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この世界には聖女様がいるらしい  作者: やまとうみ
第一章 酒場サンジェル
1/87

1.ガナッシュとは


この世界には聖女様がいるらしい。


淀んだ泉を浄化させたとか、腐敗した土地に緑をもたらしたとか、難病に苦しむ王子様を治したとか。

酒場で働くロゼにとって、お客の噂話を聞くことが唯一の娯楽だった。

此処に集まるのは殆どが商人で、各国を飛び回っては商品と一緒に土産話も持ってくる。

ロゼはその中でも聖女様の話が大好きで、この世界のどこかにいる聖女様の活躍を聞くだけで幸せな気分になった。


「いやー、やっぱり聖女様ってのはすごいねー」

「えっ!?今度はどんなすごいことをしたの!?」

「干ばつで被害を受けている農村に恵みの雨を降らしたんだそうな」

「わー!!すごーい!!」

「そこの農民たちは裸になって外に飛び出て喜び踊ったと」


赤ら顔の男がショットグラスに入った酒をクイッと飲む。焼けるような喉の痛みをグッと堪え「カァーッ、仕事後の一杯はたまらんね」空になったショットグラスを差し出すのでロゼはお代わりのテキーラを注いだ。


「フラミンゴさん。食事はどうする?」

「ロゼのおすすめで」

「いっつもそればっかり」

「自分で決めるのは苦手なんだ」

「商人なのに?」

「仕事が終わったら全て解放されたいのよ」


赤ら顔のフラミンゴは、だらしなく足を投げ出し、椅子からひっくり返りそうなほど背もたれに凭れ掛かると大きく身体を伸ばした。「ちょっと、フラミンゴさん」見たことのない客が顔にぶつかりそうになったフラミンゴの腕を避ける。


「空きっ腹に強い酒なんか飲んだら身体に悪いですよ」

「この刺激が生きてるって感じがしてたまらんのよ。若人にはわからんだろうな」


見たことのない客は呆れたように「はあ」と大きく溜め息をつくとフラミンゴの隣の席に座った。


「いらっしゃいませ!フラミンゴさんのご友人ですか?」

「友人といいますか・・・。」

「いんや。弟子をとった」

「お弟子さん?」

「ネラルク大公国のマーケットで会ったんだ。将来商人になりたいから弟子にしてくれってな」


フラミンゴは照れくさそうに「俺も柄にないことしてんなーとは思ってんのよ。けどよ、憧れるだろ?弟子をもつって」鼻の下を指でポリポリ搔いた。

フラミンゴの隣に座る客はようやく頭に被っていたフードを外しロゼの顔を見た。商人としてはあまりにもったいない端整な顔立ちで「同じものを」注文する声は、しゃがれ声のフラミンゴとは正反対の高くもなく低くもない温かみを感じる柔らかい声だった。


「ローゼ、あからさまに見惚れるんじゃないよ」

「えっ!?ご、ごめんなさい!」

「ロゼも年頃の女の子なんだなー。毎度毎度俺の話をニコニコしながら聞いてるロゼでも美男子には弱いかー」

「ちょっと、やめてよ!フラミンゴさん!」


フラミンゴと同じように顔を赤くしたロゼは首を左右に振る。本人の前でそんなこと言わないでいいのに。酒場でおじさんたちの相手ばかりしていたロゼにとって青年、それも美男子を相手にするのは初めてのことだった。

ロゼは赤くなった顔を誤魔化すように酒の準備をする。フラミンゴと同じようにショットグラスにテキーラを注いだ。


「どうぞ」

「ありがとう」


だが男はショットグラスを手にしようとしない。酒が欲しかったのではないのだろうか。ロゼはゆっくり視線を上げて、また端整な男の顔を見る。男はショットグラスと睨めっこしていたが自分に注がれる視線に気づいたのかロゼを見た。


「ロゼです。初めまして」

「・・・・ガナッシュです」

「・・・・美味しそうな名前ですね」

「甘ったるい、かな」


商人は本名で仕事をすることが殆どないので周りが付けた二つ名か自分が付けたコードネームで呼ぶことが多い。酒好きのフラミンゴはいつも顔が赤いので自然とそう呼ばれていた。

好きな食べ物を自分のコードネームにするなんて面白い。しかも甘いチョコレートだ。女性ならあり得そうだがロゼの目の前にいるのは、さっきからテキーラが注がれたショットグラスと睨めっこしている綺麗な顔をしている男性。


