暗闇の家
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくん、無事でなによりだ。
え? 災害に遭った記憶はない。
いやいや、この暑さだよ。君、暑さにはめっぽう弱いと、以前に話していただろう? 冬とは思えないカンカン照りだし、参っているんじゃないかと思ってね。でもその調子なら、無用の心配だったかな?
――ん? どうして強い日照りのことを、「かんかん照り」というのか?
ああ、それね。どうも「かんかん」という言葉は、「干す干す」から来ているという説があるんだよ。
熱いと湯気が出るだろう? 気温が上がれば、物も乾きやすい傾向が出てくる。そして干されたものは、往々にして固さが増す。だから熱をもつもののみならず、固さを表わすものとして、「かんかん」は使われるらしいんだ。
で、この「かんかん」をめぐって、私も昔話を聞いたことがあってね。少し、耳に入れておかないかい?
むかしむかし。
私の住んでいる地元には、「暗闇の家」と呼ばれる家屋が存在したそうだ。
それは一軒にのみ与えられた名前じゃない。とあるご隠居さんが持つ家々のうち、細工がほどこされたものに関して、人々が呼び始めたあだ名なのだとか。
そのご隠居さんは、若いころに一大財産を築いたという話だが、住まいは周りの皆と大差ない、かやぶきの家に住んでいた。代わりに、村はずれへ定期的に小屋を設けていたんだ。
それこそが、「暗闇の家」と呼ばれるものだった。
名前の由来となっている細工というのは、屋根のてっぺんから掛けられる、大きな黒い布だ。
小屋が完成すると、大工たちはそのまま屋根に数か所、釘の頭が飛び出るように打ち込み、そこへ布の貫き留め、家を包み込みながら生地を下ろしていく。一枚で小屋全体を覆えてしまうほどの、大きなものだ。
やがて地面に布の端々が届くと、これもまた杭で打ち付けて固定。ご隠居本人を含めた、誰もその小屋へ近づくことなく、気が付いたときには撤去されているという、奇妙なものだ。
撤去されるまでの期間は、一定じゃない。ほんの三日でおさらばするときもあれば、三カ月も布を張りっぱなしということもあった。そうして小屋がなくなったあと、ご隠居はまた不定期に新しい小屋の建築をはじめ、布をかぶせていくんだ。
これが、ご隠居がここに住まって以来、十数年に及んで続いていることだった。
それを、時の子供たちが黙っているはずがなく。何度か、布の向こうへ隠された「暗闇の家」を探ろうと、動いたことがあったらしい。
暗闇の家に見張りのたぐいはついていなかったが、代わりに打ち込まれた杭が、とてつもない頑丈さを誇っていた。素手はおろか、道具の力を借りたとしても、抜いたり壊したりすることができない。
ひとつの杭と杭の間は、わずかに三寸(約10センチ)。体を滑り込ませるには、いささか狭すぎた。ならばと、刃物で布を裂こうとする子もいたが、それもすぐに断念せざるを得なくなる。
刃を当てたとたん、持ち手が猛烈に熱くなり、握れなくなってしまうんだ。じかに手で握っていた子の中には、あまりの熱に皮膚がはがれてしまった子もいたとか。
しかしその危うさもまた、子供たちの好奇心をかきたてる一助になっていったそうなんだ。
やがて子供たちの願いが叶ったのは、ある夏の日のこと。
その晩は嵐がやってきて、夜が明けるまでまともに寝付けないほど、大きな音が周囲を満たしていた。
やがて明け方、暗闇の家にほど近い家に住む子供のひとりが、寝起きに外の厠へ向かう。すでに雨はやみ、風がやや強いだけでほとんど嵐は過ぎ去ったとみていいが、それ以上に子供の目を引き付けたのは、風になびく黒い布だった。
暗闇の家の一方。そこをいつも隠している布の杭が、外れていることの証だった。
用を足しても、まだ風は止まない。
またとない好機とばかりに、子供は小屋へ駆けていくと、はためく布のすき間を縫って、その内側へと滑り込んだ。
うすうす予想はしていたものの、むわっとした熱気が、たちまち子供の身体を包み込む。風の止まないうちに手早く済ませようと、自分の住まう家とほぼ同じ構造と見受けられる「暗闇の家」へ子供は目を向ける。
縁側からちらりと中をのぞいてみると、わずかに開いた障子のすき間から、緑色をたたえる畳。そしてその一部に横たわる、ピンク色のものが目についた。
桃の色に似ているが、つんとさび付いた鉄の臭いが漂ってくる。いったい何を転がしているのだろうと、子供が縁側にひざを乗せて、なおのぞき込もうとしたときだった。
ぐらりと、家全体が大きく揺れた。更に、縁側へ乗せたひざは、着ていたあわせの裾と一緒に白い煙を出し始めたんだ。慌ててどかしたときには、裾に大きな穴が開き、ひざがしらには水膨れができている。
ぐらつく家の方はというと、中から漏れ出す鉄の臭いが、あっという間に肉を焼いた匂いへと変化する。何かタレでもつけているのか、香ばしさが鼻を引くつかせてきた。
やがて、家全体がふっと地面へ別れを告げる。黒い布とともに、浮かんでいく暗闇の家は、唐突に「ぐしゃり」と音を立てて、屋根の形を失ってしまった。
続いて壁、柱、土台、それを覆う黒い布さえも。空から響く大きな咀嚼音とともに、吸い込まれるようにして姿が見えなくなってしまう。ぽかんと子供がたたずむそこは、初めから何もなかったかのような、荒れた地面が広がるばかりだったとか。
暗闇の家。それは虚空に潜む何かへ捧げる料理の、こしらえをする場所だったのだろうね。こもった熱で「かんかん」にすることでさ。