邂逅-2
生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹はそう思いながら28年間生きてきた。
ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。
電車から見えるいつもと違う風景。非日常が始まる予感。その全てに徹は吐き気を催した。
大石社長から貰った資料。資料に目を通して分かったジェネレーション・ワンのプロジェクト。それはAIの開発、研究に関するものだった。
三上透子博士。AI工学の権威。資料には三上博士の過去の研究、その功績が載せられていた。三上博士主導のもと極秘裏に次世代のAIを開発する。それがプロジェクトの概要。
資料を目にするまで徹は三上博士の名前も知らなかった。AIに対する興味が無く、その名前を知る機会が無かった。
「とにかく綺麗な女だな」
三上博士について尋ると小谷はそう答えた。小谷は昔から人に関する情報を集めるのに長けた男だった。美人であること以外にも三上博士についていくつか判明したことはあったが、AIに対する興味と同様に三上博士に対して徹は興味を持てなかった。
自分は与えられた役割を遂行するだけの存在。まるで、機械のような面持ちで徹はジェネレーション・ワンの本部へと向かっていた。
電車を乗り継ぎ、辿り着いたのは見渡す限りの山々。目的地は山の中にあった。ジェネレーション・ワンの本部に辿り着いた徹が最初に抱いた印象は、『白く、大きく、巨大な箱』。広大な敷地の中央にある大きな長方形の白い建物。そこがジェネレーション・ワンの本部であり、その建物を中心に小さな正方形の白い建物が等間隔に並んでいる。建物の壁にはツタが生い茂り、自然と人工物が入り混じる姿は異様な光景を呈していた。
徹は本部に足を踏み入れ受付を探した。マッピングが施された壁面、前衛的な形のソファー、噴水や植木鉢。エントランスにも自然と人工物の対比が目につく。誰かが計算し、置かれたそれらは見るものに癒しをもたらす。一方でどこか現実離れした、異世界に迷い込んだような感覚に陥らせた。
エントランスを少し進んだ先に受付はあった。そこにに人はおらず、代わりに高さ140㎝ほどのロボットが何台か配置されていた。
「いかがされましたか?」
受付に着くとロボットの1台が合成された音声で徹に尋ねた。ロボット前面のモニターには人の顔を模した絵文字が表示されている。
「フューチャー・ビジョンから来た笹山と申します」
「笹山様ですね。しばらくお待ちください」
モニターの表示が海の映像に切り替わる。映像が流れている間、ロボットは内蔵されたカメラやマイクから目の前にいる人間が笹山徹本人であることを認証する。30秒ほどで作業が終わり、モニターが戻った。
「御本人であることが認証されました。三上博士がお待ちです。ご案内します」
ロボットは受付の奥にあるエレベーターまで水平に移動する。徹はロボットを追った。
目の前にあるボタンの無いエレベーター。どうやって動かすのか徹が疑問を感じていると、ロボットから『ピッ』という発信音が聞こえた。同時にエレベーターの扉が開く。
「お乗りください」
エレベーターの中は壁や天井、床に至るまで満天の星空で埋め尽くされており、エレベータの動きと相まって宇宙空間に放り出されたような感覚に囚われる。階数の表記は無く、自分が何階に向かっているのかも分からなかった。
エレベーターが開いた先はマンションの内廊下を連想させた。一定の間隔で並ぶ扉の数々。表札は無く、それぞれの部屋がどのような役割を果たしているのかも分からない。そんな中、ロボットは迷い無く前へと進む。
「中へお入りください」
廊下の一番奥で動きを止めたロボットは徹に伝えた。呼び鈴の無い眼前の扉。この先に待っているものが運命を狂わせる。徹は扉を開くことを拒絶している自分を強烈に感じた。
「中へお入りください」
徹が固まっていると、ロボットは同じ言葉を繰り返した。徹は意を決し扉を開いた。
扉の先で徹がまず目にしたのは、長い黒髪に白衣を着た、目鼻立ちの整った綺麗な女性。小谷の話が正しければその人物が三上博士ということになる。
「三上博士ですね?」
徹は眼前の人物に尋ねた。
「はい。あなたは笹山徹さんですね?」
