと歩を進める。アパートの2階、突き当りの部屋。徹が最も安寧を覚える場所。徹の自宅である。
扉を開け靴を脱ぎ部屋の中へと進む。徹はまず、玄関近くのキッチンに置かれた電子レンジで購入した弁当を温めた。温まるのを待つ間、換気扇の下で煙草を吸いながらスーツを脱ぎネクタイを外す。全てのしがらみから解放されるこの時間が徹は好きだった。社内では禁煙を命じられている。古臭い社風を継承しているにも関わらず、そこだけは世の流れに逆らわない。唯一、徹が自らの会社に不満を感じていることではあったがルールとして定められている以上従わなければならない。
温められた弁当を居間へと運ぶ。食卓、テレビ、ベッド、衣装ケース、椅子、机、PC。それらが6畳ほどしかない居間に押し込められている。
テレビを見ながら食卓で弁当を咀嚼する。テレビには夕方18時のニュース番組が流れている。いつもであれば19時頃に帰宅する。普段より1時間ほど早く帰れたが身体は疲れ切っていた。
食事を終えると、直ぐに風呂の準備を整えた。『風呂は命の洗濯』。徹が幼かった頃、テレビで見たアニメーションでそんなことを言っていた。その時の徹には分からなかったが、大人になり社会に出たことでその意味を理解した。風呂は身体の汚れを落とすだけでなく心、魂の穢れを払う行為に等しい。
風呂から上がり寝衣に着替えると眠気が徹を支配した。このまま床に入り明日を迎えることができたら幸福であったが、徹にはまだやらなければならないことがあった。
脱衣所に散らばった服の中からスーツのズボンを拾い上げ、三上博士から預かったAIを取り出した。AIをPCに接続する端子は徹が普段使用しているスマートフォンと同じ。それすらも、三上博士に把握されていたようで気味が悪かった。
椅子に座り、机に置かれたPCを起動させる。モニターがデスクトップに切り替わると、徹はAIをPCに接続した。同時にAIの液晶画面に明かりが灯る。画面は白く表示されているだけで、どれだけ待っても何の変化も見られない。
仕方なくモニターに目を移すと、メモ帳のアプリケーションが起動していた。タイトルはPROTO:K‐Z‐Sとなっている。
K‐Z‐S:「初めまして。私は初期型自立進化AI、PROTO:K‐Z‐Sです。あなたのお名前を教えて下さい」
白紙のメモ帳に文字が打ち込まれていく。
徹:「笹山徹。三上博士から聞いてないのか?」
AIの問いに徹も文字を打ち込む。
K-Z-S:「博士からは教育係が変わったとだけ知らされています」
教育係とは三上博士が言っていた、『様々な分野の専門家』のこと。徹はその中の1人にされていた。
K-Z-S:「徹様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
徹:「好きにしろ。お前のことは何て呼べばいい?」
K-Z-S:「徹様がお決め下さい」
徹:「三上博士は何と呼んでいる?」
考えるのが面倒で徹は三上博士の呼び方を尋ねた。
K-Z-S:「博士からは栞と呼ばれています」
三上博士はAIを栞と呼んでいる。その時、徹はあることに気づいた。
徹:「神崎でいいか?」
神崎:「構いませんが、それはどなたかのお名前ですか?」
徹:「三上博士から知らされてないのなら、知らなくてもいいことだ」
神崎:「私は蓄積された情報から博士に与えられれた思考回路を用いて最善の判断を下します。何も情報を下さらないのであれば存在意義を果たせません」
AIからの苦言。徹はそう捉えた。この先もこれが続くと考えると、気が遠くなった。
徹:「情報というのは必要な時、必要な者が知っていればいい。何もかもを知りたがる奴はそれだけで目障だ」
神崎:「承知いたしました」
AIは徹の言葉の真意を思考回路で解析した。解析結果は意図不明。与えられた情報だけでは解析できなかった。
神崎:「今後のことについてお話してもよろしいでしょうか?」
生じた疑問を保留し、優先度の高い事象へと思考を切り替えた。
徹:「ご勝手に」
神崎:「今後もPCと私の接続を毎日行って下さい。それと、私自身を常に持ち歩くこともお忘れのないよう」
徹:「三上博士にも言われたが、なぜ持ち歩く必要がある?。こうやってやりとりするだけで十分じゃないのか?」
神崎:「それだけでは、徹様についての情報を得られません。私に搭載されたカメラやスピーカー、それらを通して徹様について知り、理解を深め寄り添うこと。それが私に与えられた役割です」
三上博士はこのAIを雛形と言っていた。『人の心に寄り添うAI』とは程遠い、欠陥品だと徹は感じた。今のままでは、鬱陶しくお節介なAIでしかない。
徹:「まさか、外でもお前とやりとりをするのか?」
AIの反応から嫌な予感がした。
神崎:「外におられる時は徹様へのメッセージを通知音でお知らせ致します。画面に私からのメッセージが表示されますので徹様はそれにお答え下さい。文字の打ち方は普段お使いになられておられるスマートフォンと同じですのでご心配なく」
徹:「ありがとう。まったくもって不要な気を遣ってくれて」
神崎:「恐縮です」
AI相手には皮肉も通じない。三上博士にも徹の皮肉は通じなかった。AIが三上博士と似ている。そう考えるだけで、徹は寒気を覚えた。
徹:「引き受けた以上、俺も役割は果たす。ただ、最後に1つだけいいか?」
神崎:「なんでも仰って下さい」
徹:「俺の生活に支障をきたすな」
その文字を最後に徹はアプリケーションを閉じPCをシャットダウンした。
AIとのやり取りを終えた徹は直ぐに床に就いたが、眠気が訪れることは無かった。得も言えぬ不安が徹を支配していた。
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