8.スった男
ロゼはショーケースを前にして固まってしまった。目の前に広がる宝石のようなお菓子の数々は輝いており、香ばしい小麦のにおいも甘いチョコレートのにおいも広がる店内はまるで楽園のようだった。
店内にはロゼとガナッシュの二人。御者を付けていないフラミンゴは外で馬の番をしている。日雇いで馬番を頼むこともあるが今はその時ではない。「時間かけるなよ」とフラミンゴに注意されていたがロゼは時間をかけまくっている。
「夫人は生菓子より焼き菓子が好きなイメージがあるかな」
「焼き菓子・・・。」
「凝ったものよりも質の良さを重視してる気がする。伝統的なものが好まれるかもね」
「伝統的・・・。」
「・・・いや、わかんないか。ロゼが美味しそうって思ったものでいいよ」
ショーケースの前にへばりついているロゼを見る店員が困った顔をしている。ガナッシュが後ろを振り返るとガラス張りの店の外からガナッシュを睨むように立っているフラミンゴがいた。たまらずガナッシュはロゼに声をかける。「・・・そろそろ」言いかけたところで「決めました!」ようやくロゼは立ち上がり店員の顔を見る。
「フィナンシェにします!」
「ありがとうございます。おいくつになさいますか?」
「え?」
「五つ一箱にラッピングしてください。あと二つは簡単に包むだけで」
「かしこまりました」
ガナッシュが指でピースサインをしながら店員に説明すると、そのままロゼの方も見た。ピースしている指をちょいちょいっとお辞儀するように曲げ「俺とロゼの分」と言うので「フラミンゴさんは?」とロゼが訊ねるとガナッシュは首を横に振る。「あの人、辛口だから」
「ありがとうございましたー」店員に見送られ店を出る。フィナンシェの入った箱を大事そうに両手で抱えたロゼを見て「いいのがあったか?」フラミンゴが訊ねる。「フィナンシェにしました」と告げると「いい選択だ」と褒められたのでロゼは嬉しそうに目を垂らして笑った。
「さて、行くか」フラミンゴが歩き出すと「・・・すんません」と声をかけられた。瘦せ型で猫背気味の男。垂らした長い前髪は目を覆っており、後ろ髪は小さく結ばれている。顔を隠したいのかそうじゃないのかわからないアンバランスさ。
「なにか食いもん、売ってませんか?」
「はあ?」
「リヤカー付きの馬、アンタ商人すよね。なんか売ってもらえません?」
「俺は食料は売ってねぇんだ。悪いな。他の店で買ってくれ」
「俺みたいな小汚い奴が店に入れるわけないじゃないすか!」
「ならマーケットまで下りれよ!脇道入れば露店もあちこちあんだからよ」
「薄情すぎませんかぁ~!」
「お前に情など毛ほどもないわ!」
物乞いに擦り寄られているフラミンゴをロゼとガナッシュは困ったように眺めていた。「ああいうの、そこそこいるんだよね」ガナッシュが小汚い男を指さす。物乞いというよりもフラミンゴに大きな犬がじゃれついているようにしかみえない。ロゼは大事に抱えていた箱とは別の袋に包まれたフィナンシェを取り出した。
「これ、あげます」
「・・・・・え?」
「一つしかあげられませんけど、もらってください」
ロゼと差し出されたお菓子の包みを交互に見た小汚い男は口角を上げて「ありがとう!お嬢ちゃん!君は世にいう聖女のようだよ!」と抱きつこうとするのでガナッシュが「早く受け取ってくれます?」二人の間に入ってロゼが差し出していたフィナンシェを男に押し付ける。
「ありがと~ありがと~!世の中捨てたもんじゃないね~」と曲がっていた背筋を伸ばし手を振りながら去る男を見てガナッシュもフラミンゴも大きく溜め息をついた。
「フラミンゴさん、何捕まっちゃってるんですか」
「いや、アイツ、しつこいって」
「あそこまで大胆な物乞いは珍しいですね。ロゼ、その残りの一つはロゼがちゃんと食べるんだよ。折角買ったんだから」