笑みを浮かべ、三上博士は返した。
徹が軽い会釈で答えると三上博士は「奥でお話しします」と言い、徹を中へと促した。
15畳程のワンルームに備え付けのキッチン、冷蔵庫。中央にテーブルとそれを挟むように置かれた簡素なソファーが向かい合わに2つ。部屋の隅にはテーブルとPC、リクライニングチェア。どこにでもある単身者の部屋。徹は自分が居る場所が最先端のAIを研究している施設とは思えなかった。
「私に対して敬語は不要です」
ソファーに対面して座るなり三上博士は言った。
「それは、どういう意味ですか?」
徹は意図を図りかねた。
「そのままの意味です。私に対して敬語の使用を禁じます」
「理由をお聞きしても?」
「あなたは私よりも年上です。そんなあなたが、私に敬語を使うのが気に入らないからです」
大石社長の資料には三上博士の年齢は25歳と書かれていた。徹の3歳下ということになる。徹もそのことは知ってはいたが、このプロジェクトにおいて三上博士は言わば徹の上司にあたる。何より徹は他者との会話で敬語以外を使うことが苦手だった。
「あんたは敬語なのか?」
「あなたよりも年下ですので」
不毛な口論にしかならないと感じた徹は溜息をついた。
「分かった。それで俺は何をすればいい?」
「せっかちな方ですね」
三上博士は無邪気な笑みを浮かべた。
「無駄な会話は嫌いでね。要件だけ話してくれればそれでいい」
「では、この施設に訪れて思ったことをお聞かせ下さい」
徹の話が聞こえていないかのような三上博士の言葉。会話のキャッチボールが成立しない相手と話すことは何度かあったが、徹はその度に人という不完全な生き物を哀れんだ。
「それは、今回のプロジェクトに関係があるのか?」
「あなたの人となりを知るという意味では」
「じゃあはっきり言うが。正直、気味の悪い場所だと思った」
ジェネレーション・ワンの敷地に足を踏み入れここに来るまでの間、徹はどこか居心地の悪さを感じていた。初めてこういった施設に立ち入り多少の緊張もあった。しかし、それ以上の何かが徹の居所を悪くさせた。
「携帯は圏外。こんな山の中だから仕方ないとも思ったが、施設内でも圏外のまま。ここに来る道中も自分がどこに居て、どこに向かっているのか分からない。何よりあんたに会うまで人の姿を1度をも見ていない。陸の孤島に1人でいるような感じだ」
「そう感じるのはあなたの感受性の問題でしょう。私はここを最適な環境だと思っています」
「機密保持のためか?」
ジェネレーション・ワンにはいくつか極秘プロジェクトが存在する。そこには国から委託を受けたプロジェクトも含まれる。外部からの情報を完全に遮断することで機密の保持性を高める。単純ではあるが効果的な方法。
「流石です。今と同じ質問をしてその結論を出した人はほとんどいません。大体の方は、施設の規模やシステムに驚かれるだけでした」
「だろうな」
技術の最先端を行くジェネレーション・ワンで仕事ができる。それは、本来エンジニアにとって夢のような話。徹は他の者が浮足立つ場面が容易に想像できた。
「数ある人の中であなたを選んだのは正解でした」
「どういうことだ?」
「今回の公募で選ばれたのはあなた御一人です」
公募で集まったエンジニアの数は企業、フリーランスを合わせ1万人を超える。倍率が高かったことは徹にも予想できた。しかし、選出されたのが自分1人というのはどこか腑に落ちない。
「理解できないな」
「何がですか?」
「あんたは俺の経歴を知っているはずだ。お世辞にも優秀なエンジニアとは言えない。なぜ、俺を選んだ?」
首を傾げ、三上博士は言葉を探す。
「個人的な理由です」
その言葉には何も語らないという強い意思があった。徹はそれ以上追求することを諦めた。
「...で、結局俺は何をすればいいんだ?」
「あなたには次世代AIの発展に貢献して頂きたい」
次の言葉に徹の理解が追いつくことは無かった。
「私のAIに愛を教えて下さい」
三上博士は曇りのない眼で告げた。
徹にとって最も欠けていることをAIに教える。三上博士がどうしてそんな役割を徹に与えたのか。この時の徹には知る由も無かった。
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