27 -ねじれる糸
目の前の景色が鮮明になり、フリージアとセピアが、じっとこちらを見ているのが目に入った。
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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア
27 -ねじれる糸
♤
「うわっ!!」
だらしなく膝を立て寝そべっていたジュナは、驚きのあまり長椅子から転げ落ちた。
「痛っ……!」
後頭部に鈍い衝撃が走り、脈打つような痛みに思わず顔をしかめる。
「どうして君たちがここに……。せめて扉を叩くぐらいしてくれてもよかっただろう」
頭をさすりながら、我慢ならずつい棘のある言い方になってしまう。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのですが……私ひとりでは抱えきれなくて。どうしてもジュナ様にも耳を傾けていただきたいのです」
フリージアはそう言いながら手を差し伸べ、立ち上がらせてくれた。
壁に寄りかかっていたセピアはその様子を遠巻きに眺めていたが、やがて呆れたように組んでいた腕をほどき、片方を持ち上げた。
「そんなにかりかりすんなよ。
扉は何度も叩いたんだぜ?それでも反応がねえから、フリージア嬢が心配して蹴破ったんだ。
……まあ、俺もあんたが寝息立ててるのがわかるまでは正直ヒヤヒヤしたけどな。あんな音してんのに身じろぎひとつしねえんだから——」
ガタンと何かが鳴った刹那、セピアの足元が掬われた。
続けざまに尻餅をつく鈍い衝撃が床に響く。
「いい加減その口を閉じなさい、セピア」
フリージアの声は低く、静かだったが凄みを帯びている。
「私の自制がいつまでも続くと思わないでください」
呻き声をあげたセピアを振り返ることもなく、フリージアはすぐに事務室で見たという帳簿の話へと移る。
この場は完全に彼女の支配下にあった。
ジュナも言葉を挟まず、ただフリージアの話を背筋を伸ばして聞き続けた。
「——以上が、私の見聞きしたすべてです。私は、カリオン先生の潔白を信じています。ですので、セピアが先ほど持ち込んだ情報について私は冷静に判断できそうにありません。
ジュナ様には中立の立場から精査していただきたいのです」
「セピア、先ほど私に話したことをジュナ様にもお伝えしてください」
フリージアはセピアを一瞥し、薄紅の髪をたなびかせながら後ろに下がった。
「わかってるっつの。だがさっきみたいに俺の話に割り込むなよな!」
淡い緑の瞳を細めたフリージアを前に、セピアは歯を剥いてみせたもののその態度はどう見ても虚勢だ。
「ジュナ、あんたが龍造人形をカリオンに追尾させたんだよな?」
「こほん。」
その言葉遣いが気に入らないのか、フリージアはわざとらしく咳をした。
セピアは何も反抗せず、素直に言い直す。
「……ジュナ様。この繊細で、儚げなご令嬢様からお聞きしたんですが、龍造人形をカリオン先生に追尾させた。これは本当ですか?」
「ああ、今朝からずっと先生を追わせてたよ。でも鍛錬中に龍造鼠との接続が切れたんだ。きっと遠方に外出されたのだろう」
サルウィンとの鍛錬を思い出すと、手の甲の痛みがじんわりと蘇ってくる。
しかし、それ以上に気になったのは、僕の言葉に反応して、猫の目のように鋭く光ったセピアの瞳だった。
「……今はカリオンはいない」
ひと呼吸、言葉を選ぶような沈黙。
セピアが口元を手で覆うその仕草に、ジュナの視線がふと引き寄せられる。
頬に、乾ききらぬ浅い傷がある。
昨日の茶会では見なかったはずだ。
沈黙ののち、淡々とした声が落ちた。
「そうですか、それは授業が終わってどれくらいですか?」
「ええと、サルウィンと稽古を始めて間もなかったから、フリージアさんとの食事込みでも半刻《一時間》は経っていなかったはずだ」
答えると、セピアは確証を得たかのように片頬を歪めた。
笑みとも嘲りともつかぬその表情は、どこか不気味だ。
「ジュナ様妙だとは思わないか?まだ半刻も経っていないのに馬車の手配に、すぐさま遠出だ。
