4.あなたへの花束
サンジェルとミラは焦っていた。あんなに物憂げに熱をもった娘の溜め息を聞いたことがない。カウンターにガナッシュが置いていった酒瓶を置き、テーブルに両肘をついて顔を乗せる。そして時間も忘れてずっとその酒瓶を眺めていたからだ。
「あんた、何か言っておやりよ!」
「言うって何をだよ!?」
「フラミンゴはいつ戻ってくる予定なんだい!?把握してんだろ!?」
「アイツが予定通り戻ってきたことがあったかよ!アイツは上手い話があればすぐそっちに顔出しに行っちまう奴なんだよ!」
「じゃああの状態のロゼを放っておくっていうのかい!?」
「お前、母親なんだから!お前がロゼの悩みを聞いてあげるべきだろ!」
二人は責任を押し付けあった。どっちもロゼを悲しませたくないし、傷つけたくもない。サンジェルに至っては商人の嫁にする気などないのに、それを本人に告げることもできずにいる。
「・・・そうだ、犬!」
「犬?」
「橋向こうにいるローランさんのお宅のベティ!ロゼ、可愛がってたじゃないか!」
「だからなんだよ」
「気を紛らわせるんだよ!犬で!」
「子供か」
「他に何も思いつかないんだよ!あの子は悩んでんじゃない、待ち焦がれてるだけなんだ!時間さえあればガナッシュの面影に浸りたいだけなんだよ!」
「で、犬か?」
「この際なんでもいいんだよ!」
ミラはエプロンを脱ぎくるくる丸めるとサンジェルに押し付ける。店を出て川を隔てた橋の向こうに住んでいるローランの家へ走ろうとすると、丁度橋を渡ろうとする馬が正面に見える。大きな木箱を何個も積んだ荷台を引き、馬に跨る人物は遠目で見ても誰だかわかった。
「ロゼ!ロゼ!」
ミラはすぐ店に戻りロゼを大きな声で呼ぶ。酒瓶からひょいっと顔を出したロゼに「フラミンゴが戻ってきた!」高揚する声で叫ぶとロゼは数秒固まり、さっと立ち上がっては眺めていた酒瓶を慌てて戸棚に戻した。
**
「そのうちロゼまでフラミンゴって呼ばれるようになるかもね」
専用のロゼワインを口にしてガナッシュが言う。「チーク塗ったみたいに頬が赤い」お化粧をしたことのないロゼにチークが何なのかわからなかったが、赤いと指摘された頬を隠すように両手で押さえた。
「ま、ロゼの時点で似たようなもんか」
「名前で遊ばないでください」
包んだ頬の熱が全然冷めない。手を扇のようにしてパタパタ風を送って少しでも熱が下がらないかと期待した。その仕草にガナッシュは笑いを押し殺すように肩を小刻みに上下させている。
「あちぃ!あちぃよサンジェル!外からの風が全然入ってこん!窓開けてないんじゃないか?」
「強い酒飲みすぎだからだろ」
「・・・お前、現実から目を背けてねぇか?」
「・・・全てお前のせいだからなフラミンゴよ。あんな色男、弟子に取りやがって」
サンジェルは俯きながらフラミンゴを睨んだ。「こればっかりは俺も想定外だって」フラミンゴは目を逸らす。誰もいない壁の方を見た。反対側には甘ったるい雰囲気を醸し出している若い二人がいるからだ。
「ロゼは聖女様に会いたい?」
「急にどうしたんですか?」
「聖女様の噂を持って帰ってこれなかったから、ロゼの聖女様の話を逆に聞こうかと思って」
ガナッシュはサーモンマリネを一口、口に運ぶと玉ねぎをシャキシャキさせながらロゼを見る。「会いたい・・・とか、考えたことなかったです」ロゼはクマのイラストが描かれたマグカップを口に付けた。甘いミルクをたっぷり注いだカフェラテで喉を潤す。
「もっともっと遠い存在だと思うんですよね。神聖な」
「そう?」
「ガナッシュさんは違うんですか?・・・あ、信じてないんでしたっけ?」
「いや、そうじゃないけど、俺はもっと身近な人が神格化されてるだけだと思うんだよね」
「身近な人?」
「そーそー。隣でテキーラがぶ飲みして、タコスをポロポロ零しながら食べてるおじさんがさ、商人界隈では金眼の買付人とか言われてんの。ほら、フラミンゴさんって売るのは貴族ばかりを相手してるけど、仕入先は全部マーケットとか個人で細々やってる店とかで爆買いするから、そういうその日暮らししてる人たちからは神様みたいに思われてるんだよね」
「フラミンゴさん、そんなにすごいんだ!」
「あの姿見て、そう思える?」
隣に座るフラミンゴはサンジェルと話しながら、手に持ったトルティーヤに巻かれた中の野菜や挽肉をポロポロと膝に落としている。酒が入って真っ赤になった顔も締まりがなく目も口も垂れている。
「ふふっ、フラミンゴさんが神様かー」
「噂なんてそんなもんだよ。きっと、聖女様も存在するんだろうけど実際にはあんなんかもよ?」
