39 -猫の尾
乱暴な言葉を残し、ベルンもまた部屋を出ていった。
――それきり、音沙汰はない。
警報は鳴り止まず、重い足音も戻らない。
理由を探ろうとする前にその違和感を押し潰した。
「そんなことはありえない」
吐き捨てた声が、わずかに揺れた。
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39 -猫の尾
胸の奥で嫌な感触が膨らんでいく。
しばらく待っても、護衛が戻ってくる気配はなかった。
「……今度は、君たちが骨を折る番じゃないか?」
冷静を装ったつもりだったが、
声は思った以上に硬く、喉に引っかかる。
「そう身構えんなよ、カリオンの旦那。
あんたの護衛は、飲み過ぎた酒を戻してるんだろぜ」
ならず者の一人が自分の言葉に可笑しそうに笑う。その軽薄な調子に乗せられるように、別の男が続けた。
「ここが緩衝地帯だってことくらい、この辺りじゃ常識ですよ。
あんたに楯突く意味も分からねえ連中じゃない。心配はご無用で」
――そんなこと、わかっている。
それでも、口を開かずにはいられなかった。
沈黙すれば、そのまま何かが決定的に崩れてしまいそうだった。
「……なぜ、僕がここに立っていると思っている?」
ゴブレットを卓に置く。
指先がわずかに震えたのを悟られまいと、無理に口元を緩める。
「僕が保証人として顔を貸しているからこそ、この場所では血を血で洗う争いが起きていない。
僕を敵に回す意味を、ここにいる誰もが理解しているはずだ」
だから、襲われる理由などない。
――ない、はずだった。
「わはっは。そりゃあ、よくわかりやした」
ならず者の一人が、からかうように肩を揺らす。
「じゃあ俺たち、お上品な騎士さまたちが酒を戻してるところでも、見物してきますかね」
そう言って、数人が連れ立って階段を降りていく。
「注意しろ。深入りはするな」
背中に声を投げるが、男たちは肩をすくめ、振り返りもせずに笑った。
「待て!」
隣に残っていた教会騎士まで動こうとしたため、急いで声を張り上げる。
「……君は、ここで僕を警護する役目だ」
騎士は無言で足を止め、頷きもせずその場に残った。
「それと、お前たちは扉の前だ」
修道女とそれに引かれた子供達を指差し、扉の前に立たせる。
侵入があれば、真っ先に目につく位置だ。
そのまま視線を高窓へと移す。
――降りられるか?
高窓から階下を覗き込むが、夜空にあるはずの衛星の月は雲に隠れそこには闇しか残っていない。
……いつからだ。
ひび割れたように裏返る笑いも、椅子を引きずる音も、いつの間にか耳に届かなくなっている。
「……くそ。ありえない……」
残っていたならず者たちも、痺れを切らして階下を確かめに行ったはずだ。
気づけばこの部屋に残っているのは、自分とひとりの騎士だけだった。
やがて、階下から物音。
次の瞬間、
汚い悲鳴が響いた。
一つ。
また一つ。
声が途切れる。
数えるたび、心臓が裏返りそうになる。
「……おい。おいっ! 誰か、返事をしろ!」
返事はない。
あるのは、沈黙だけだった。
――窓だ。
降りるしかない。
逃げ道を探すように走らせた視線が、高窓の縁で引っかかった。
黒い、小さな影。
黄の縁に深い黒を湛えた瞳が、一瞬たりともこちらを離さなかった。
——猫?
