11 -『影』
11 -『影』
テオの身体にまとわりついた闇は、ついに全身を覆い尽くし、完全な『影』へと変貌した。
——龍の力の暴走。
何度も読み返した童話の中の光景が、まさか自分の目の前で現実となって姿を現すとは、ジュナは思いもよらなかった。
『影』が立ち上がったように見えた。
ように見えた、と曖昧な表現にせざる得ない。
その姿は絶えず伸び縮みし、膨らんでは細くなって、形が定まらない。
『影』と呼ぶにふさわしくはたして正面を向いているのか、それとも背を向けているのか、それすら判断がつかない。
まるで歪んだ映像が投影されるかのように、実体のない身体をこの場に繋ぎ止めようとしていた。
——それだけではない。
その存在が向けている敵意は肌を針で刺すように鋭く、明確だった。
ジュナは歯をカチカチ鳴らし、震える身体を無意識に抱きしめたていた。
ほどなく『影』は、木の葉の擦れ合うような音を滲み出した。だがそれは風に揺れる葉の自然なざわめきとは決定的に違う。
どこか意図を孕んだ呪詛めいた響きを帯び、空気に浸透するように囁き声は次第に大きくなっていく。
その音は何かを呼び覚まし、聴く者をよからぬ事へと引き摺り込もうとしているようだった。
『影』の片腕らしきものが、ぎこちなく、それでいて確かな意思を持つかのように、ゆっくりと持ち上がった。
次の瞬間、
巨岩ほどの大きさを持つ燃え盛るどろりとした溶岩の塊が、突如として虚空に現れた。
周囲の空気が瞬く間に灼熱に歪み、ジュナの全身を容赦なく呑み込む。熱風は肌を焼き、息をするだけで胸が絞られるように痛んだ。
先ほどまで震えていた身体は、今や汗でびっしょりと濡れ、額から滴が次々と落ちてくる。視界も揺らぎ、足元がふわりと浮くような幻惑にとらわれていた。
溶岩の塊の周囲では、無数の光の粒が絶え間なく弾け、燃え尽きることのない火花となって降り注いでいた。
もし、こんな規格外な塊が落ちてきたら、逃げ場など、どこにも存在しない。
(あれを止めるには術者の意識を絶つ方法しかない。だったら——)
「お願い!」
ジュナは螺旋階段にいる生徒たちの方へ視線を向け、腕を伸ばした。
脳が激しく揺さぶられ、視界がぐにゃりと歪むほどの負荷が襲ったが……
「……繋がった」
指先に確かな手応えがある。
軽く指を曲げ、こちらへ来るよう命じた。
かくして生徒たちの背後に控えていた5体の龍造岩δ型が彼らを押しのけ、階段を飛び降りるや否や、迷いなく主人のもとへ駆けつけた。
ジュナはその隙に残る力を振り絞り、龍の力で人の身丈ほどの棍棒を創り出す。接近してきた人形たちに手渡し——
「行け!」
叫びながら攻撃を命じた。
『影』の中に、テオがいる。
だったら、彼を無理やり引きずり出して恩寵を止めさせるしかない。
危険な賭けだと分かってはいたが、ためらっている暇などなかった。
まず手始めに1体の龍造人形を向かわせ、
『影』がどう動くのか見極め、そこから作戦を組み立てる。
人形は棍棒を前に構え、一直線に『影』へ向かって突進していく、
すると『影』は溶岩の塊を持ち上げていないもう一方の腕を、ゆらりと前に差し出した。まるで狙いを定めるように、人差し指が人形を捉える。
(……何か仕掛けてくる)
『影』の指に注視するが、特に何かが起こった様子はない。それが、かえって不気味だった。
(一瞬であれほどの溶岩を創り出したやつのことだ。何もしてこないはずがない)
人形が順調に『影』まで距離を詰めていく様子を見守りながらも、突然の異変に備えて、いつでも残りの人形を動かせるように構えていた。
棍棒はあと少しで『影』に届く——その瞬間、龍造人形がピタリと動きを止めた。
同時に、ジュナの意識から感覚が途切れ、人形との接続が一瞬で断ち切られた。
通常、物理的な現象を引き起こせば、音や光、何かしらの反応が伴うはずだ。それが見えないとなると……幻惑か、あるいは精神干渉だろうか。
『影』が人形の権限を奪い、行動不能にさせたという仮説が最も有力だ。
おそらく龍石を介した精神干渉——それによる攻撃と見ていいだろう。そう考えれば、すべて辻褄が合う。
(いや、待て。それにしてはおかしい。権限を奪うほどの干渉なら、必ず違和感を察知できるはずだ。なのに……なぜ?)
ジュナは、自分の手を見つめた。
一瞬にしてすべての繋がりが途絶えた、あの異様な感覚……。
(やはり妙だ。単なる権限の奪取ではない。もっと根本的な何かが起きている)
思考がまとまらないまま、自然と視線は動かなくなった龍造人形に吸い寄せられる。
(……あれは何だ?)
目を凝らすと、人形の胸の中心部——動力源である龍石が埋め込まれていた箇所だけが、ぽっかりと小さな穴になっていた。
爆ぜたわけでも、穿たれたわけでもない。
まるで最初から損なわれていたかのように、あまりにも自然で”そうあるべき”ものにさえ見えてしまうほどだった。
音も、光も、予兆もなかった。
指を向ける——それだけで、『影』はこんな事態を引き起こす。
(僕の手に負える相手じゃない。ど……どうすればいい?)
ふと気づくと、『影』の指先はジュナを向いていた。
それは紛れもない死の宣告だった。
ジュナは息をすることすら忘れたように、「あ、あ……」と、言葉にならないものが口から漏れた。
恐怖が思考のすべてを押し流す。
冷静になろうとする意思など、一瞬で消え去った。
「く、くるな!」
喉が勝手に声を絞りだす。
自分が何をしているのか、理解できない。
頭の中が真っ白で、ジュナは無意識のうちに残りの龍造人形たちを『影』へけしかけていた。
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