「えー?聖女様が酔っ払い?」
「そう。だから、イメージを崩さないように身を隠してるんだよ」
「違いますよー。世界大戦にならないようにですよー」
「色んな聖女様の話を聞いてきましたけど、ガナッシュさんの話が一番変!」こみ上げる笑いが止まらなくてロゼは肩を大きく上下に揺らす。「変ってなに」ワインを口に運ぶガナッシュもロゼと同じように笑っている。「一番、現実的の間違いでしょ」だから変なのだ。
「本当の聖女様はお酒に囲まれて過ごしていて、いつも芳しい果実の香りがするんだけどさ」
「もういいですってば、聖女様を酒豪みたいに言うのは」
「俺はね、花の香りも悪くないと思うのよ」
ガナッシュはおもむろにズタ袋に手を入れたかと思うと、白いバラが十何本と束ねられている小さなブーケを取り出す。
「はい、これ、ロゼに」
「え?・・・・・・え?」
「受け取ってください」
目の前に差し出された白いバラの花束。気高く咲き誇っているバラは強すぎない甘い香りを放ち、手を出すのを躊躇うほど気品に溢れている。
「ウエディングブーケです」
「えええええっ!?」
「バカ、仕事用だ」
フラミンゴが膝の上に落ちている小さく刻まれたトマトをガナッシュに投げた。「なんですぐネタばらしするんですか。もっと面白い反応が見れたかもしれないのに」ガナッシュは腕に付いたトマトを指で摘まんでテーブルに置く。
「おっかしいと思ったんだよなー。形悪くなって売れなくなった花でいいって、花びらだけでも構わんっつったのに、ブーケが一つあるからよ」
「仕事用に花びらだけ渡すの味気なくないですか?」
「だからといって冗談の質が悪すぎだ」
「冗談じゃなければ?」
「なお悪い」
息することも忘れたロゼは両手で口を覆い固まったまま動けずにいる。ガナッシュは視線をフラミンゴからロゼに移して「ごめん、これ仕事用。もう少し高級なフレグランスが欲しいって注文があって」仕事の説明も耳から耳へ通り過ぎていく。
「ロゼ?」
「・・・・・。」
「ローゼ」
「・・・・・。」
「ロゼさん?おーい」
ガナッシュが手に持ったブーケを左右に振る。視点が揺れたことで我に返ったロゼは「こ、これ!なんですか!?」さっきの説明を全く聞いてなかった。
「このブーケは俺からのプレゼントなんだけど」
「俺が稼いだ金で買ったんだろ」
「買ったの俺ですから。・・・で、このブーケとは別にバラの花びらがあるんだけど、それでフレグランスを作ってほしいって依頼がきた」
「バラの・・・香り」
「ロゼの作るのは殆どティー系なんだってね。あれもすごく気に入ってるみたいなんだけどご夫人がフローラル系の甘い香りも欲しいっていうもんだから」
「バラなんて高価なもの・・・」
「大丈夫、フラミンゴさんのお金だから」
「んで、ホワイトローズ買う阿呆がどこにいんだよ。あまり出回ってないんだぞ。手に入りやすいのは人気の赤い方だってのに」
「ロゼは赤っぽくないんですよ」
「依頼を受けたのはジェイミー夫人だ」
フラミンゴはテキーラをクイッと引っかけ「いいんだぜ?金がかかろうがロゼが喜んでくれりゃあな。けどよ、他の男にされるってのはよお」腕組みをしてサンジェルを見上げると「なあ?」同意を求めた。サンジェルはフラミンゴを睨むだけで何も言わない。
「精一杯作ります!頑張ります!」
「そのブーケはロゼのだから、自分の分も作ったらいいよ」
「そんな!自分用だなんて、ダメです!」
「俺からロゼへのプレゼントなのに?」
「え・・・」
「そゆこと」
ニコッとロゼに笑いかけたガナッシュは残りのサーモンマリネを平らげ、ワインが入ったグラスを持って立ち上がると「説教されにきました」と席を移動しフラミンゴの隣、サンジェルの前に座りなおした。「よーしよし、よくわかってるじゃねぇか。たっぷり説教してやるから逃げんなよ」フラミンゴはガナッシュの肩を抱きサンジェルにウォッカを出すように指示する。
「俺、殺されます?」
ガナッシュの問いになんの返事もしないサンジェルは無言のままショットグラスにウォッカを注いで表面に火を点けた。ああ、死ぬな俺。というガナッシュの漏れた声は外から入る風の音に流されていく。
**
翌朝、酒場サンジェルには死体のように伸びている二人の姿があった。うつ伏せのガナッシュはピクリとも動かず、仰向けのフラミンゴは何十頭ものブタが一斉に鳴いているような鼾をかいている。ロゼはガナッシュに近づき、しゃがみ込んではツンツンとガナッシュの肩を突く。・・・起きない。今度は頭を突いてみた。まだ起きない。寝てるのをいいことに、どこをツンツン突いたら起きるのか全身あちこちツンツンしていると、頬を突いたところで手を取られた。