「高級お菓子に当たるなんてラッキーな物乞いですこと」溜め息混じりに言うガナッシュに「二つはあげられなかったんです。だってこれはガナッシュさんのだから」ロゼはもう一つの包みを差し出した。
「自分の分はあげれますけど、人のものはさすがにあげられません。これはガナッシュさんの分ですよ」
ガナッシュは目を見開いて固まる。「え?俺の?」ロゼは頷く。出した手を引くことなくガナッシュの目の前に持ち上げた。ガナッシュはそれを見つめるだけで受け取らない。
「・・・ははっ、まいったな」
「え?」
「半分こしよう。ロゼに食べてもらえなきゃ意味ないよ」
「え!いいんですか!?」
「もちろん」
差し出されたフィナンシェを受け取ろうとガナッシュが手を伸ばすと「うわあっ!やられたっ!」フラミンゴが大声を出すのでロゼは大事に抱えた箱を少し押しつぶしてしまった。
「盗られた!!財布!!」
「えええっ!?」
「アイツ最初っからそれが目的だったわけだ!!くそっ・・・やられた!」
ガナッシュの手はフィナンシェを受け取ることなくロゼの肩をポンポンと優しく叩くと、そのままロゼの横を通り過ぎる。「おい!ガナッシュ!」フラミンゴの呼びかけに振り向いたガナッシュは「追います!まだ間に合うかもしれないんで!」と走り去っていく。
「先に夫人への挨拶を済ませてきてください!」
「バッカ!!お前!!・・・深追いすんじゃねぇぞ!!金よりお前の方が大事だぞ!!」
ガナッシュは右手を上げてひらひらと振り、曲がり角で見えなくなってしまった。「・・・ったく、無茶しやがって」フラミンゴは帽子を被ったまま乱暴に頭を搔く。ロゼはガナッシュが見えなくなった路地をずっと眺めていた。
「ロゼ、夫人の挨拶を先に済ませるぞ」
「え、でも」
「待ってても仕方がない。用事を先に済ませてガナッシュと合流する」
フラミンゴは立ち尽くすロゼの肩を抱き、歩くように促した。ロゼの顔は前を見ず、ずっとガナッシュがいなくなった路地に目を向けていた。
**
ジェイミー夫人を前にしたフラミンゴは深く頭を下げ、同じようにロゼも頭を下げた。「嫌だわフラミンゴさん、顔を上げてくださいな」夫人は小さく笑い声をかける。「私の不徳の致すところでして」顔を上げようとしないフラミンゴの言葉を遮るようにパンパンと手を叩いた。
「私は平身低頭の人間を見下ろす趣味はないの。顔を上げてと言われたら顔を上げて頂戴」
夫人は語気を強めて言う。フラミンゴは恐る恐る顔を上げた。「貴女も」自分のことを言われているのだろうと、ロゼも顔を上げる。夫人の顔には怒りなどなく柔らかい笑みを浮かべていた。
「貴方たちの誠実さは十分に伝わってる。ずっと頭を下げられても気分が悪くなるわ。それに今回の件は、こちらにも非があるの。議員の汚職に気づかず野放しにした結果、保安官を買収して貴方への私怨をぶつけたなんて。・・・上に立つ者としてあるまじき行為よ。主人も謝っていたわ」
「と、とんでもございません!お二人が思い悩む必要などありません。私のやり方がまずかっただけです。人の恨みを買うような真似をしてしまったが故に」
「他人の妬み嫉みに付き合う必要ないわ。出る杭は打たれるもの。わかるでしょう?もっと堂々となさいな」
それでもフラミンゴは背筋を伸ばすことはできず、ずっと肩を上げて頭を落としていた。夫人はフラミンゴの隣にいるロゼを見る。「新しいお弟子さん?」ロゼは自分に話しかけられるとは思わず、びくっと肩を大きく跳ねさせた。
「この子が、香水を作っていた子です」
「まあ・・・、貴女みたいな若い子が?」
目を見開いて顔を突き出してくる夫人にロゼは息を詰まらせた。「ロゼ、お詫びの品をお渡しして」フラミンゴがロゼの膝の上に乗っている箱を指し示す。ロゼはぎこちない動きで震える手も抑えられぬままフィナンシェが入った箱をガラスのテーブルの上に置いた。
