18 -華王
「今日ここに来たのは、まさにそのためだ。
カリオンが裏でどんな悪事を働いているのか、告げ口してやろうと思ってな」
(悪事……だと? 今、確かに“悪事”と言ったのか?)
セピアの言ったことがあまりに突拍子もなくて、ジュナは思考の歯車がうまく噛み合わず、頭の中で同じ言葉ばかりが渦をまいた。
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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア
18 -華王
♤
「セピア正気ですか?冗談であればただでは済ませませんよ」
フリージアは端正な眉をひそめ、ジュナと同じようにセピアの言葉を疑っているようだ。
「まぁ、まずはこれを見てくれ」
セピアは懐から紙包みを取り出し、フリージアの目前へ放り投げた。
渋々と紙包みを開いたフリージアは、中を覗いた途端、顔をこわばらせた。
「……まさか、これ『華王』の粉末?」
フリージアはすぐに包みを卓の中央へ置き直し、ジュナにも見えるようにした。
そこにあったのは、
暗紫の粉末――花の『華王』をすりつぶしたものにほかならない。
まるで靴底にへばりついた泥を見つけたときのような、不快な感覚が胸を走る。
「セピア、これをどこで手に入れた?龍の子であれ、指輪以外華王の所持は違法だ……わかっているのか」
我々龍の子にとって『華王』は、龍の力を引き出す触媒としての役割を持ち、今も身につけている銀の指輪にはその粉末が封じ込められている(粉末を埋め込み焼成したものだ)。
しかし、一般の人間にとって『華王』は猛毒に等しい。
摂取すれば強烈な幻覚と快楽をもたらし、生死を顧みず追い求めずにはいられないほどの依存性を持つ。
ここ南端でも、闇市を通して売春宿や賭博場に華王は出回っている。騎士団がいくら検挙しても小虫のように何度も湧き出てくるのだ。
――これが、僕が守るべき領地の現実だった。
火龍騎士団の見習い時代、ジュナは一度だけ華王を摂取した人間を目撃したことがある。
だがあの姿は、もはや人の形をしていなかった。
皮膚は黒ずんで変色し、関節が不気味に歪んでいた。
腹と背中は癒着し、歯の抜け落ちた口からは臨終の咳にも似たぜぇぜぇとした呻きが漏れていた。
それでもその目だけは異様な光を湛え、この世ならぬどこかを凝視していた。
あの光景は、今も決して忘れられない。
街中から少し逸れたレンガの隙間にひっそりと伸びる暗い小道を見るたび、背筋に冷たいものが走り、華王に蝕まれた人間が臥せる姿が脳裏に鮮明に蘇ってくる。
ジュナはフリージアと視線を交わし、セピアの意図を探ろうとした。しかし、淡い緑の瞳が微かに揺れるのを見て、彼女も首をかしげているのだと気づいた。
セピアは僕たちの疑念が募るのを楽しむかのように、片方の口角をほんのり上げる。
「テーブルマナーに無知な俺でも、華王の所持が禁止だってことくらいは知ってるさ。
で、ここでお二人さんに問題だ。これ、俺はどこから盗んだと思う?」
彼は大袈裟に歯を見せて笑い、残酷にカリオン先生の仕草を真似てみせた。
ジュナは眉をひそめ問いかける。
「セピア……本当に、これはカリオン先生の所持品なのか?」
「私も疑問です」
フリージアも追い打ちをかけるように声を重ねた。
「結局のところ、あなたが嫌いなカリオン先生を貶めるために仕組んだ虚構ではありませんか?」
「おいおい」
セピアは両手を広げ、馬鹿を言うなといわんばかりに肩をすくめる。
「華王を所持したら、龍の子であれ重罪に問われかねないんだぜ?そんなリスク背負ってまで嘘つくと思うか」
「ええ、思います」
フリージアは腕を組み、横目でセピアを睨んだ。
「今、あなた自身が言いましたね。龍の子であれ重罪に問われかねない、と。
ならば自然、こう考えるのが筋です。
“罪を逃れられるかもしれない望み”と“カリオン先生を貶める機会”——その二つを天秤にかけたのでは、と」
彼女は小さく息を吐き、今度は真正面から視線を合わせた。
「残念ながら、私たちがその話を信じるだけの信頼をあなたは勝ち得ていません。どうぞ、弁論があるなら伺います」
