40 -緑の瞳
「……はは。勝ったと思ったのだろ? 残念だったね」
床に手をつき喉の奥で低く笑いを漏らしながら、カリオンはゆっくり立ち上がった。
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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア
40 -緑の瞳
♤
歯の欠けた口元を歪め、カリオンは愉快そうに言葉を継いだ。
「自分たちが主導権を握っているつもりでいたんだろう?
その思い込みが今日いちばん面白かったよ。諸君、楽しませてもらった」
そう言って、ちらりと天井を見上げる。
「この龍造犬は、ならず者が手に負えなくなった時のための備えでね。
正直、連中より先に入室してわざわざ仕込んでおく必要があったと思うと……
まったく、虫唾が走るよ」
「――おっと。いけない。本音が漏れてしまった」
一拍置いて、肩をすくめてみせた。
指を立て、教鞭をとる教師のように右へ左へと歩き回るが、
こちらに向けられた視線だけは一瞬たりとも外れない。
このままだと……指輪に意識を通せない。
「君たちの今後を思うと、少しばかり同情してしまうな。
どうしてこんな真似をしたのかは知らないけれど、
王を選ぶ席に名を連ねるニコマコス家の僕を、ここまで侮辱したんだ」
口角が、ゆっくりと吊り上がる。
「……タダで済むわけがない」
短く喉を鳴らし、「くくく」と愉悦を滲ませると、セピアに向けて軽くウインクした。
「セピアくん。君は異端審問にかけられるだろう。
有罪判決は確実だ。火刑は免れない」
そこで、わざと沈黙を挟む。
「それに——ジュナくん。
君は僕が何か行動に移すまでもなく、地位を剥がされて名もない遠い土地へ追いやられることになるだろうね」
愉しげに、さらに言葉を重ねる。
「テオくんと一緒に暮らせばいい。
欠陥品同士、きっと互いに仲良くやっていけるだろうさ」
唇を歪めたまま、カリオンは最後の一人へと視線を移した。
「フリージアくん。ここに龍石がある」
まだ腫れの引かない頬に手を当てたまま、肩をそっとすくめる。まるで講義の場にいるかのようないつもの爽やかな笑みだった。
「こちらへ来て、僕に癒しの力を使うんだ」
その言葉に、フリージアははっきりと肩を震わせた。
「わ、わたしがですか!?」
驚いたように口を開き、信じられないという仕草で自分を指差す。
ついさっきまでの冷静さが嘘のように、視線は忙しなく泳ぎ、言葉も噛み合わない。
「わたしは、その……ええっと……」
出かかった言葉を、フリージアは慌てて手で押さえ込んだ。
ほんの一瞬だけこちらを見る。
それから目を閉じ、呼吸を整えた。
「……癒し、ですね」
そう口にした彼女の声は不思議なほど澄んでいた。
狼狽の底に、ふいに芯のある音が混じった……そんなふうな声。
「ああ、そうだ。龍の子であれば誰でもができるはずだ」
カリオンは首を傾げ、講義中に答えを促す教師のような仕草を見せる。
「正直、この状態はかなり痛くてね。
明日になれば他の龍の子に癒してもらえるだろうが……今、楽になりたいのが本音さ」
細められた視線が、品定めするようにフリージアをなぞる。
「この中で一番、冷静さを保っているのは君だ。
それに……君の家筋は、決して恵まれているとは言えないそうだね」
その言葉に、背筋がひやりとした。
「だからこそ、君には分別ある判断を期待している。
ここで僕の指示に素直に従ってくれるなら——
“酌量の余地がある”と、上に進言してあげてもいい」
フリージアは間を置かず、きっぱりと頷いた。
「おい、フリージア!」
セピアがたまらず声を荒げる。
「……意味、わかってんだろうな?」
「ごめんなさい、セピア。私には……家が全てなの」
振り返った彼女は目を伏せたまま、決してこちらを見ようとしなかった。
「私の家の経済状況は、あまり芳しくありません」
伏せられた睫毛の奥に、何があるのかは分からない。
だがその声は、弁明と呼ぶにはあまりにも静かだ。
「もし……私の判断で家がなくなるような事態になれば、顔向けができません。
誇りは、ヴァルファルド家が存続する限り……いつか、取り戻せるはずです」
その言葉を僕は知っている。
——違う形で、もっと迷いなく語られた訓練場での彼女の目を。
フリージアは、僕とセピアの前から離れ、カリオンの前に立った。
セピアが舌打ちをする。
止められない、という怒りの音だった。
カリオンは腫れの残る頬に当てていた手を、ゆっくりと下ろす。
そこへフリージアの指先が、熱を測るようにカリオンの頬へと触れた。
「——癒せ」
光は弱い。
だが、揺らぎはなかった。
祈りの言葉は短く、簡潔で、余計な修飾もない。
「そう、それでいい」
カリオンは満足げに目を細める。
「だが、変な真似はするなよ。
癒しの力の“現象”なら、僕はよく理解している。
もし癒し以外の力を使えば——子供の命はない」
「……はい」
フリージアは静かに頷いた。
「その代わり、誓ってください。
私の家には何もしないと」
カリオンは答えを与えず、誓いの言葉の代わりに視線を逸らした。
——その一瞬だった。
フリージアの視線が、逸れた。
こちらだ。
確かに、僕を見た。
淡い緑の瞳が、燃えるように鋭く光っていた。
そこには、もう迷いの影はない。
——来る。
理解するより先に、身体の奥で何かが噛み合った。
そこに恐怖はない。
次の瞬間、恩寵の光が弾けとんでいた。
癒しの力として成立していない。
少なくとも……僕の知る癒しで、こんな現象は起こらない。
感覚が溶け合ったまま、龍造犬は意のままに動いた。
カリオンを床に叩きつけて、そこで初めて思考が戻ってくる。
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