5.突然の報せ
コロコロ隣で音がする。ガナッシュがハニードロップを舌で転がしている音だ。「子供じゃねぇんだからよ、舌で溶かせよ」自分よりも頭二つ分ほど高いガナッシュに食べ方を注意していることが虚しかった。大きな子供の世話は大変だ。
「舐めた方が美味しいので」
「はちみつとか甘すぎねぇか?ハーブの方がスースーして気持ちいいだろ」
「俺は味わいたいタイプなんですよ。なんでも」
「なんでもってなんだよ」
「なんでもです」
フラミンゴに注意されても気にしないガナッシュは変わらず舌でドロップを転がす。二度は言わないフラミンゴは、はぁと息を吐くだけだった。
ガナッシュを弟子にとって数か月。フラミンゴの酒癖には小言を言うが、それ以外のことは従順で何一つ文句も言わずどこにでもついてくる。ラグの上に無造作に置かれた品物で埋め尽くされた薄汚いマーケットであろうと、上流階級の集まるサロンであろうと動じることはない。フラミンゴですら初めて貴族を目の前にしたときは身体が震えた。声も上ずって汚いものを見るような視線を浴びた。なのに隣で子供のように飴玉を舌で転がす背の高い美男子は、図太いのか鈍いのか平然としている。
「お前、いつになったら独り立ちすんだ?」
「冷たいこと言わないでくださいよ」
「お前の狙いはアレだろ?俺の顧客を狙ってんだろ?」
「バレました?」
「んじゃ、達者でやれよ。お前は十分独りでやれるよ。さいなら」
「冗談ですって!俺、フラミンゴさんなしでやれないですよ!」
冗談なのか本気なのかわからない。ガナッシュはどうにも信用ならない部分があった。それはお調子者の部分。お客の前では一切見せないが、フラミンゴやロゼの前ではお道化てみせる。それが腹に何か抱えてそうでフラミンゴはガナッシュを俄かに疑っていた。
「ゴホッゴホゴホッ」
止まらぬ咳に苦しみ、胸を押さえ蹲っている少年がいた。「おい、大丈夫か?」街道に子供一人でいるのは珍しい。フラミンゴは少年に声をかけながら辺りを見渡す。親らしき人はいない。
「ぼうや、一人かい?貴族の子がこんなところに一人でいちゃ危ないよ」
「どうして貴族の子だとわかるんですか?」
「着てる服見りゃ一目瞭然だろ。素材が良すぎる」
「触らずに見るだけでわかるんですね」
ほぅ、とガナッシュは息を吐く。咳き込んで苦しそうにしている少年に「これ、飲むといい」見た目は酒瓶だが、中身はロゼが拵えた珊瑚水が入っている。「それともドロップがいいかい?」自分の口に入っているハニードロップを口を開けて見せ、ポケットから同じものを取り出した。
「おいおい、相手は貴族の子だぞ。むやみやたらに物を与えるな」
「どうしてですか?」
「貴族は品物だけじゃなく信用を買ってるんだ。信用の置ける商人からしか買わない」
「売ってるわけじゃないです」
「屁理屈言うな。丁度ジェイミー夫人のところに行くところだ。夫人ならこの子を知ってるかもしれないし、連れて・・」
フラミンゴがガナッシュと話している最中に少年がフラミンゴのジャケットの裾を引っ張った。咳の合間に「ぼく、くすり、かえ、ないの?」深緑色の瞳が潤み、真っ直ぐにフラミンゴを見た。
「薬買うって・・・君、まさかマーケットに行こうとしたのかい?」
少年は頷く。「いちば、には、めずらしい、のが」ゴホッゴホッと喋るほど咳が出てくる。フラミンゴは唸りながら頭を搔き「・・・ガナッシュ」と呼ぶ前にガナッシュは少年に水を飲ませていた。
「お、おい」
「俺がやったことにしたらいいです。この子の親から罵倒されるのは俺ってことで」
「いや、それはもういいんだが」
「どちらにしたって、この子は一人でマーケットに行こうとしてました。貴族の子供が一人で行くところじゃない。だったら俺が持ってる薬あげちゃえばいいじゃないですか。マーケットに出回る怪しい薬より、ロゼお手製の薬の方が絶対に効き目ある」
本当は二日酔い対策のための薬だったが、ロゼが「おばあちゃんに習った、あらゆる不調に効果抜群の万能薬です」と古の魔女が如何にも言いそうな台詞で渡すので騙されたつもりでもらったもの。それをガナッシュは少年に渡す。あとハニードロップも。
「フラミンゴさん、俺、この子とここで待ってますからジェイミー夫人にこの少年のこと訊ねてもらってきてもいいですか?」
「・・・・これ以上の余計なことはすんなよ」
