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16 -龍の基礎

16 -龍の基礎


「なら、今晩は僕が言わせてもらいますね」

飴の破片を片付け終えたはずなのに、フリージアはまだ仕事が残っているとでも思っているのか、窓まで拭き始めようとした。

「……もう大丈夫ですよ、フリージアさん」

================================



鐘楼の合図が起床を告げた。

普段はムギ(龍造犬)に顔を舐められるまで瞼が重く開かなかったが、霞ひとつない朝のように視界がすっと晴れた。

ジュナは天蓋つき四柱式のベッドから飛び降り、大きく背を伸ばす。


「気持ちのいい朝だな」

尾を振るムギの頭を撫でながら、昨日交わした約束について思い返していた。


=回想=


「よろしければ、明日の授業後に僕の部屋でお茶をしませんか。先の王制騎士団史の解釈についてお聞きしたくて……フリージアさんは博識ですし、面白い視点をお持ちで、とても興味深かったので」


彼女の目が輝きを増し、口調も少し早くなる。

「そうですか!光栄です。

私も、王直属騎士の組織構造や歴史には学ぶべき点がまだまだ多いと感じていました。今晩、改めて王制騎士団史を読み返し、議題を整理しておきます」


「お願いします。とても楽しみです」


彼女も手を前で重ね、ほのかに頬を赤く染めた。

「私も明日の午後が楽しみです」

しかしハッと思い出したかのように背筋を正し、瞳をわずかに細める。

「……授業を疎かにしてはいけません。まずは、目の前のことに集中しなくては」


===


その時扉を叩く音で、ジュナは我に返った。

(サルウィンだろう)

合図を送り、入るよう指示した。


「失礼いたします。おはようございます、ジュナ様。身だしなみも整っておられるようで感心いたしました。

それでは、武芸の稽古のため訓練場に参りましょう」



『寮:東棟』から『学舎:北棟』を抜け、『訓練場:西棟』へ向かう道すがら。

ジュナはふと思い出したようにサルウィンへ声をかけた。


「今日の授業後だから……16時ぐらいかな。部屋でちょっとした茶会を開くんだ」


「承知しました。どなたとのお席でございましょう」


「サルウィンも知ってるだろ?副伯家のご令嬢、フリージアさん」


「はい、存じ上げております。火龍騎士団団長の妹君にあられるお方ですね。お噂では、淑女ながらも並々ならぬ剣の冴えをお持ちとか」


「ああ、でも今回は王制騎士団史のこと、それも組織の成り立ちについて意見を交わそうと思ってるんだ」


その瞬間、背後の足音がピタリと止まった。

不審に思い、ジュナは振り返る。


「……お相手は女性と伺いましたが、その……果たして盛り上がるものなのでしょうか?」


「何を?」

問い返すと、サルウィンは困ったように眉をひそめ、口を開きかけては、唇を閉じ、また開きかけては——閉じた。


やがて諦めたように、小さく言う。

「……いえ、私はジュナ様を信じております」


「?」

ジュナには何が言いたかったのか、結局よくわからなかった。



なぜか今日の武芸の稽古はいつもより甘く、サルウィンは何もない所でつまずく始末。あれほど注意散漫なところを見たのは初めてで、ジュナはむしろ心配になって、いつも以上に疲れを覚えた。


「……この辺りにいたしましょう」

今日のぎこちない訓練をなんとか終えると、ジュナは汗で濡れた訓練服を脱ぎ、制服に着替えるため更衣室のノブをひねった。


その瞬間、黒猫が勢いよく飛び出した。


「うわっ!!」


思わずのけぞったジュナは尻餅をついた。

猫に驚いた自分が恥ずかしくて、口から棘のある声が漏れる。

「どうしてこんなところに猫がいるんだ」


けしかけた黒猫はといえば、真っ黄色の目を細め、めんどくさそうに頭をかいている。ぼさぼさに膨れた毛並みが、まるで態度の大きさを主張しているかのようで、いっそう小生意気さを際立たせていた。