まるで、最初からその時刻に出かけると決まっていたかのような手際の良さだ」
声は次第に低くなっていくのに、熱量だけが逆に膨れ上がる。
その語りはもはや僕に向けられたものなのか、独り言なのか、境目がわからない。
「俺は、朱鯉池の大雨は天候操作だったと睨んでる。冬にあの大雨はありえねえ。
おそらく初めから授業だなんか嘘をついて、教会から許可をもらってるんだ。
俺たちはフリージアさんみたいに盗読する以外、真実に近づけないからな」
「決して盗み読みなどしていません。
私とガラニスさんの間で認識の違いはありましたが、許可を得た上で閲覧しました。
さっきからあなたの話は飛躍が過ぎます。その自覚はおありですか?」
「おい、口を挟むなって言ったはずだぞ」
フリージアの静かな言葉に、セピアは声を立てた。
「いいえ。“ジュナ様には中立の立場から精査していただきたい”。
私が言ったのは、それだけです」
「意外だぜ。武術だけじゃなく、口もずいぶん達者なんだな」
「……………」
フリージアは何も答えなかったが、その瞳はまっすぐにセピアを見据えている。
しかし、セピアの推測も荒唐無稽ではない。朱鯉池に降ったあの局所的な大雨には、ジュナ自身も違和感を覚えていた。龍石による天候操作の痕跡は見つからなかったが、今思えば冬の雨にしては肌を打つ温度が妙に暖かかった気がする。
もしあれが恩寵の雨ならば説明はつく……が、それを裏づける証拠はどこにもない。
フリージアとセピアは互いに視線をぶつけ合い、敵意を隠そうともしない。空気はどんよりと重く張り詰め、このままでは会話も続けられそうにない。
……こじれる一方だ。ここは僕が取り持たないと。
乾いた唇を舐め、言葉を探すように口を開いた。
「それならセピア、今すぐどうこう言い立てる必要はないと思う。今度また帳簿を見せてもらおう。そのとき、もし天候操作が認められたなら、改めて調査しても遅くはないだろ?」
二人を折り合わせる案を僕は出せたと思う。
フリージアはこちらを見て、かすかに頷いてみせた。だがセピアは、歯を食いしばり、ぎこちなく言葉を押し出すように口を開く。
「ダメだ。あいにく状況はかなり差し迫っている。今すぐ、カリオンが悪さをしている証拠が欲しい。
宵傘衆に丸投げすりゃ安泰だと思ってた頃の俺をぶん殴りてぇ。……くそ、俺も貴族らしくなっちまったもんだ」
そう苦々しく呟き、セピアは正面へ向き直った。
飄々とした面差しがすっと消え、真剣さだけを残したまま地面へ手をつく。
「頼む、手を貸してくれ。今すぐあいつの部屋に入る必要がある。
昨日のテオとの決闘は見ていた。あんたが相手の龍造人形の権限を奪ったのもな。
なら、カリオンの部屋を守る龍造犬だって制御できるはずだ」
「待ってくれ! 頭を上げて、まず落ち着け、セピア」
慌てて声を掛けると、セピアがゆっくり顔を上げる。
ジュナは続けざまに言った。
「カリオン先生の部屋なら、教会近くの寄宿舎にもあるはずだ。先生は高位の神官だし、研究室なんて他にもいくらでも持てる。
なぜ、その中でこの学院に証拠があると決めつけるんだ?」
「寄宿舎はすでに確認済みだ。学院で暮らし始めてから、調べられるところは全部回った。
それでも何も出なかった。学院以外のカリオンの足跡がありそうな場所も同じだ。結果はゼロだった」
「学院の外に……?しかしどうやって――」
「今はそんなことどうでもいいだろ」
セピアはジュナの言葉を遮り、声を強めた。
「問題はカリオンだ。なぜ奴の部屋だけ龍造犬を使ってまで守りを固める必要がある? あの階上を使っているのは龍の子だけなんだぜ。
“見られてはいけないものがある”って自分で宣言してるようなもんだろ」
ジュナは返す言葉を見つけられず、助けを求めるようにフリージアへ視線を送った。
「……学院の外を無断で出ているなんて、初耳です」
フリージアは困惑を隠さずに答えた。
「私は、あなたがカリオン先生を貶めたい一心で作り話をしているのだと思っていました。