セピアは両手をひらひらと掲げ、降参の仕草をみせた。
「弁論するつもりはねえよ。証拠がこの粉末しかねえ以上、話はずっと平行線のままだ。だが——」
その金色の瞳が、まるで事の核心を宣するかのように危うい光を帯びた。
「お前たちは、俺が嘘をついていない可能性についても考えなきゃならねえ。そうだろ?カリオンは聖都ロゴスの承認を受けて、この地に就任した神官だ。ジュナの父上——クラウン辺境伯でさえ、あいつを裁く権利はない。
俺の言葉が真実であいつが悪党なら、このまま野放しにすりゃ罪のない民たちが苦しむことになる」
セピアの言葉は逃げ道を断つ一矢だった。
父上でさえ手を出せず、証拠を集めるにも人知れず動くしかない。
しかも、それを”偶然の発見”に仕立てて、ロゴス大聖堂に差し出さねばならないのだ。
フリージアは言葉を失い、ジュナもまた、セピアが突きつける難局を胸の奥で重たい現実として受け止めるしかなかった。
「つまり僕が《《彼ら》》を動員して、裏で調査を進めるべきだということか……」
ジュナは唇を噛んだ。
セピアを完全に信じることはできない。だが、もしこれが真実なら、このまま手をこまねいていれば民が危険に晒される。
ふと視線を落とすと、龍灯に照らされた暗紫色の粉末が不吉な光沢を放っていた。
その輝きは濃い影を落とし、思わず先に待つ悲惨な末路を暗示しているかのようだった。
——救えるのは、僕しかいない。
ジュナの決意を察したのか、セピアはゆるりと立ち上がり間延びしたあくび交じりの声を漏らした。
「さすがジュナ様、話が早くて助かる。
ってことで、俺はこれで失礼させてもらうぜ。せっかくの茶会、壊して悪かったな」
サルウィンが開いた扉からセピアは身軽に部屋を後にした。
扉が閉まる音がやけに大きく響く。
その余韻が消え去ると、嵐の後のように二人の間に静寂が落ちた。
フリージアはこの静けさを壊してしまうのではと恐れるように、そっと問いかけた。
「ジュナ様は《《彼ら》》をお使いになられたことがあるのですか」
ジュナはかぶりを振る。
「いや、僕は『宵傘衆』を一度も使ったことがない。彼らは父上の命しか受けつけないから。
フリージアさん、今ここで父に手紙を書いてもいいだろうか」
「はい。お気遣いなく、ごゆっくりお書きください」
彼女の返答を受けて、ジュナはサルウィンに筆を持って来させた。
取りに行く間、思考は知らずのうちに『宵傘衆』へ向かっていた。
宵傘衆——辺境伯バロバロッサ家に仕える「宵」として影に潜り、情報収集、諜報、撹乱、暗殺といった任務を担う一派。
かつて我々一族が他国を打ち滅ぼし領土を広げていた時代、戦場の勝利の裏には舞台を整える者たちがいた。その役を果たしてきたのが宵傘衆であり、その系譜はいまも辺境伯家の庇護のもとに息づいている。
その名は知っていても、実態は霧に包まれている。ジュナでさえ組織の全貌を教えられることはなかった。
フリージアの一族ヴァルファルド家が正面から剣を振るう右腕ならば、宵傘衆は闇をもって任務を遂行する左腕。両者が揃ってこそ、バロバロッサ辺境伯家の支配は磐石となる。
淀みなく話していたフリージアの声が、わずかに迷いを帯びて、独り言のような呟きが漏れた。
「《《彼ら》》は目的にだけ注力し、道中のことなど気にも留めません。民がどれほど犠牲になろうと……無関心です。
どうにか、私たちだけで証拠を集められないでしょうか」
「えっ?」
思わず口をついて出た声に、フリージアはぱっと頬を赤くした。
「ジュナ様、無作法をお許しください」
意図せず口に出してしまったのだろう。後の祭りと分かっていても、反射的に手で口元を覆った。
しかし、フリージアの提案——
二人だけで証拠を集める案は、意外と悪くないかもしれない。
「まずは、僕たちだけでやってみてもいいかもしれません」
次期辺境伯として、自分にもできることを示す、またとない好機だ。
宵傘衆に頼るのは後でもいい。父に相談したところで、どれだけ早く連携できるかもわからない。
――うまくいけば、みんなの中での自分が少し違って見えるかもしれない。
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