「教会前のベンチでよく休んでいる子でしょうか。最近よく見かけます。

更衣室の窓には鉄格子がありませんから、そこから忍び込んだのでしょう」


サルウィンはジュナの体を支え起こすと、黒猫を撫でようと近寄ろうとする。

だが猫は気まぐれに身をよじらせ、するりと更衣室の扉の隙間から抜け出してしまった。


「それにしても愛想のない猫ですね」


「猫だから仕方がないよ」

ジュナは、腕を前に出したまま固まるサルウィンを横目に、気休めを口にした。


だが視線の端に壁掛け時計が映ったとたん、言葉の調子が裏返った。

「大変だ! こんなことしてる暇はないよ。サルウィン、時計を見て! もうすぐ授業が始まってしまう」


「ご、ご安心ください。授業一式は私が部屋まで取りに参ります。ジュナ様は、こちらで着替えを整えてください!」


声を張り上げながら螺旋階段を駆け上がるサルウィン。その必死な姿と、普段の冷静沈着との落差が、ジュナにはどうにも可笑しかった。


(サルウィンにもあんな一面があるんだな)

苦笑を残しつつも、ジュナは急いで着替えに取りかかった。




♦︎♢♦︎




授業の合図を告げる鐘の音とともに席についたジュナは、声をかけられ、水の入った杯を手渡された。


「ジュナ君、おはようございます!

今朝の稽古は随分と遅くまでやっていたのですね。時間ギリギリでしたよ。さあ、お疲れでしょう。この水を飲んで一服してください」


白い歯をのぞかせて笑うのは、担当のカリオン先生。22歳と若く、生徒たちともフランクに接し、その爽やかな容姿も相まって、大変人気のある先生だ。


「ありがとうございます」

ジュナは礼を述べ、カリオン先生の好意を応えるように、杯の水を一気に飲み干した。


「いい飲みっぷりですね。

さて、残りの空席は……テオ君とセピア君ですね。テオ君はしばらく休むとの連絡が入っていますが……セピア君からはまだ連絡はないようです」


テオという名前に、ジュナの体が反射的にこわばる。

龍の子同士の決闘に敗れたテオは、『影』に変貌し、自らの命すら投げ捨ててまで僕を殺そうとしたのだ。もしあのときエリュトロン先生とフリージアさんの助けがなければ、今ここに僕は座れていなかっただろう。


サルウィンの知らせによれば、テオ殿はお目覚めになったものの、しばらく休養が必要とのこと。命に支障はないと聞き、心から安堵が込み上げた。

だが同時に、あれほど憎悪を向けてきた相手の無事を喜んでいる自分に、戸惑いも覚えた。


——ああ、そうか。

サルウィンが、なぜ今日の訓練をやけに甘くしていたのか、ようやく理解できた。


(僕のことを心配してくれていたんだ)


きっと、見えない怪我のひとつひとつを、注意深く探ってくれていたに違いない。脳裏には、ぶすっとした融通の利かない顔のまま、口の端をわずかに緩めるサルウィンの姿が浮かぶ。

案じてくれる誰かを思い描くことで、些細な感情に左右されている自分が少しばかり滑稽に思える。

気づけば、心の片隅に残っていたテオへの恐怖や警戒心も、少しだけ遠のいていた。



だがその胸中の穏やかさを断ち切るかのように、扉が開かれ、セピアが席につくやいなや、一言告げた。

「寝坊しました」


——セピア・エスキュラス

エスキュラス家は地域に根差した動物診療所を営む家柄で、名門と呼ぶには控えめな一族だ。

しかし、家名を背負う者があのような態度を取って良いはずがない。


龍の子が産まれること自体が稀だが、何世代に渡り続く家系である以上、決して奇跡と呼ぶほどの偶然ではない。

龍の子という地位に安住し、無礼を重ねれば、エスキュラス家の信用は傷つき、貴族同士の繋がりも途絶えて診療所の経営にも影響を及ぼすだろう。

たとえ心中に憤りがあったとしても、癇癪を起こす子供のように態度を出すのは間違っている。


(彼にはこんなことも想像できないのか)

家名を背負う者としての自覚——それがどれほど日常を律するものか、彼には理解できないのだろう。


ジュナはこれまで人の良い面を見ようと努めてきた。

悪い面ばかりに目を凝らせば、良い面さえも歪んで見えてしまうからだ。


——聖人君子にだって、欠点を探そうと思えばいくらでも見つけられますわ。

1に良いところ、2に良いところ、3にも良いところ。そう数えていく方が楽しいでしょう?