「あら、わざわざ悪いわね。ありがとう」
「あ、ありがとう、ございます!」
「え?」
「あっ!あ、と、申し訳、ありませ・・・ん?」
なんと返事をすればいいのかわからない。緊張で震える手と口をどうにもできないロゼに「可愛らしいお嬢さん。まさか貴女が今までの香水を作ってくれていたなんてね。ありがとう」夫人は優しく笑いかける。ロゼは小さく首を左右に振った。「ロゼ、」失礼な態度にフラミンゴが声を強める。
「やめてあげてフラミンゴさん。初対面なのだから緊張して当たり前でしょう?貴方も最初はあんな感じだったわよ」
「はは・・、そうだったかもしれません」
「今日はあのお弟子さんはご一緒じゃないの?」
「今日は別件の用事がありまして・・・。」
言葉を濁すフラミンゴに「そう」と艶っぽい溜め息のように夫人が呟くと、視線をロゼに向けた。ロゼはまた肩を大きく跳ねさせてガチガチに固まる。ロゼの全身を舐めるように目が動くと「貴女、ロゼさんっていうのね?」夫人は柔らかく微笑んだ。
「は、はい」
「そう、なるほどね。貴女のことだったのね」
「え・・・私が、なにか」
「ホワイトローズ。その名のとおり貴女のイメージそのものね」
夫人はソファから立ち上がりロゼの傍に歩み寄る。ふわりと香った甘い花の香り。「バラはバラでも白きバラ。何ものにも染まらないでそのままでいなさいね。私も貴女が作ったこの香りに包まれるたびに純真だった昔の自分を思い出すことにするわ」白い手袋に包まれた手をロゼの手に添える。ロゼは夫人から目が離せなかった。手袋越しに伝わる手の温かさ、心にじんわり染み渡るような落ち着いた声色、子供と目を合わせるように躊躇いなく膝をつく姿勢。「私も・・・夫人のような、女性になりたいです」美しくて気高くて、だけど決して驕ることなく広い心で包み込んでくれるような上品でお淑やかな女性に。
「聞いたかしら!?フラミンゴさん!彼女、私のようになりたいのですって!」
「夫人の内から溢れ出る美しさにロゼも惚れ込んだのでしょうね」
「いやだわ、煽てちゃって。でも、ありがとう。この立場にあると下心でものを言う人ばかりだから、ロゼさんみたいな子からそう言われると嬉しいわ」
ジェイミー夫人はロゼの頬を指で小さくくすぐると、さっきまで座っていたソファに戻っていった。執事に用意された紅茶に口をつけると満足気に「ああ、今日は特別に美味しいわ」と笑みが零れる。隣に立つ執事も嬉しそうにしていた。
「先日も話したけれど、私はフラミンゴさんのような人にはいくらでもお金を出したいと思っているの。これからもお付き合いいただけるかしら?」
「も、もちろんでございます!私なんかでよろしければ何なりとお申し付けください!」
「それが聞けて安心したわ。・・・・それで、少し小耳に挟んだことがあるのだけど」
さっきまで少女のように顔を綻ばせていたジェイミー夫人が眉を下げる。「最近、この街にとあるマフィアのボスが来ているらしいの。それが不安で不安で」白い手袋をした手を頬にやって夫人は大きく息を吐いた。
「マフィア・・・ですか?」
「汚職のあった議員と何かしらの関係があるんじゃないかって、主人は疑っているようだけど・・・。」
「裏で何か取引をしていた可能性が・・・?」
「わからないわ。でも、貴方も気を付けてね。一般人を相手にはしないようだけど、儲けを手にする商人たちは目を付けられやすいようだから」
「怖いわねぇー」夫人は目を瞑りイヤイヤと首を横に振った。「あんなことがあっては保安局も頼りにならないし」あんなこととは汚職議員に買収されていた件のことだろう。
フラミンゴは視線をジェイミー夫人からゆっくりロゼに移す。「・・・ま、まさかな」ロゼもさっきの怪しい物乞いと、それを追いかけて行ったガナッシュを思い浮かべた。フラミンゴの顔が蒼白する。
「・・・・マズい!!!」