「わかってます」
本当にわかっているのか?フラミンゴは小首を傾げながらジェイミー夫人の邸宅に早足で向かった。
「・・・・・さて、無茶をしがちなのはお兄様と変わらないね、セバスチャン」
「どうして、ぼくの名前」
ガナッシュは服の下に隠していたネックレスを取り出す。すると少年は目を見開いて驚き、ネックレスとガナッシュを交互に見やった。
「その度胸は認めるけれど危ないことをやってはいけないよ。困ったことがあったら俺を頼るといい。今の俺は金眼を持つ名うての商人フラミンゴさんの弟子、ガナッシュだから」
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「ごめんなさいね、頼りにならなくて。その少年はご無事で?」
ジェイミー夫人が白手袋をした手を頬にやる。「ええ、すぐご両親が迎えに来たようでして。こちらこそ騒ぎ立ててしまい、すみません」フラミンゴが小さく頭を下げた。
「それでは例のものでございますが」床の絨毯が透き通って見える指紋一つないガラスのテーブルにフラミンゴは香水の小瓶を並べ始める。小瓶を見たジェイミー夫人は顔を突き出し、上がる口角を抑えられずにいる。
「お気に召すとよろしいのですが」
「そんなに恐縮しないで頂戴。貴方はいつだって最高のものを届けてくれるわ」
「ねぇ、付けてみてもいいかしら?」既に小瓶を手に取っているジェイミー夫人にフラミンゴは頷く。その隣でガナッシュは微笑を湛え動かない。
白い手袋を外し手首にシュッと香水を吹きかけると、ホワイトローズの香りが部屋に広がる。甘いながらも纏わりつくような重さはなく、どこか控えめなのに心をほぐすような、鬱蒼な気分も和らぐような香りに、フラミンゴはふとロゼを思い出した。この香水をロゼが作ったからではない。この香りの象徴がロゼに思えた。
目線だけを横のガナッシュに移す。敢えてホワイトローズを選んだ張本人。満足そうに微笑みジェイミー夫人を見ていた。どこまでがガナッシュの計算なのだろうか。花の香りを知っていたのか、本当にただロゼを驚かせたかっただけなのか、ジェイミー夫人が必ず気に入ると自信があったのか。隣の男が考えることはよくわからない。
「素敵・・・!想像以上よ、フラミンゴさん!」
「お気に召されたようで何よりです」
「これは何の香りなの?」
「ホワイトローズです」
「ホワイトローズ?ウエディングで使われる白いバラのことかしら?」
「そうです。白いバラはウエディング以外で使われることも少ないですし、栽培している者も多くないので中々手に入りません。他にこの香りのフレグランスを持つ貴婦人はそうそうおられないかと」
「そのようなものを私に・・・。」
「多い数は作れませんが、またご入用の際は申しつけください」
フラミンゴがお辞儀をするとジェイミー夫人が白い手袋を翳し執事を呼ぶ。呼ばれた執事はすぐにアタッシュケースを持ってきて夫人に渡した。手慣れた様子でガチャガチャとアタッシュケースを開けると束ねられた紙幣を三束フラミンゴに渡す。
「夫人!こんなにもいただけません!」
「いいの、もらって頂戴。フラミンゴさん、私は貴方のような商人にならどれだけお金を積んでも構わないと思っているわ」
「そんなっ!私はただの行商人であって、それほど価値のあるものを売っているわけでは」
「ものの価値だけを評価しているわけではないの。貴方はウエディングでしか価値を持たなかった白いバラに新たな息吹を注いだの。きっと花を栽培していた人たちも喜んだと思うわ。そのお礼も兼ねて」
「ジェイミー夫人・・・私は」
「無価値のものに付加価値をつける。それが貴方の商人としての目でしょ?まるで魔法使いみたいね」
真っ赤に塗られた唇が弧を描く。ジェイミー夫人は「一度出したお金を戻すことはないわ。受け取って頂戴」フラミンゴの手を取って、その手に直接紙幣の束を乗せた。フラミンゴはそれ以上何も言えず「日々のご厚意、痛み入ります」頭を下げるしかなかった。
「ですがね、夫人。実は、今回ホワイトローズを選んだのは、このガナッシュなのですよ」
「あら、お弟子さんが?ご立派なことね」
「いえ、私は花の価値など知らず、単純に白いバラに惹かれたまでです」