なぜか胸の奥がざわついた。
既視感のような違和感が喉元までせり上がる。
「おい、邪魔だ」
猫を追い払おうと騎士が手を伸ばす。黒い影が、それに合わせてひそやかに揺れた。
だが影は、猫の大きさをはるかに超えて広がっていく。
しなやかに身を翻すわけでもなく、輪郭だけがじわりと歪み、毛並みの下から猫とは似ても似つかない奇妙な形がちらりと覗いた。
「残念」
低い声が落ちた。
「猫じゃねぇよ」
正体に気付いたときには、騎士の姿が視界から消えていた。
重たい音が階下から突き上げてくる。
「ま、待ってくれ!」
叫ぶ声は耳に届く前に消えた。
視界いっぱいに迫る拳。
頭の奥で何かが弾け、星が飛んだ。
床に倒れ込んだまま、血に濡れた歯が転がっていくのを視界の片隅でぼんやりと追っていた。
「失礼いたします」
歯の転がる先に、二つの人影。
一人は僕の龍造犬たちを従えた少年。
もう一人は無表情の少女で――その口が開いた。
「抵抗はもう難しいはずです、カリオン殿」
声は遠く、夢の中で聞くように届いた。
——違う。こんな形で終わるはずがない。
息を整えるふりをして、ゆっくりと仰向けになる。
肩を揺らして呼吸を誤魔化しながら、視線だけは天井の一点から外さなかった。
♦︎♢♦︎
♤
「そこにいてください。もう大丈夫ですから」
フリージアは孤児院の子どもたちを庇うように、背後へと下がらせた。
修道女はカリオンに与していたのだろう。「ひええ」と声にならない悲鳴を漏らし、壁に背を預けたまま、その場に崩れ落ちている。
もはや誰ひとり動こうとはしなかった。
「僕の龍造犬に……なにをした」
仰向けのまま、
前歯を失った口元からこぼれる言葉は形を成さず、空気だけが虚しく抜けていった。
――諦めたのだろうか。
視線を天井に預けきったまま、先ほどまでまとっていた荒々しい気配は消えている。
その声には、もはや人を威圧する力は残っていなかった。
それでもジュナは周囲の警戒を続けた。
一拍置いて、静かに口を開く。
「あれほど質の良い龍石を動力源にしているのに、
まったく同じコードで組み上げてしまっては意味がありませんよ」
聞いているのかいないのか、カリオンはかすかに目を細めている。
「一頭一頭の性格に合わせて組むべきでした。
一度でも中を開いて、龍石を解析する機会があれば完全に制御できます」
ジュナの作戦はすでに完了している。
最初の警報は、意図的に発動させたものだった。
その際、警報という挙動が例外ではなく、通常として処理されるよう、龍造犬の優先順位をわずかに刷り替えたにすぎない。
挙動が安定したところで、フリージアに一頭を切り離してもらう。
そしてその子の中を開き龍石を読み取る。
以後の制御は、もはや手順でしかなかった。
制御下に置いた龍造犬たちに再び警報を鳴らさせ、外へ出てきた酔っ払いの騎士たちを昏倒させるだけで済む。
「カリオンのおっさん。ずいぶん余裕があるじゃねえか」
セピアは床に転がるカリオンを見下ろし、唇の端をわずかに歪めた。
声は驚くほど軽く、感情の起伏を感じさせない。
「このまま終わりってのも、味気ねえな。
二、三発、殴っといた方が今後のためだろ」
冗談めかした口調で、さらに言葉を重ねる。
「一生、悪さできねえようによ。
叩き潰しておこうか?」
その言葉を向けられても、
カリオンは床に仰向けのまま冷えきった声音で応じた。
「無駄だよ。僕に危害を加えてもね。
この身は――あられもない声をあげることにはなるかもしれないが、癒しの力で一瞬で元に戻る。
安心したよ、セピアくん。君は最後まで想像通りの男だ」
「そうかい。なら、試してやる」
セピアは一歩踏み出し、
行く手の椅子を蹴散らしながら迷いなくカリオンへと乗り出した。
「その力で……あんたの顔の原型まで戻るか。
楽しみだな?」
「セピア! これ以上はいけません!」
フリージアが止めようとセピアの前に立ったその直後、
床に伏せたカリオンの喉がひくりと鳴った。
「――今だ! やれ!」
刹那、天井から影が落ちた。
舞い降りた龍造犬が、孤児院の子どもたちの喉元へ尾刃を突きつける。
「子供の命が惜しいのなら動くな」
指輪のある手が、先に浮いた。
「特に、ジュナくん」
名を呼ばれ、腕を上げるのを思わず止める。
「君が腕を上げれば、その前に首が飛ぶ。
……人形に介入する暇なんて、僕が与えると思ったのかい?」
前歯の欠けた笑みが、覚悟をそのまま語っていた。
ジュナは刺激しないよう細心の注意を払いながら、カリオンに見える位置まで、腕を静かに下ろした。
床に手をつき喉の奥で低く笑いを漏らしながら、カリオンはゆっくり立ち上がる。
「……はは。勝ったと思ったのだろ? 残念だったね」
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