ですが……今のあなたを見ていると、自信が持てなくなってきました。
セピア、あなたはなぜそこまで先生を疑うのですか?」
「それは、根拠じゃなく、出どころを知りたいってことだな」
セピアが言うと、フリージアは小さく頷いた。
「じゃあ聞くが、カリオン先生の給与の寄付先はどこだった?」
不意を突かれたフリージアは、一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに持ち直してはっきりと答えた。
「……西区の冬期孤児院支援です」
「休日前には毎週、必ずその孤児院を視察に行っている。これも記録どおりだよな?」
「ええ。ほぼ毎週、休日前の交通費の用途には『西区孤児院視察のため』と記されていました。」
「なら今日も休日前だから、カリオンはそこへ向かっているはずだ」
「はい。何もおかしなことない……そう思いますが」
フリージアはここまでのやり取りに不自然さがないか確かめるように、慎重に答えた。
「大アリだ。
いいか? 冬期孤児院支援の冬期ってことは暖房用の燃料やら毛布、衣類、保存の効く食料の調達に使われてるってことだ。
フリージアさんが言うにはカリオンは少なくともここ(聖焔教会)に赴任してからずっと寄進してんだろ? だが、孤児院の設備や子供たちの生活は一向に改善されてない。
それなのにだ、天候操作をやって……いや、仮に天候操作をやってなくとも、どうして孤児院を熱心に視察する必要がある? おかしいだろ?」
セピアの熱のこもった言葉とは対照的に、フリージアはゆっくり首を横に振った。
「……セピア、変ですよ」
彼女は一拍置いて、寄り添うように静かに続ける。
「“孤児院の設備や子供たちの生活は一向に改善されていない”——その言葉、いったい何を根拠におっしゃっているのですか。私にはあなたの想像した作り話にしか聞こえません。孤児院の内情について詳しげに語りますが、あなたに運営の何がわかるというのですか」
「西区の孤児院ならよく知ってる」
セピアは肩をすくめるように言った。
「なんせ俺はそこ出身だからな。本当は宵傘衆に穏便に解決させようとしたが、慣れねえことに手を出すもんじゃなかった。まさかお前たちだけで動こうとするとはな……正直、舐めてたよ」
「孤児院生まれ……?」
フリージアは口元を手で覆い、思わずといったように息を飲んだ。見開かれた目には、驚愕が映っていた。
「そんなことでいちいち驚くなよ、よくある話だ。
貴族と従者の間で生まれた望まない子供が生まれることぐらい。まあ、それがたまたま『龍の子』だったってオチは稀だがな。
そんなことより、今はカリオンだ。」
セピアの声は低く、早口になった。
「俺はそこで育ったからな。冬期孤児院支援って名目で寄付はされてるが、現場はぜんぜん変わってない。
いいか?西区の孤児院のある路地は、教会の連中さえ入りたがらねえ。西区の中でも特にあの周辺はそれぐらい治安が終わってるんだ。
だが、どんな社会にも摂理はある。孤児院の敷地内はある種の緩衝地帯になっていて、悪党同士でもそこで暴力は振るわない暗黙の了解がある。そこで取引したり、話し合いをする場所が作られているんだ」
「ここまで言えばわかるだろ?
カリオンはそれ(孤児院)を利用して、緩衝地帯をいいことに、交渉や売買を仕切って仲介料を取ってる。今までは小遣い稼ぎ程度だったが、最近は欲が出てきたらしい。
『華王の粉末』の取引にも手を出すようになった。
あれは高値で取引されるからな、欲に目がくらんだ連中が“自分も預かりたい”と群がり出した。今じゃ孤児院の敷地に、朝から晩まで悪党どもがたむろしてやがる。
いつ薄氷で保たれてきた緩衝地帯の均衡が崩れてもおかしくねえんだ」
ここまで言い切ると、セピアはジュナの目をじっと見据えた。
「俺はそれを止めなければならない。
まず何よりカリオンを捕まえる確実な証拠が必要なんだ。
ジュナ、あの龍造犬を突破する術は今の俺にはない。頼む、手伝ってくれ」
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