6.孤竜の告白
真っ赤な夕日の中、小高い丘の上――ヤロミールが案内してくれた、柔らかなラグと天蓋のような布が揺れる彼の住処に、ミラーナは一人、膝を抱えて座っていた。
頬はまだ乾かぬ涙の跡で濡れていた。
空は高く澄み、潮騒は変わらぬ音で波を打っていたが、ミラーナの胸の内は静まることを知らなかった。
——彼は、竜だった。
嘘をつかれていたのか? 裏切られたのか?
けれど、思い返す彼の言葉や眼差しには、偽りなど感じられなかった。
「どうして……何も言ってくれなかったの……」
震える指でノーチカを撫でた。
黒猫は寄り添うように身体をすり寄せ、ミラーナの膝の上に飛び乗って丸くなる。
慰めを求めるように小さくのどを鳴らすノーチカを見つめるうちに、ミラーナは決心した。
――あのまま、彼を見捨ててはいけない。
「行かなくちゃ……」
弱々しく立ち上がり、振り返ろうとしたそのとき、ふいに足音がした。
――ヤロミールが戻ってきたのだ。
「ミラーナ……」
髪は濡れており、肌の色もどこか青白い。疲労の色が濃く浮かんでいた。
昨夜の変身の痛みをまだ引きずっているかのように、背中が丸まり、手で肩口を押さえている。
「……聞いてくれるか?」
低く、震える声。
だが、その声に、ミラーナの胸は跳ね上がった。
「うん」
ヤロミールは彼女の前に腰を下ろし、少しの間、何も言わなかった。
ノーチカが、静かにその傍らに身を寄せた。
ヤロミールは息を整えながら、覚悟を決めたように口を開いた。
「君を怖がらせたくなくて……ずっと言えなかったことがある」
ミラーナは黙って頷く。
「俺は、最後の竜族だ」
誰にも語られることのなかった、魂の吐露だった。
「父は……人に殺された。俺がまだ子供の頃、人間の王が出した命令で、英雄が竜を討ちに来た。父は抵抗して戦って……そして死んだ」
ミラーナは言葉を失い、ただ彼の声に耳を澄ませていた。
「俺は……それからずっと一人だった。誰にも姿を見せず、名も持たず、息をひそめて生きてきた。
変身の衝動は……いつも突然やってくる。血が騒ぎ、体の奥が熱くなって、意識が飛びそうになる。
だから俺は、海に飛び込んでわざと溺れかけたり、岩の裂け目に身を押し込んだりして、変身を押さえ込もうとした。苦しくて、痛くて……でも、それしかなかった」
「……そんな……」
彼の胸元に残る鱗の痕跡を見て、ミラーナの胸が締めつけられる。
「最近は……ようやく少しコントロールできるようになってたんだ。だから君と過ごすのも、大丈夫だって思ってた。
でも……君を見てると、嬉しくて、幸せで、心が……どうにかなりそうで、気づいたら制御できてなかった」
ヤロミールは俯き、そのまま膝をついた。
「もし誰かが、本気で俺を倒しに来たら……俺は抵抗しない。君を守る自信も、愛する価値もない。だから――君はその人たちと一緒に帰ってほしい」
ミラーナの胸に鮮やかな痛みが走った。
彼の言葉は、自ら命を投げ打つ決意の表れだった。
「……それはあまりにひどいわ」
ミラーナの声は震えていた。
「あなたは、自分の命をなんだと思ってるの? 私を守るために自分を差し出すような優しさを、なんでそんなふうに使うの?」
彼女は立ち上がり、涙に濡れた目でヤロミールを見つめた。
「あなたが何者だろうと、私は……あなたに救われたの。あの婚礼の朝、私は逃げ場もなくて、ただ嫌な運命を受け入れるしかなかった。
でもあなたは、私をこの島に連れてきた。私をひとりの人間として扱ってくれた」
ミラーナの言葉には、確かな熱があった。
「私は、あなたの優しさを信じてる。名前を付けたのは……あなたが名もなく、誰にも呼ばれずに生きてきたって知ったからよ。
少しでも、あなたの人生に灯りをともせたらって思ったの」
こらえきれず、ミラーナは涙をあふれさせ、ヤロミールの肩に手を置いた。
「あなたは……あなた自身を――否定しないで。私はあなたが誰であっても――愛してる」
その言葉に、ヤロミールは驚いたように顔を上げた。
アイスブルーの瞳には、こらえていた悲しみが揺れている。
「俺は……君を失いたくなかった。君の笑顔を、名前を呼んでくれたときの温もりを……失いたくなかったんだ」
彼の声は、かすかに震えていた。
「……君は、怖くなかったのか。あの姿を見て」
「正直、怖かったわ。でも……今は違う」
ミラーナは一歩近づき、膝をついて彼の手を取った。
「あなたは、優しい心を持った人よ。それだけは、誰よりも知ってる」
ミラーナはゆっくりと、ヤロミールを抱きしめた。
ふと、断崖で歌ったあの歌の続きが頭をよぎった。
ミラーナの唇がそっと震え、波のリズムにのせて歌い始める。
赤き小道を踏みしめて
清き乙女は祈りを捧ぐ
深き淵に眠れる竜は
今その呪縛を解かれん
思わずミラーナは、小さな声で歌い始めた。
夕風に乗って、か細くも確かな旋律が響く。
驚いたことに、ヤロミールの鱗の痕や裂けた肌が、みるみるうちに淡い光を帯びて滑らかに消えていった。
ミラーナは息をのむ。
ヤロミールは、しばらく目を閉じ、呆然と息をついた。
「……ありがとう、ミラーナ」
やがておずおずとヤロミールの手が彼女の背中に回る。
彼の涙がひとつ、肩口に落ちるのを感じた。
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