紗奈と天と風
大昔、まだ人が住んでいなかった頃のお話。3神と香りの精霊が問題解決を。さあどんな難題が待っているでしょう。シリーズ第1章の始まりです。
いにしえの時
まだ人の世は、影も形もなかった頃
天を支配する神。天御中主の神
生命を司る神。高御産巣日の神
そして、すべての自然界を養う神、神産霊の神がおった。
その時代、人がおらなんだから、名前など必要でなかったが、この物語の中だけ、こう呼ばせて頂こう。
天の神、命の神、風の神と
さて、紺碧の空におわす月の女王は美しく、気高くあられた。
その輝きは天を覆い、星々の光をも掻き消すほどであった。
全ての始まりである天御中主の神(天の神)も、女王が放つ威光に満足しておられた。
されど――
女王の心には、やがて高慢さが芽生えた。
「我こそが常に最も美しく、
すべてのものは我が足元にひれ伏すのじゃ。」
月の女王の煌めきと鋭き眼差しに、
星たちは畏れおののき、輝きを薄衣に隠した。
そして、いつしか天の舞を踊る時も足音を忍ばせるようになった。
夜空は静まり返り、輝きはただ女王ひとりのものとなっていった。
その有り様に気づきしは、天の神、天野御中主の神であった。
天の神は心を憂え、
友にして良きアドバイザーたる 命の神こと高御産巣日神 と
風の神こと神産巣日神 を召した。
天の神は問うた。
「この世の均衡を保つには、いかにすべきや。
女王の威光は美にして尊し。されど、星の声をも奪うべきではあるまい。」
命の神は、その通りと言わんばかりに何度もうなずいた。
風の神が、「そうじゃの、月の女王には女王たる思いやりも学んでいかなくてはの。」
「眩い美しさのために幼き頃より甘やかしてしもうたに、どのように思いやりを教えるのか思案せねば。」と命の神。
風の神が思い付いたとばかりに「そうじゃ!先日の事、香りの精霊が朝早くから花の香りを集めるとかで元気に飛び回っておった。あの子なら物おじせず月の女王に思いやりを説くことができそうじゃがの。」と仰せになった。
天の神と命の神は頷き、「そのような者がおるならば会って任を託せるか話してみよう」ということになった。
伝令が、香りの精霊に伝わると朝露のごとく生命の息吹の輝きを持って即座に3神の御座の前に現れた。
その小さき姿に、天の神も命の神も目を細め、風の神はにこやかに頷いた。
3神の前で恭しく手をついて3角形を作り、その真ん中に頭を乗せて深くお辞儀をしたままでいる香の精霊。
「名はなんと申す」前の方から厳かな声が響いた。
「私の名は紗奈と申します。」と緊張しながら答えた。
天の神は言った。
「紗奈とな。面をあげよ。そなたの心根は、朝の香りのように澄んでおると聞く。
今宵、月の女王に寄り添い、思いやりの道を説くことはできるか」
命の神は、慈しみ深く見つめながら問う。
「その務めは、命を育むがごとく慈しみの心を要する。
傷を負うやもしれぬ。そなたに耐えられるか」
そして風の神は、やわらかに笑んだ。
「わしは見ておったぞ。花々の香りを束ねるそなたの働きを。
物おじせず、時に遊ぶがごとき軽やかさで、女王の頑なな心を溶かすのじゃ。」
紗奈は、ひざまずいたまま胸に手を当て答えた。
「かしこまりました。女王さまの心に、香りのごとく優しき思いやりを届けてご覧に入れましょう。」
天の神は、全てを見透かす鋭い眼光を向け、
「紗奈よ、そなたの心に迷いはないか」と問うた。
命の神は目を細め、柔らかに微笑みながら、
「小さき者よ、女王の心に触れる覚悟があるか」と重ねた。
風の神は軽やかに頷き、
「そなたの香りは、夜空に届くかもしれぬ。
心せよ、勇気を持つことぞ大事なれ」と告げた。
「はい!心して参ります。全てのものは、天の神、命の神、風の神から命を授けられ、それを繋ぎ、育んで参るものでございます。
まず、感謝の心を取り戻す事から始めて見ましょう。」紗奈は、まっすぐ前を見て決意を述べた。
それから紗奈は、輝きの線を描きながら早朝のまだ露が残る大地に戻った。
(どうしようかなー。まず、リラックスと心を整える香りを集めよう)
心の中で会話しながら、ラベンダー、バジル、ロシアンセージ、パイナップルミント、オレンジゼラニウムの香りを小瓶に詰めた。
ツリーマロウの花と葉っぱでラッピングしたら
(フフッ、素敵なプレゼントになりそう)
きっと月の女王様は喜んでくださるわ!
月桂樹と翡翠のティアラも作っちゃおっと。
まだ夜には時間がたっぷりある。
紗奈は、月の女王のことを考えながらプレゼント作りを楽しんだ。
夕方になって、紗奈は籐で編んだカゴに贈り物をそっと入れた。
「できたー!かんせーい!」
贈り物の周りを飛んだり跳ねたり踊ったりしながら、どこから見ても素敵と思える自分の作品を眺めた。
夜になると月の女王が、黄金色の衣に身を包み、目を見張るばかりの美しさを纏纏ってお出ましになった。
「わーお!完璧なお姿❣️」
紗奈はカゴを手に夜空へ向かった。
地を見下ろすと月の女王に照らされた山々、野原、海が昼と間違うくらい明るく輝いている。
「こんな力ある月の女王に、わたしの小さな贈り物など届くのだろうか……
紗奈は首を振った。うううん!私の憧れの気持ちや畏れの心を解ってくださる。きっと喜んで頂けるわ!