「え、あっ」
ガナッシュは反応しただけでまだ起きてない。「あ、あの、ガナッシュさん、大丈夫ですか?」呼びかけても返事はない。「ガナッシュさん」掴まれた手をブンブン振ってみる。反応すらない。「ガナッシュさ・・・」耳元で大きく呼んでみようと顔を近づけるとばっちり目が合った。
「お、起きてる!!」
「・・・・・・はい」
喉が焼けて声が枯れている。ゴホゴホッとガナッシュは咳き込んだ。「お水持ってきました。・・・手を」離してくれないとテーブルに置いたグラスが取れない。「珊瑚水です。飲みやすいと思います」必死に手を伸ばすが取れない。
「・・・・・・おこして」
「はい!?」
起こす!?どうやって!?いや、わかっている。サンジェルが酔った客を肩で支えて運んでる姿は何度も見ている。だが、もちろんロゼはやったことがない。非力だからでもあるが、身体が密着するからだ。「サ、サンジェルさんを!」辺りを見回してもサンジェルの姿はない。まだサンジェルも寝てる。
「・・・いーや、ごめん、悪ふざけ」
ガナッシュは重たそうにうつ伏せから仰向けに寝がえり、はあ、と大きく息を吐くと身体を横にしてゆっくり上半身を起こす。倒れてしまわないようにロゼも支えるが、胡坐をかいて背中を丸めているガナッシュはゆらゆら揺れていて不安定だ。支えている手を離せない。「だ、大丈夫・・ですか?」弱弱しく訊ねるロゼにガナッシュは小さく「はい」と返事する。
「ロゼ・・・バラの、においする」
「依頼の分をさっき仕込んできました。とってもいい香りで・・・。あの、ありがとうございました。私、花を貰うなんて初めてで」
「うん」
「で、でも、どうして、ガナッシュさんは・・・私に色々」
鼓動が大きくなる。聞きたいような、聞きたくないような。「・・・・いえ、なんでもないです」やっぱりまだ、聞きたくなかった。
ここは酒場。お酒が入ればみんな気持ちが大きくなるし、口も緩むし、言ったことを忘れている。ここはそういう場所。本当か嘘かわからない噂話に花を咲かせて夢とロマンを語り明日への希望を持つ場所。
「水・・・くれる?」
頭を垂らしたままガナッシュが言う。ロゼはゆっくりガナッシュを支えている手を離し、テーブルに用意していたグラスを手に取る。そしてまたガナッシュの身体を支えて「どうぞ」とグラスを渡すとガナッシュは痛む喉をこらえながらゆっくり水を流し込んでいく。
「ロゼがさ、美味しそうって言ったから」
「ガナッシュさんを?」
「そう。・・・最初は、やり返すだけのつもりだった。けど、すぐロゼのことを考える」
「え!?」
「それっぽいものを見つけると、すぐロゼの顔を思い出すんだよね。持って帰ったらどういう反応するのか考えると楽しくて、想像通りの反応してくれるのが嬉しくて。フラミンゴさんが言ってたことがわかったよ。全部、ここへ持って帰ってきたくなるんだ。・・・ま、昨夜はこってり絞られたけどね」
「すぐぶっ飛んで、あまり覚えてないけど」小さく笑ったガナッシュはゆっくり身体を倒し、また寝そべった。「本当に、大丈夫なんですか?」顔を覗き込むと「すぐ飛んだおかげでね。だーいじょうぶ。あと、ロゼの薬は効くからさ」ガナッシュは目を閉じながら笑みを携えている。
「あとでいつものちょうだい。ミルクの」
「はい。あの、ドロップもありますよ。喉焼けて痛いですよね」
「ドロップ?」
「ハーブとはちみつとありますけど、はちみつの方が甘くて美味しいですよ。喉の炎症に効きますし。でも、寝転びながら舐めないでください。危ないので」
「俺は大人ですよ」
「ガナッシュさん、絶対そのまま寝ますよ。危ないです」
ロゼは両手を差し出す。さっきは起こそうとしなかったのに。それを見てガナッシュは「身体重いんだよ。ダメ?」甘えた声を出した。「眠らなければいいですけど」「寝ないよ、おしゃべりしてよう」ガナッシュが起きそうにないので、ロゼはポケットからハニードロップを取り出して渋々渡した。ガナッシュはコロンとドロップを口に入れ舌で転がす。
「さて、ロゼの好きな聖女様の話でもしましょうか。むかーしむかし、あるところに原因不明の病を患った王子様がいて」
「それ知ってます」
「そう?なら、むかーしむかし、あるところの泉が瘴気を放ち街を」
「それも知ってます」
「さすが、大方の話は知ってるんだ。じゃあ」
「もういいですよ。ゴールデンミルク作ってきますね。飴舐めたまま眠らないでくださいよ」
饒舌で適当で、でも相手を楽しませようとするガナッシュの姿はまるでフラミンゴが乗り移ったようだった。