不思議な力
「ねえ、お兄ちゃん見て見て!」
愛羽が興奮した様子で手を引いてくる。まだ夕食の準備が終わっていないから早く済ませて欲しい。そんな優輝はやれやれと部屋へ連れられていった。
「何だよいったい。俺まだやることあるんだけど」
「いいから見てて!」
愛羽は手を離し、部屋の中央に立つ。そこにはランドセルや教科書が散らばっていた。
愛羽がそれらに手をかざす。力を込めた表情で念じると、教科書やノート、ランドセルまでが浮かび始めた。
「え?」
ふわふわと、シャボン玉のように。ついには愛羽の頭上まで上がりゆっくりと回り始めた。
「どうどう? すごいでしょ!」
「すげー! どうやったんだ、これ。手品か?」
「ううん、念じたらできたの。浮かべって!」
「そんなのあるわけないだろ」
さすがに信じられない。糸か何かで吊ってるんだろうと手を動かして確かめてみる。
しかし、手は教科書の上を通り過ぎた。横や下に手をやっても何もない。磁石でも金属じゃないしますます分からない。
「なあ、これ本当にどうやってるんだ?」
お手上げだ。小学生に負けたみたいで悔しいが本当に理解できない。
「だから」
なのだが、愛羽の答えは変わらない。
「念じたらできたんだよ」
(え?)
胸に何か冷たいものが芽生えた瞬間だった。
「これだけじゃないよ?」
愛羽は勉強机からコップを持ってくる。中身は麦茶だ。だが愛羽が念じる仕草を見せると、麦茶は渦を巻き、オレンジジュースに変わっていった。
「ほら? すごいでしょ? 念じただけでオレンジジュースになっちゃうんだよ!」
見上げてくる顔は輝いている。すごいと褒めて欲しい。そんな期待を向ける瞳。
だが、優輝の心は反対だった。
驚きは、いつしか冷や汗に変わっていた。
興奮は、いつしか恐怖に染まっていた。
分からない。目の前の現象に、感心より恐怖が膨らむ。
どうしてこんなことが? いや、こんなことはあってはいけない。
「なあ、これは誰かに話したのか?」
「……ううん、見せてない」
「これは俺と愛羽だけだ。もうやるな」
「え、でも――」
「駄目だ!」
強い口調で言い聞かせる。愛羽は俯き、浮いていた教科書は彼女の気持ちを映すように落ちていく。
必要なことだった。こんなことがバレたら、世間に知られたら大変なことになる。愛羽がどんな目に遭うか分からない。
彼女を守るため、これは仕方がないことだった。 自分にそう言い聞かせる。
それから、愛羽との間に距離ができた。一緒にいても気まずい空気が流れどこか接しづらい。
時が経ち、優輝は高校生、愛羽は中学生になっていた。会話はさらに減り、明るかった愛羽は大人しい性格へと変わっていた。
昔はあんなに仲が良かったのに。今では他人より遠い気がする。
そんな時だった。優輝は自室で勉強に励んでいた。いい仕事に就くため、国立を目指して参考書と過去問に没頭し古文に苦戦しながらペンを回す。
そこでノックの音が響いた。
「兄さん、今いい? 話があるんだけど」
愛羽の声だ。元気がない。落ち込んでいるのが伝わってくる。
でも、この時の優輝には余裕がなくて。模試の結果は悪くないがA判定にはまだ遠い。
「悪いけど後にしてくれないか? 今忙しいんだ」
「うん……ごめんね」
扉越しに足音が遠ざかっていく。そういえば、と気になって聞いてみた。
「あの力は使ってないんだよな?」
「……うん」
「ならいいんだ」
優輝は勉強に戻っていった。
数日後、愛羽のクラスメイト二人が事故と病気に見舞われたと知った。
愛羽の部屋で、優輝は愛羽と向き合っている。中学の制服を着た愛羽は俯いていた。
「どうして力を使ったんだ!?」
部屋の空気が重い。声を張り上げるたび雰囲気が険しくなる。
「もう使わないって約束しただろ!」
「使ってない」
「使ったに決まってるだろ! 交通事故だってあそこは見通しがいいし、今まで一度も事故なんて起きてない。病気の子だって昨日まで元気だったのに原因不明で倒れるなんておかしいだろ!」
「…………」
偶然では済まされない異常だ。愛羽が力を使ったのは間違いない。
言い逃れができないと悟ったのか、愛羽が口を開く。
「……だ、だって。それは――」
「なあ、なんで俺との約束が守れないんだ?」
遮って優輝が言う。前のめりの言葉は気持ちそのもので、本心だった。
「俺は、お前のために言ってるんだぞ?」
本気でそう思っているから、愛羽の行動が理解できない。
「ッ!」
だが、その言葉に愛羽の表情が激しく歪んだ。
「もういい! 兄さんなんて知らない!」
「愛羽!」
愛羽は部屋を飛び出し、その横顔は涙に濡れていた。
追いかけるが、愛羽は靴も履かず外へ出てしまう。
「待てよ、愛羽!」
急いで靴を履き愛羽の靴を持って外へ飛び出す。
夜の町を二人は走る。呼びかけても彼女は止まらない。
俯きながら、時折涙を拭う仕草を見せる愛羽。距離はまだあるが、もう少しで追いつける。
それで安堵するが、そこで前方の信号機が赤なのに気が付いた。 さらにトラックが走ってくる。
「愛羽、止まれ!」
愛羽は涙を拭いていて気づかない。
このままでは、衝突する!
『優輝はお兄さんになるんだから、ちゃんと守ってあげなきゃ駄目よ?』
あの時の記憶が蘇る。
『優輝ならなれるわ、立派なお兄さんに』
嫌いじゃない。本当は仲良くしたかった。受験勉強を頑張ったのだって、今の生活を楽にしたかったから。 愛羽のためだった。
今でも、妹を愛している。
優輝は手を伸ばし、愛羽の背中を押した。
瞬間、横から眩しい光が迫ってきた。
光に、飲み込まれる。
自分は立派な兄だっただろうか。母との約束を守れただろうか。分からない。最近は会話もしていない。彼女の笑顔だって見ていない。 もしかしたら他にもっといい方法があったかもしれない。
それでも、最後に彼女を守れたなら。
少しは立派な兄になれたと思う。 それだけが、優輝の自慢だった。