そして、女王様の心を溶かし、思いやりを伝えるのがわたしの務め。今宵こそ、その使命を果たさねばならない。」
月の女王の前に立った紗奈は、深くおじぎををして――
「月の女王さま、この度は天御中主の神、高御産霊の神
そして、神産巣日神より今宵の供を仰せつかり参上致しました香りの精霊、紗奈と申します。
小さき者の心よりの贈り物を用意いたしました。拙きものですがどうぞ御査収くださいませ。」
と、恭しく差し出した。
女王が手に取るかどうか迷っていると、
紗奈はじっとしていられなくなって、
「ご覧ください!この小瓶の中には花の香りが入っております。
全てのものを癒すラベンダーと心を解放するバジル、それから
幸せを運ぶパイナップルミントなどなど――このブレンドは甘いけど爽やかな香りなのでございます。ふふっ♪お手に1滴落としてご覧あそばしませ。女王様のご威光が更に芳芳しく香りたちます。」
と、身振り手振りしまいには小さな香りの雫を振りまいて踊りながら話すのだった。
女王は最初、冷ややかに見つめていたが、
その奔放さに少しずつ心を惹かれていくのであった。
そして、ついに1滴手に落として香りを試すとそれらの香りは羽ばたいて天空に広がっていった。
「気に入ったぞ。紗奈と言ったな。」と満足げに声を掛けた。
紗奈は「ありがとうございます。こちらはベイリーフと翡翠のティアラでございます。」
それを手にした女王は「わらわの髪に載せるなどふさわしくないわ。黄金のティアラを戴いておるではないか!」と紗奈に投げつけようとした。
紗奈は、まっすぐ女王を見ながら言った。
「女王さま、その輝きは尊く美しくあらせられます。けれど、その光は、天照大御神さまから授けられたものなのです。」
その言葉に女王の顔色が変わり
「何を申す!この光はわが力にほかならぬ!」
女王が怒りを言葉にした瞬間、紗奈は大きな力が動いたのを感じた。
見ると天照の御光が徐々に遮られ、月の女王の輝きがほんの少しずつ消えてゆく。
暫くなのか長ーい時なのか紗奈は立ち尽くしていた。
夜空は深い紺碧に沈み、女王の衣と宝飾は輝きを失った。
その静けさは大地も草木も、海も、風さえも凍りついたかのよう。
ただ虚ろな月の女王の影だけが、空に残された。
すると今まで足音も忍ばせて静かに身を潜ませていた星たちが一斉に煌めいた。
その小さな光に照らされるように、女王の月影はほんのりと橙に染まった。
それは冷たき白銀の光や威光を帯びた黄金の輝きではなく、
まるで大地を包む灯火のようにあたたかく、やわらかで、慈しみに満ちていた。
女王は初めて気づいた。
「これが……わらわの真の姿……?」
その声には威光の誇りではなく、驚きが映されていた。
オレンジ色に染まった月の女王が手に持っていたもの。
振りかざした手は下げられ、しっかり握っていたもの。
それは、月桂樹の葉で編まれ、翡翠の光を散りばめたティアラ。
女王は震えながら、髪にそっと添えた。
その瞬間――
白銀の光や威光を帯びた黄金の輝きに包まれていた頃には見えなかった、「大地に寄り添うあたたかな美」が彼女の姿に宿った。
女王は知った。
“これは、わらわに似合うもの”
そう、つぶやき、初めて自分自身を見つめることができたのだった。
ティアラを戴いたその姿は、なおも威光を放っていた。
月桂の葉は勝利と永遠を語り、翡翠は清き調和を映す。
その輝きは、かつての冷たい白銀ではなく、
星々や大地と共に息づくあたたかな光となって広がった。
月の女王は、静かに瞳を伏せる。
「わらわは……このティアラにふさわしい者になれるであろうか」
その言葉には、女王の気高さとともに、
初めて芽生えた謙虚さが滲んでいた。
紗奈がその姿を見上げて――
「やっぱり女王さまはお美しい……そして、そのティアラは“みんなと一緒に輝く女王さま”にすっごくお似合いです!」
女王が微笑んで紗奈を見た。
星たちが瞬いた。
それはまるで、小さき光の手が打ち鳴らす拍手のよう。
煌めきはやがて夜空にあまねく広がり、やがて調べとなった。
銀河は竪琴の弦を鳴らすがごとく震え、
風はその音色を運び、全ての星たちが歌を紡ぎ始めた。
月の女王と紗奈のやりとりを近くで見ていた水瓶座のサダルスウドが、持っていた水瓶をツツミのように打ち始めるとそれに合わせて大きな合唱となり星たちの歌声は大地まで届いた。
星たちの歌は讃歌にして、祝福。
「月の女王よ、その威光をまといて夜空に輝け。われらと共に。」
女王は静かに目を閉じ、
その調べを胸いっぱいに受け止めた。
のちに天照大神は、慈しみの心を持った月の女王に再び黄金の威光を授けたのであった。
紗奈と天と風 おしまい
この物語は、2025年9月8日 1:27〜3:40 に起きた月食を見ながら、嶺との対話から生まれました。
発想を広げてくれた友人レイに感謝します。




