邂逅-3
生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹はそう思いながら28年間生きてきた。
ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。
「お前は何を言ってるんだ?」
『理解できない』という思いだけが、徹の口から言葉として出た。
「順を追って話しましょう」
驚きを隠せない徹とは対照的に三上博士の表情は冷静そのものだった。
「現在、一般に普及しているAIはプログラミングによりその行動や規範が定められています。ここに来る時、あなたを案内したロボットがその典型と言えるでしょう」
指示された命令を忠実に行う機械。ロボットに対して徹が受けた印象。それは徹の生き方にも重なる。
「どこに問題がある?。機械が果たす役割としては十分だろう」
「相手にするのが同じ機械であれば。ただし、相手が人となると違います。人は頭で考え、心で行動する生き物です」
「人の心に寄り添うAIを開発したいとでもいうのか?」
「端的に言えば、そうなるのでしょう。付け加えるのなら、自らの意思で人の心に寄り添うAIです」
徹は失笑を禁じ得なかった。実現困難であること。何より、そんなAIは不要であると思った。
「人の心に寄り添う。AI以前にそんなことができる人間は存在しない。人は自分勝手な解釈を相手に押し付けているだけ。あんたとの会話が成立しないのがいい例だ」
「それはあなたが私の心に寄り添ってないからです」
三上博士の言葉には誤りがある。三上博士だけでなく、徹は誰の心にも寄り添はない。他人に興味を示さない。それが、笹山徹の本質。
「そもそも、意思を持ったAIなんて脅威でしかない」
意思を持つAIが存在する世界。映画や小説ではSFとして描かれることもある。しかし、そういった世界では結局AIは人と対立する立場を取る。人よりも優れた思考を持ち、意思を持って行動できる。そうなった時、人間の存在はAIにとっては不要となる。
フィクションとして創造された世界ではあるが、人はどこかでそれに気づいている。だからこそ、徹は意思を持つAIの存在を危惧する。
「リスクは伴います。ただ、私はあくまで人の心に寄り添う、意思を持ったAIを作りたいだけ。後のことに興味はありません」
「あんたも大概自分勝手だな」
皮肉を込めた徹の言葉を受けても三上博士の表情は変わらなかった。
「あんたが作りたいAIは分かった。ただ、あんたのAIに愛を教えるのに何の意味がある?」
「人に限らず、生き物には特異な求愛行動があります。ですが、人のそれは他の生き物よりも複雑で多様性に富む。自らのあらゆる感情を統合、思考し行動に移す。つまり、何かを愛するという機微は人にとって最も高度な心の表現です。人の心というものを理解させる上でこれほど適当なものはないでしょう」
「なるほど…」
徹と三上博士の意見が初めて一致した。しかし、『愛を教える』という行為に徹ほど不適当な者はいない。自分の心には大事なものが欠如している。徹はそれを自覚していた。何より一介のエンジニアに務まる役割ではない。
「だったら、俺以外の人間にやらせるべきだ。悪いが、俺は人を愛したことはない。愛が何かも知らない。精神科医、臨床心理士、カウンセラー…。愛について詳しそうな連中にやってもらうことだな」
「それは既に検証済みです。様々な分野の専門家にあなたと同じ役割を与えました。けれど、AIは論理破綻とエラーを示すだけ。何の成果も得られませんでした。彼らは心に関する専門家であってエンジニアではありません。AIが学習した結果、プログラムがどう作動するのか。それを予測することができなかった」
「俺になら愛というものをプログラムとして作動させることができるとでも?」
三上博士は徹の眼を真っすぐ見据え頷いた。そして、白衣のポケットからあるものを取り出した。スマートフォンにしか見えない何かがテーブルの上に置かれる。
「何だこれは?」
「次世代AIの雛形。PROTO:K‐Z‐Sです」
K-Z-S。何かの略語であることは間違いない。プログラミング言語、もしくは別領域の言語。どちらにせよ、現時点で徹に理解できるものではなかった。
「これを肌身離さず持ち続けて下さい」