睨めっこをやめたガナッシュはショットグラスを口元に持っていくと小さくにおいを嗅ぐ。それと同時に顔を歪ませた。「苦手でしたら無理しない方がいいですよ」その言葉にムッとしたガナッシュは睨んでいた目をそのままにロゼを見ると、勢いよくテキーラを口にする。喉から胃まで下りていく熱に悶えるように身体を丸めた。


「だ、大丈夫ですか?これ、ライムです。齧ってください」

「カッカッカ!慣れもせん強い酒を急に飲んだら意識ぶっ飛ぶぜ?」

「慣れてない?ガナッシュさん、お酒ダメだったの!?」


軽い呼吸困難に陥っているガナッシュに返事はない。差し出されたライムを齧り、必死に果汁を吸っていた。息切れを起こしながらもやっと呼吸できるようになったガナッシュは丸めた身体を起こすことなくカウンターテーブルに突っ伏す。


「ガナッシュさん!?大丈夫ですか!?」

「ほっとけ、ほっとけ。商人は酒に強くならねぇと逆に客に食われちまうからな。訓練の一つだわ」

「もー、甘党のガナッシュさんにお酒は酷よ」


ロゼはハンカチを水で濡らしガナッシュの顔に当てた。小さく身じろぎをしてロゼを見上げたガナッシュの目は、さっきまでショットグラスを睨んでいたあの力強さを失い、瞼が重たそうに乗っていた。


「あーらら、潰れちまったかい。フラミンゴよ、客に絡むのやめな」

「違う違う、俺の弟子よ。ここサンジェルの洗礼ってやつだ」

「お前が勝手にやってることをウチの定番みたいに言わないでくれ」


酒場のオーナーであり、店の名前にもなっているサンジェルがカウンターに立つ。「ロゼ、彼に薬渡してやりな。代金はフラミンゴから取るからさ」サンジェルがロゼに目配せする後ろで「ロゼ!高額な薬持ってくるんじゃねぇぞ!今回の儲けが飛んじまう!」さっきまでほろ酔い気分だったフラミンゴが我に返ったかのように真面目な顔で訴えた。


カウンター奥の仕切られた部屋は厨房になっており、そこでサンジェルの妻であるミラが慣れた手つきで調理している。「あのバカでかい声。フラミンゴだね?」声だけで判断してフラミンゴの好きなタコスを作っている。強い酒を好む客の多くが辛いものを好む。酒場で働いているのに酒を飲まないロゼにはその理由がよくわからなかった。


「フラミンゴさん、お弟子さんとったんだって。そして潰しちゃったの」

「バカだね~、フラミンゴといい、その弟子といい。男は本当にバカばっか」


と言いつつも嬉しそうなミラを見て、そんなバカな男たちの世話をやくのがミラは楽しいのだろうとロゼは思う。


肉を焼いているミラの隣に立ち、小鍋にココナッツミルクとターメリック、ブラックペッパーとジンジャー、シナモンを入れてかき混ぜた。商人が集まる酒場には各国から様々なものが持ち込まれる。酒代の代わりに商人たちは自らが仕入れてきたものを置いていき、それをロゼが手を加えて商品となったものを商人が買い取る。それが酒場サンジェルの常識となっていた。

材料を入れた小鍋を火にかけ温める。その際にココナッツシュガーをいつもの三倍ほど入れると「そんなに入れるのかい?」ミラが驚いた顔で小鍋を覗き込む。


「甘党らしいの。名前もガナッシュっていうくらい」

「まーた変な客が増えたもんだね」


と言いつつも嬉しそうなミラ。一癖二癖ある方が張り合いもあるだろう。


小鍋を火から下ろしてマグカップに注ぐ。酒場に似合わないクマのイラストが描かれたマグカップは、昔フラミンゴがロゼのために買ってきたもの。今でも大事に使っている。

マグカップとミラから預かったタコスをトレイに乗せ、ロゼはカウンターに戻る。フラミンゴとサンジェルが談笑している隣で、ガナッシュは相変わらずテーブルに突っ伏していた。


「フラミンゴさん、はいこれ。ミラさんから」

「さすがミラ。わかってるなー」

「あとこれ、ガナッシュさんに」


クマのイラストが描かれたマグカップを見たフラミンゴは「それ、ロゼのだろ?」不機嫌な顔で言う。幼いロゼに買ってきてあげたマグカップを簡単に他の男に使わせようとすることにフラミンゴは不満があるらしい。