誰とでもすぐに打ち解けてしまう、人たらしの才を持つ妹ルミーの言葉だ。


自分の物差しだけで世界を測ってはいけない。

まだ世界を知らぬ身でありながら、一方的に断じてはいけない。

理屈でそう納得しても、心の奥底のざわつきはどうしても納まらない。


(僕は……どうしてもセピアが苦手だ)


自分でもなぜここまで腹を立てているのかは分からない。



「セピア君、また寝坊ですか。今度の今度は気をつけてくださいよ。

僕の人事評価が下がってしまうと、厳格で堅物な先生ばかりが教鞭を執ることになります。困るのは、セピア君、君自身ですよ。

いいですか?僕の格好が悪くなる前に、ちゃんと直してくださいね」


カリオン先生が茶目っ気たっぷりに受け流したおかげで、教室に漂っていた重苦しい空気が和らぎ、生徒たちの困惑顔にも笑みが浮かぶ。

だが当のセピアに反省の色はなく、むしろ我々を冷笑するかのように片唇を歪めた。


「悪うございました。二度としませんよ——()()とね」



…………………………。


唐突に、カリオン先生の顔から表情が消えた。

堪忍袋の緒が切れたのかと思ったが、その視線は確かにセピアをとらえていながら、何ひとつ映してはいない。


湖面に雫が落ち波紋が広がるように、セピアの言葉が引き金となって、彼の過去の記憶を呼び覚ましているかのような目だった。


しばしの沈黙のうち、

カリオンはこの場に帰ってきたように生徒らを見渡し、無理やり笑みを作る。

白い歯を覗かせながら、取り繕うように告げた。


「セピア君、気をつけてください」


カリオン先生は節度ある態度を守ったが、セピアは頷きながらも片唇をわずかに吊り上げた。

その笑みには、ただ勝ち負けをつけたがるだけの子供にしか見えなかった。



「さあ、気持ちを切り替えましょう。

今日からは、尊き『四大元素』の学びに入ります。32頁を開いてください」


ジュナもカリオン先生に倣って教科書を開く。セピアの雰囲気に呑まれてはいけない。背筋を伸ばし、耳を傾ける。


「龍の力は龍神を仰ぎ、恩寵を受けてこの世に顕れます。

その形は一人ひとり異なり、枝分かれした技の樹は、その者の性根を深く映し出すものです。

けれども混沌の森に生い茂る木々のように、それらは枝を絡めます。

やがて暴走の芽を孕み、互いに光を塞ぎ合えば、周囲すべてを枯らしてしまう恐れがあるのです。


だからこそ我ら神官は、その枝を選り分け、正しき道を整えるのです。

独りよがりの妙技ではなく、体系に則った歩みを示し、導くこと。

それこそが、神に仕える我々の務めであり、みなさんの命を守る道ともなるのです。


前置きが長くなりました。『四大元素』に戻りましょう。

火、水、風、土――天地の理を成す四本の柱です。

これは後天的に習い得る分野であり、誰もが平等に授かることのできる力。

ゆえに、龍の基礎と呼ばれるのです。


恐れることはありません。

訓練を重ねれば、

――闇を裂く炎を、

雨を呼び大地を潤し、

風を読み旗を導き、

土を耕し命を育む。

そのように天地と語らう術を、この学舎で必ず身につけられるでしょう。


では、実践に移ります。

教壇に蝋燭とマッチがあります。ひとりひとつずつ取りに来てください。


炎を灯し、その光が溶けて消えるまで見つめ続けてください。

目を閉じてもなお、その火を心に思い描けるようになること——ここが肝心です。


午後には訓練場にて、龍石を用いず火の恩寵を引き出す訓練を行う予定です。みなさん、しっかり励んでください」

ご愛読ありがとうございます。


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