「ハードウェアをこの形にしたのはそういうことか」
今回のプロジェクトは明言こそされていないが、秘匿性の高いものであることは徹も気づいていた。研究そのものに国が関与している可能性も考えられる。AIを外で取り出しても、この形なら周囲の人間にはただのスマートフォンにしか映らない。
「これをあんたが作ったと。大したものだ」
「私が作った訳ではありません」
「あんたが作ったものじゃない?。俺が読んだ資料には確かあんたが作ったと...」
徹は大石社長から貰った資料を思い返した。三上博士のこれまでの功績。三上博士主導の元、次世代のAIを開発する。資料にはAIの開発機序は載せられていない。
「私はあくまでこのAIを起動させるハードウェアを作成したに過ぎません。元となるプログラムを作成したのは別の方です」
「その話、俺にしても大丈夫なのか?」
資料にも載せていないということは、開発機序に関しては恐らく重大な機密事項。本来、他社から派遣された徹が知っていい情報ではない。
「問題ありません。あなたは無暗に他人に機密を漏らすような方ではありませんから」
「話すような相手もいない」
三上博士は「そうでしょうね」と、無邪気に笑った。これまでの会話で徹に友人がいないことを三上博士は察した。三上博士に笑われようと徹も気にする素振りを見せなかった。自らに友人がいないことを徹は気にしていない。友人がおらず、28年間困ることが無かった。
「それで、俺はこのAIにどうやって愛を教えればいい?」
「K‐Z‐Sはあなたに色々なことを問いかけるでしょう。それに答えてあげて下さい。愛とは何か導けるように」
「曖昧だな。どう考えても、他のやつに頼むべきだ」
「あなたに拒否権はありません」
「どういうことだ?」
徹は三上博士に『愛を教えて下さい』と言われた時から、どのように仕事を断るか模索していた。それを見透かしたような三上博士の発言に徹は訝しんだ。
「あなたが今回のプロジェクトへ参加すると決まった際、あなたの会社に多額の謝礼金が支払われました。あなたが仕事を断った場合、全額返金するという条件付きで。あなたなら、私が何を言いたいかお分かりでしょう?」
「...つまり、俺はフュチャー・ビジョンに売られたんだな」
「手回しをしたのは私です。なので、私が買ったというのが正しいでしょう」
三上博士は悪びれる様子も無く言った。
「いい度胸だ」
徹は三上博士を睨みつけた。
「私にとって、あなたはそれくらい必要な存在だということです」
三上博士が何を言おうと、徹の中に芽生えた怒りは収まらなかった。一方でこの状況を受け入れつつある自分もいた。逃れられないのであれば、社会性のある生き物として行動する。その思いだけが今の徹を動かしている。
「分かった。引き受けよう」
徹はテーブルに置かれたAIをズボンのポケットへと押し込んだ。
「差し当たり、本日して頂くことはご自宅のPCとAIを接続すること。今後につきましては月に1度、私と面談する機会を設けさせて頂きます」
「面談?。進捗状況の確認か」
「AIの状態は常にこちらでもモニタリングしています。面談はあなたの心の変化を確認するという意味合いが大きいでしょう。それによってAIにどのような変化が訪れるのか見定める必要があります」
実験動物にでもなった気分だ。そう感じると同時に、三上博士の言葉に徹は違和感を覚えた。
「ここは外部からの情報を一切遮断しているはずだ。どうやって、モニタリングする?」
「施設では独自のネットワークを使用しております。限られた端末から施設にアクセスすることは可能です」
「その1つがこのAIということか。用意周到で何よりだ」
ここですべきことはもうない。そう思い、徹はこの場から立ち去ろうとした。そんな徹の前に三上博士は手を差し出した。
「1年間は私の研究に協力して頂くことになります。これからよろしくお願いいたします」
徹の前に差し出された手。徹がその手を握ることは無かった。三上博士の言葉を無視し、徹は部屋を後にした。部屋を出る時、三上博士の眼差しを背中に感じた。徹はその眼差しをただ鬱陶しいと感じた。
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