「これ以外のマグカップ持ってないんだもん」

「しょうがねぇなぁ。次、客用の買ってくるわ」


そう言うなりミラお手製のタコスを口に頬張った。フラミンゴの隣でテーブルに突っ伏すガナッシュに「ガナッシュさん、起きてください。少しでいいから飲んでください」と声をかけ、肩を優しく叩いた。ガナッシュはさっきと同じように小さく身じろぎをしてロゼを見上げた。


「ゴールデンミルクです。他のお客さんにも好評なんですよ?」

「・・・・・・。」

「起きてます?」

「・・・・・・起きてる。・・・・・ありがとう」


テーブルに肘をつき、重たそうな頭をゆっくり上げてロゼの差し出すマグカップを受け取った。ショットグラスを前にしたときとは全く違って睨めっこすることもなくすぐ口元に持っていく。一口二口・・・三口、いや一気飲みする勢いでゴクゴク飲むので「ゆ、ゆっくり飲んでください!」焦ったロゼがガナッシュを止めた。


「・・・・ゆっくり飲むもの?」

「え?そういうわけではないですが、ゆっくりの方がいいのかなって」

「美味しかったから・・・つい」


ロゼはまた顔を赤くする。美味しいなんて、他のお客にも言われるのに美男子に言われると高揚感が違う。フラミンゴに見られたくなくてロゼは身体半分を前に出しフラミンゴに背を向けた。


「これ、なに?」

「ターメリックとミルクで作ったゴールデンミルクです。二日酔いに効くそうです。私はお酒飲まないですけど、あんまり調子が良くないときにも飲みます。早く元気になれるお薬なんです」

「お酒飲まないんだ」

「え、そこですか?」

「酒場にいて、酒飲まないなんて思わないでしょ」


頬杖をつき蕩けそうな目で見つめるガナッシュが小さく笑う。ずっと仏頂面だったガナッシュが酒に酔ってか顔も態度も緩み、ロゼは酒も飲んでないのに自分もふわふわとした気分になってくる。


「おいガナッシュ、ロゼに酒飲ませるんじゃねぇぞ。酒に酔って店に出られなくなったら俺ら全員の楽しみがなくなっちまうんだからな」


隣に座るフラミンゴが話に割って入る。「あと、独占は禁止な。ロゼと話がしたけりゃ土産話を持ってこなきゃならねぇ」得意気に顎を突き出した。


「土産話?」

「ロゼはな、各国を回る商人や旅人の話を聞くのが好きなんだ。中でもダントツで好きなのが聖女様の話」

「聖女様の話?あの誰も目にしたことのない想像上の人物?」

「夢がないねぇ、ガナッシュ。聖女様は実際にいるんだよ」

「そうです!いるんです!」


顔を前のめりにさせるフラミンゴとロゼから逃げるようにガナッシュは身体を仰け反らせた。


「いや・・・色々話には聞くけど、実際に聖女を見たことがある人いないでしょ」

「いるけど姿は見せらんねぇのよ。王族、大富豪、宗教家、その他諸々の利権を持ちたい奴らの手に渡るわけにはいかないからな」

「そうです!世界大戦に発展してしまうのです!」

「・・・・・フラミンゴさん、話盛りすぎ」

「盛ってるのは俺じゃねぇ、世間だ」


「そうだろ?サンジェル?」フラミンゴは同意を求めるようにサンジェルの前にショットグラスを突き出した。「お前も俗世間の一人だろうが」サンジェルはきっぱりと言う。


「ガナッシュさんは聖女様なんていないと思ってます?」

「いないとは思ってないけど・・・大分中身が脚色されてるんじゃないかとは思う」

「受け取り方一つだろ?例えば、超絶美人のお姫様みたいな娘が酒場で働いてるって話を俺が広めたら一般客も一目見たくて酒場に寄って来る。だけど、その客から見ればロゼはお姫様でもなんでもなく普通の娘だった。けど、俺にとってはお姫様みたいなもんなんだよ。それって嘘か?脚色か?判断するのは世間の目だろうが俺にとっては事実なんだぜ?」