「そこはかとなく心に寄り添ってくれるような親しみがありながら、けれど穢れを知らないその存在はあまりに高貴で触れるのも躊躇ってしまうのに不思議と吸い寄せられる。まるでこの世界に伝わる聖女様のようだと感じました」照れる様子もなく、目を瞑り、ガナッシュは噛みしめるように言葉を紡いだ。「あら、見た目通りのロマンチストなのね。聞いてるこっちが恥ずかしくなるわ」とジェイミー夫人は手で口を覆う。
「貴方は信じてるの?聖女様のお話を」
「はい」
「商人たちは口を揃えてそう言うわね。会ったことがあるのかしら」
「身近に存在を感じるのですよ。不思議と。旅をする者ならでは、といったところでしょうか」
「違いないわね」少女のように肩を小さく揺らしながら笑うジェイミー夫人と同じように笑みを零すガナッシュに、お前は何故公爵夫人の前で堂々とロマンが語れるのだとフラミンゴは呆気に取られていた。上流階級が何かわかっていないのか?わかっていたところで関係ないのか?ついつい口が滑り余計なことまで言い出しかねないガナッシュに不安を覚え、額に滲む汗を夫人に気取られないようにフラミンゴは「長居してしまい申し訳ございません。では、そろそろ」と席を立とうとすると聞き馴染みのある声が微かに聞こえたような気がした。
「・・・何か大きな声がしない?」
「・・・しますね」
執事が夫人の傍を離れ扉に近づく。ガチャと扉を開くと「頼む!今すぐフラミンゴを呼んでくれ!急用なんだ!」くぐもっていた声が今度ははっきりと聞こえる。しかもフラミンゴの名を呼んでいる。
慌てたメイドが「毛むくじゃらの男性が、今すぐフラミンゴさんに会わせてくれと突然」と執事に告げた。フラミンゴは慌てて執事に駆け寄った。「申し訳ない。私の知人だ」この声、毛むくじゃら、あの男に違いない。
部屋を出て玄関まで走る。数名の使用人に取り押さえられているのは「イエティ!なにしてんだ!」商人仲間であり、同じ酒場サンジェルの常連客イエティだった。
「ここはお前が来るようなとこじゃない!今すぐ出ていけ!」
「出ていくさ!けど、フラミンゴ!」
「ここは酒場じゃない!公爵家の邸宅だ!暴れるな!大声を出すな!」
フラミンゴはその場にいる使用人ひとりひとりに頭を下げる。「すまない」「申し訳ない」何度も何度も。公爵家と取引できるようにまでなった今までの努力が全部水の泡だ。二度とここの敷居は跨げないかもしれない。フラミンゴは冷や汗が止まらない。謝らなければ、今すぐ夫人に謝らなければ。今日の売上金も全て返上しなければ。ぐるぐる思考が巡っているフラミンゴなど気にも留めず「フラミンゴ!今すぐ戻れ!」イエティは注意されたにもかかわらず大声を張り上げる。
「イエティ!何度言えば!」
「ロゼが保安官に捕まった!サンジェルの店も差し押さえられちまってる!」
イエティの言葉が理解できなかった。フラミンゴは完全に思考が停止する。「フラミンゴ!今すぐ戻れ!二人を助けてやってくれ!俺らの中でお前が一番顔も利くし、稼ぎがあるのもお前だけだ!お前じゃないと助けてやれねぇ!」フラミンゴはイエティの顔を見るだけで何の反応もできずにいる。赤ら顔がゆっくり青くなっていくだけだ。
フラミンゴの後ろからガナッシュが現れイエティはガナッシュにも声を上げる。「ガナッシュ!今すぐフラミンゴを連れてサンジェルへ戻れ!頼む!」イエティの目に刺さりそうな長い眉毛が揺れ、潤んだ瞳でガナッシュを見る。
「イエティさん、落ち着いてください。如何なる理由であろうとここで騒ぎ立ててはいけません。まず声を抑えてください」
「す、すまねぇ・・。けど、けどよ」
「サンジェルさんがどうしました?ロゼが・・・なんて?」
肩で呼吸しているイエティが固唾を飲み、できるだけ冷静になろうと震える声で「ロゼとサンジェルが保安官に捕まったんだ。何かに違反してるっつって・・・。そんな、そんなわけが」その場に崩れ落ちた。
フラミンゴは茫然としていて動かない。ガナッシュは謝罪の為この場を離れようとしたが「すみません、こちらにフラミンゴさんていらっしゃいます?」緊迫した空気にそぐわない間の抜けた声が響く。
「・・・え?あ、はい。私ですが」
「電報届いてますよ」
配達員は一枚の封筒をフラミンゴに渡す。フラミンゴは力の入らない手で封筒を千切った。中に入っていた一枚の紙。ミラからの電報にはイエティとは逆のことが書かれていた。
トオクヘニゲロ、アンタハネラワレテイル