4.謎の青年
再び意識が戻ったとき、ミラーナは柔らかなものに包まれる感触で目覚めた。
肌に触れるのは、冷たい岩肌ではなく、ふわりとした毛皮のようなぬくもり。
震える指でそっと触れると、その温かさに胸がほっと和らいだ。
薄暗い洞窟の奥、天井の裂け目から差し込む光が、鉱物の表面で揺らめいている。
ミラーナはゆっくりとまぶたを開け、目の前に黒い影を見た。
「んなぁ~う」
先ほどの黒猫が、丸い目で心配そうに見つめ、ミラーナに額を擦りつけていた。
「一緒にいてくれたの?」
ふと、その向こうに一人の青年が立っているのが見えた。
その人は、まるで夜明け前の静寂をまとっているかのようだった。
しなやかな筋肉が付いた細身の体つき。
額にかかる黒髪は艶やかで、鉱石の淡い光がその髪に反射し、彫りの深い顔立ちを際立たせていた。
だが何より印象的だったのは、その瞳だった。
薄い青の瞳は、遠くを見つめているようで、長い孤独を映し出すかのように寂しげだった。
ミラーナは小さな声で呟いた。
「あなたは、誰……?」
青年はわずかに肩を竦め、小さく息をついて答えた。
「名は……忘れた。気づけばこの島にいた――君は?」
彼の言葉は静かだったが、どこか深い哀しみがにじんでいた。
ミラーナは胸の奥で、不安と安堵が入り混じるのを感じた。
自分ひとりではない――そう思えば少しほっとする気もしたが、やはり自分は攫われてたのだという現実は、逃れがたい不安となってのしかかった。
「私は、急に攫われて……気づいたらここにいたの」
思い出すのも辛く、言葉の端々が震え、ミラーナは目を伏せた。
すると青年は一瞬の躊躇を見せ、ガラス細工を扱うようにそっとミラーナの肩を撫でた。
その手は冷たかったが、粗雑ではなかった。
ただそばにいるという静かな思いやりが伝わってきた。
ふと咳き込んだミラーナに、青年は木の実の殻で作った器を差し出す。
澄んだ水が注がれている。
「果実水だ。飲め」
ぎこちない手つきにだったが、ミラーナは器を受け取り、一口含む。
なにかの果汁でも入っているのか、かすかな甘みが広がった。
「ありがとう……」
ミラーナの声に、青年は目を伏せた。
「大したことはしていない。君が落ちてきたとき、たまたま近くにいただけだ」
「名前を……思い出せないの?」
「ああ。霧の中にいるようで、過去も、自分が何者かも思い出せない」
彼の声には苦悩がにじんでいた。
ミラーナはそっと息を整え、洞窟の天井に目を戻した。
「……ここから、出られると思う?」
青年はしばらく黙って洞窟を見つめ、ゆっくりと首を振った。
「海は荒れているし、舟もない。ここは閉ざされた島だ」
「そんな……」
ミラーナは目を潤ませ、声を震わせたが、青年はそっと彼女の肩に触れて言った。
「焦らずに。まずは傷を癒すんだ」
彼の声は低く、穏やかだった。
その言葉に、ミラーナは小さく頷き、ほっと息をついた。
「そうね……。私の名は、ミラーナ・ヴラディスラヴナ・ドラゴミールスカ。ドラゴミールスカ公爵家の娘です」
名乗ると、青年の瞳が一瞬揺れ、やがて短く頷いた。
「……ミラーナ。ミラーナか。いい名だ」
ミラーナは小さな笑みを浮かべ、胸に温かなものを感じた。
こうして、二人の奇妙な共囚生活が静かに始まった。
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