フラミンゴの例え話を真面目な顔で聞いていたガナッシュが「・・・確かに」納得したように頷く。「変な例えで私を使わないでよ」恥ずかしくなってロゼは顔を背けた。


「まーつまりだな、事実無根であれば噂ってのは自然と消えていくものなんだ。だが聖女様の話は消えることはない。つーことは、聖女様の起こす奇跡は世界のどこかで本当に起こってるんだろうよ」

「・・・なるほど」

「お前も商人目指してんだったら多方面から物事見なきゃ食われちまうぜ。世の中には善も悪も食らう怪物が存在するんだからよ」

「え?それどんなお話?」


顔を背けてたロゼがフラミンゴに振り向く。目を輝かせてその話の続きを聞かせてほしいと訴える。フラミンゴはカッカッカと大きく笑い「ロゼよ、お前にはまだ早い。人間の本質なんざ知らない方が幸せなんだ」残っていたタコスを平らげた。


「さーてと、仕入れた荷物でも降ろしてくるか。サンジェル、倉庫開けてくれ」

「あ、俺も」

「お前はいい。酒に潰れた奴なんぞ使えねぇ。せめてロゼが寂しがらないように俺がいない間の話し相手でもしてな」


フラミンゴに続いて席を立ったガナッシュはその場を動くこともなく、酒場を出ていくフラミンゴとサンジェルの後ろ姿を眺めるだけだった。「あの・・・よければ少し食べますか?」ロゼが声をかけると「・・・いや、いい」ガナッシュは断り、また席に座った。


「フラミンゴさん、荒っぽい喋り方しますけど気さくでいい人ですよ」

「ああ、わかってるよ。じゃなきゃ俺なんか弟子にしない」

「・・・どうして商人になりたかったのですか?ガナッシュさんなら、もっと他にもいい仕事が」

「世界を旅したかった・・・っていうのが一番かな。あと、人を探してるんだ」

「人?」

「商人って仕事をしてるとさ、物だけじゃなくて情報も集まるんだよ。出回っている多くの情報を精査して真実に辿り着く。時には上手に嘘もつく。その逞しい生き方に憧れて・・・それと同時に俺が探してる人に会えると思って」

「誰を探してるんですか?私も他のお客さんに聞いてみますよ?」


ロゼは何気なく聞いてみた。しかしガナッシュは人差し指を口に当てて「内緒。自分の力で探し出したいから」小さく笑った。ガナッシュが微笑むと反射的に顔が熱くなる。ロゼはガナッシュから目が離せなかった。


「これ、美味しかった。また飲みにくるよ。ゴールデンミルクだっけ?」

「あ、はい!そうです!・・・そうだ!今度はお菓子も一緒に用意しておきますね」

「お菓子?」

「ガナッシュさん、甘党ですよね?」


あのゴールデンミルクには通常の三倍砂糖を入れているとロゼは言えない。「名前だって甘くて美味しそうですもの」チョコレートを頬張った感覚を思い出したかのように顔が緩んだロゼを見て「・・・あぁ、それでか」ガナッシュが呟く。


「甘党なのは間違いないけど、ガナッシュって名前はフラミンゴさんにつけてもらった」

「え?」

「ロゼがそう勘違いしてくれてよかったな。じゃないとカッコつかない」


美男子が手にしてはカッコつかないクマのイラストが入ったマグカップを持ち「ごちそうさま」ロゼの目の前にコトと置くと「うおーい、行くぞー」荷物を降ろし終わったフラミンゴがドアから顔を覗かせてガナッシュを呼ぶ。


「行かなきゃ。どうもありがとう」

「いえいえ!こちらこそ!」

「今度はちゃんとした商人らしく、仕入れた品と土産話持ってくるから」

「楽しみにしてます!!」


ガナッシュは外していたフードを被り店を出る。出入口でサンジェルとすれ違い「気ぃつけてな」いつもの見送りをするとサンジェルはカウンターに戻ってきた。


「フラミンゴの奴、また太客ができたみたいだ。大量のウォッカ置いてったぞ。ロゼによろしくってさ」

「・・・・・。」

「ロゼ?」

「・・・・ねぇ、サンジェルさん。ガナッシュってあの甘くて美味しいチョコレートよね?」

「それが?」

「勘違いって・・・なに?」


ロゼは誰もいない店の出入口をずっと眺めている。そこに残像が残っているかのように。「ああ、彼のことか」サンジェルはフラミンゴが去った席の片付けをしながら言った。


「ガナッシュは“のろま”って意味だ」


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