第五話 桃姫は行く
だが、犬も猿もキジも動揺していない。静かな眼差しで、冷静を保つ様子に、妻も怪訝そうに表情を変え、そして笑声を止めた。
「婆さんよ、すまん。筋肉が分厚すぎて、針が刺さらんかったらしい」
「は?」
からりと落ちるかんざし。
その針先は僅かに曲がっていた。
桃姫の首は赤くはなっているものの、血は出ておらず、刺さった痕跡はない。
「い、いいい意味がわからないんだけど! その無駄に発達した筋肉を落としてから来なさいよ!」
慌てふためく妻に、申し訳なさそうな表情で声をかける。
「そんなこと、いまになって言われてもなぁ。なあ、猿?」
「我に振るな」
全く心配する素振りもない猿。
「わしゃ、初めてこの世界に来て、女の子に産まれて(マッチョで)よかったーって思ったよ」
「そりゃ、よかったね。桃ちゃん」
「そだねー、Princess!」
ハハハハハハハ!
お互いに笑い合う桃姫達。
すると、妻は落ちたかんざしを拾い上げる。懐から小刀を取り出し、左右に振った。
「諦めない! 私は諦めない!」
少しでも傷をつけようと必死になる。それは可哀想に思えるぐらい無謀だった。
「婆さん、もうやめよう」
「嫌です、嫌です! 私は最期まで諦めない!」
「えー……じゃあ、わざと怪我したら満足する?」
「おい、やめろ!」
桃姫の言葉に焦り、猿は叫ぶ。
嫌な予感がするのか、猿はキジに「小刀を奪い取れ!」と指示をするが、その前に桃姫はわざと切られた。切られた腕の傷は、薄皮一枚で深くはなく、うっすらと血が滲む程度。
「ありがとう、爺様!」
「お?」
妻はその傷にかんざしを突き刺した。
「痛い!」
痛みで思い切り振り払うと、妻は簡単に吹っ飛んだ。それは二階の議席まで一直線に。
慌てて、猿が桃姫の腕に刺さるそのかんざしを抜く。
「大丈夫か⁉︎ 体に異変は?」
「うぅ、熱い……刺されたところが熱いんじゃ……!」
腕を押さえる。だが、その異様な熱は消えない。
「ハハハハハ! ザマァ、ざまあみろ!」
妻は高らかに笑った。椅子から顔を覗かせ、勝利を確認したかのように満面の笑みで。
だが、彼女には、転がった眼鏡を拾い上げる力はなかった。
体を動かすこともままならないようである。押さえる腕は赤黒く変色し、額からは血が流れていた。
「はは、はは……やった。これで人間の実験が、でき、できる……」
広がった瞳孔が、ぐりんと上へ向いた。
「息絶えちゃったわね」キジはそれを見て、桃姫のところまで飛ぶ。
降りたった頃には、桃姫もまた床に転がり、苦しんでいた。その様子を見て、キジは首を大きく横に倒した。
「どうしたの?」
「かんざしに仕込まれた薬が……体内に……」
「それで?」
「『それで?』じゃあないわッ! 洗脳の薬だぞ⁉︎ このままじゃあ嬢ちゃんが……ッ」
苦しむ桃姫の代わりに、猿が怒る。そんな悠長な態度をとるんじゃないと。一刻を争うのだと。
だが、やはりキジは首を反対に倒した。
「お嬢からきびだんごを貰ったんじゃないの?」
「きびだんご……?」
桃姫は言葉を繰り返した。
そういえば腰に付けたきびだんごを、一度も動物に与えてないな、と。
すると、今度は座っている犬が開口した。
「もしかして、一人でムシャムシャきびだんごを食べてたのが、よかったんじゃね?」
「ああ、そういえば食べた食べた」
桃姫は記憶が鮮明に甦り、犬の言葉を肯定した。この街に来た時に、ビルを眺めながら食べた記憶が確かにある。
「俺様、いま思い出したんだけど、そのきびだんごは洗脳を解く解毒薬だよね」
「猿ちゃんは知らなかったの?」
犬からその事実を聞き、猿はキジの問いに首を縦に振る。そして、怠そうに議席に座った。
「お嬢の……馬鹿野郎……前もって教えてくれ、いつもいつもいつも……」
「いつも」という言葉を繰り返し呟き、目元を片手で覆うと天を仰ぐ。
その姿は、燃え尽きたかのように力が入らなかった。
「そんなに衝撃的かしら?」キジは首を傾げ、真っ白のように見える猿の肩を嘴で突いた。
「とりあえず、わしはきびだんごを食ってたから問題がないっちゅーわけじゃな」
「ザッツライト!」
片目を閉じる犬。
そして、いそいそと動き出す犬達。
「終わったのか、これで」
議席に座って休む桃姫。まるで先程の異変はなかったかのように。思い込みとは、とんでもない力を発揮するものである。
右へ、左へと忙しそうに動き回る動物を見ては、溜息を吐いた。
「婆さんを救うこともできないまま、ゲームオーバー。転生して、本当にこれでよかったのか……なんのために転生をしたのか、わからんのぅ」
そこになにか風呂敷を足に掴んだまま、キジがやって来た。
「動物達を洗脳から解放した。それは悪いことなの?」
「いや、そういうわけじゃあないが」
「なら、いいじゃない。胸を張りなさいよ、胸を。きびだんごで洗脳が解けた動物達は自由を得たわ。みんな、自然へ帰っていってる」
洗脳が解けた熊やライオン、虎など、おっかない動物達が、犬に誘導されて国会議事堂を後にする。その背中を見ていると、それはそれでよかったのだと心の底から思う。
「人間の方は……まー総理大臣を倒しちゃったけど、人間は馬鹿じゃないんだから、なんとかやっていくでしょ」
「え? わし、総理大臣を倒しちゃったの? それって凄くヤバくね?」
きょとんとしたが、すぐに頭が追いつき、事の重大さに気づき始める。背中を伝う嫌な汗。
「まあ、追われるでしょうね」
「謀反だから仕方がないな」
キジの言葉に続く猿の声。
嗚呼、終わった。
もう、人生終わった。
生後一日目にて、人生が終わった。
「わし、また転生してくる! 次はまともに暮らすんじゃい!」
「さあ、お宝はいただいたし、嬢ちゃん、帰るぜ!」
猿は大きな風呂敷を背負った。
「待てえええええ! いま、お宝っつったよね? お宝っつったよね?」
そこに誘導をし終えた犬が駆け寄った。
「桃太郎ってさ、取り上げた鬼の宝物で幸せに暮らすんだぜ?」
「おいいいいいいいい! クソ犬! 桃太郎って言うな! 一応、これ桃姫筋肉奇譚っつー作品名があるんじゃからな!」
「とにかく、もうずらかりますよ」
キジは飛んでいく。
それを追いかける桃姫一行は、婆と爺がいる家に帰り、持って帰ったお宝で幸せに暮らしましたとさ。
おしまい。
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