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3.竜の島

ミラーナは、潮の香りで目を覚ました。

目を開くと、そこは岩に囲まれた洞窟のような空間だった。

天井の裂け目からは朝の光が差し込み、波しぶきの音が間近に聞こえる。


ここがどこなのか、わからない。

ただ、自分が屋敷のベッドではなく、見知らぬ場所にいるということだけは確かだった。

岩肌に手をつきながら、ふらつく身体を支え、彼女は洞窟の裂け目から数歩、外へと踏み出した。

外の光が目に染みた。

しばらく瞬きを繰り返し、視界が馴染んでくると、そこに広がっていたのはまるで異界の風景だった。


地面は黒く、ごつごつとした冷たい岩に覆われている。

遠くにはうっすらと煙を吐く山影が見え、足元では波が岩に激しくぶつかり、白いしぶきを上げていた。

潮の香りが鼻を刺し、湿った風が髪を乱す。


「ここは……海辺……?」


冷たい潮風が頬を打ち、ミラーナは思わず顔を背けた。

整えられた庭園も、石畳も、鳥のさえずりもない。

ここには人工の匂いが一切なく、ただ荒涼たる自然だけが支配していた。


肌寒さに身を震わせながら、ミラーナは洞窟の中へと引き返した。


目の前に広がる光景は、まるで夢の中のような異形の洞窟だった。

黒光りする岩壁は、噴き出した溶岩が冷え固まった跡をまばらに残し、無数の凹凸が不気味な模様を描いている。

天井からは鍾乳石が垂れ下がり、そこに滴る水滴が静かに足下の水溜まりを揺らしていた。

湿った空気には、ほのかに硫黄の香りが混じる。

ミラーナは顔に染み込むその匂いに身震いし、ここがかつての故郷ではないと悟った。

あの湖の断崖から、どれほど遠くへ連れて来られたのか。

島なのか大陸なのか、見当もつかない。


ゆっくりと立ち上がり、身にまとった布地を払いのける。

生地には土の跡が残り、かすかな痛みを覚える身体が昨夜の恐怖を思い出させた。

凶暴な咆哮、真紅の翼に抱かれたあの瞬間。

ミラーナは呼吸を飲み込み、震える手をぐっと握りしめた。


洞窟の奥へと続く通路には、わずかな光が漏れていた。

恐る恐る足を踏み出す。

岩に刻まれたひび割れには緑の苔が生え、その陰影がかえって薄明りを際立たせる。

通路は思いのほか狭く、左右の壁がせり出していて、肩をすぼめねば通れないほどだ。

ミラーナは岩肌を伝いながら、頬を伝う汗を手の甲でぬぐった。

心臓の鼓動が耳に届くほど高鳴る。

やがて、通路の先でかすかな鳴き声が響いた。


「にゃー」


――そんな小さな声に、ミラーナは思わず立ち止まる。

小さな黒猫がこちらを見ていた。


「あなた……?」


濡れた毛並みは暗がりに溶け込むが、瞳だけが銀色に光ってじっとこちらを見つめていた。

猫はしっぽをぴんと立て、身をくねらせると再び洞窟の奥へ歩き出す。


「待って。そっちは……」


猫の後を追いながら、ミラーナは慎重に歩を進めた。

洞窟の奥へ向かうにつれ、岩肌には奇妙な鉱物や苔が現れ始めた。

どれも淡く発光しており、青や緑のほのかな明かりが足元を照らしている。

光源の正体がはっきりせず、どこか幻想的で、非現実的な世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

猫の尾を見失わないように、ミラーナは不安と好奇心の間で揺れながら歩を進めた。


やがて道は開け、大きな空間へとつながった。

そこには、古びた石組みの祭壇が静かに佇んでいた。

漆黒の結晶がはめ込まれ、鈍い光を宿している。

猫は祭壇の脇で立ち止まり、くるりと振り返ってミラーナを見上げた。


「ここに……連れてきたかったの?」


自分に懐いているわけでもない、言葉も通じないその小さな生き物に、ミラーナは思わず話しかけていた。

返事はない。

けれど、この暗く冷たい場所で、猫の存在は心の拠り所のように思えた。


「触っても、いいのかな……?」


恐る恐る、指先で結晶に触れる。

ひんやりとした冷たさが指から腕へ、そして背筋を駆け抜けていく。


そのときだった。


祭壇の脇にかけられていた白布が、風もないのにひらりと落ちた。

その下から現れたのは、朽ちかけた白骨だった。

ミラーナは息をのんだ。

けれど、さらに彼女を震え上がらせたのは、その骸が自分と同じ純白の花嫁衣裳の残滓をまとっていたことだった。

真珠の首飾り、銀糸の刺繍が施された純白の衣装――それはまぎれもなく、今朝まで自分が纏っていたものと酷似していた。

胸の奥を氷の刃で貫かれたような感覚に襲われ、ミラーナの喉は細く閉じた。

視線はその白骨からどうしても離せない。


――乙女は断崖に捧げられ、竜は生贄をさらう。


幼い頃、乳母が歌ってくれた子守唄の一節が脳裏に蘇る。

あれはただの童話だったはずだ。

そう信じていた。

けれど、今目の前にあるこの骸は、まさにその物語の「生贄」の末路にほかならない。

この衣装をまとっていた乙女は、自分と同じようにさらわれ、ここへ連れてこられ、そして……


「これは……おとぎ話じゃない……」


掠れた呟きが洞窟に静かに響き、ミラーナの心臓は激しく脈打った。

理性は崩れ去り、恐怖と混乱が全身を突き抜ける。

この島は、伝説に語られた『竜の島』――。

そう確信した瞬間、足元の岩が不穏な音を立てた。


「いや……いやあっ!」


絶叫とともに、ミラーナは祭壇の脇から深い裂け目へと転落した。


――闇。


意識は再び、深い虚空へと沈んでいった。


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