第四話 痛みわからず
「洗脳をされた動物は命令に忠実だ。その結果、国に操られたあの熊は、命令されれば自らの体さえも躊躇わずに食らう」
犬は目を背け、説明をした猿は青筋を浮き立たせる。
熊は、振り上げた自分の腕を食っていた。骨を噛み砕く音が議場に木霊する。痛みを感じていないかのように、熊は無心となって自身に食らい付いていた。
異様だ。
異様と呼ぶ以外に、どんな表現があろうか。
「なんでじゃ……何故そんなことを」
「爺様」
妻は笑った。子供のような笑顔で。
「どうしても、私を食った熊を許せなかった」
「……婆さん」
「あの後、私はこの世界に転生しました。最初はどうなってるのか、さっぱりで……。でも、時が経って、忘れなかった前世のことを少しずつ理解しました。それからは、熊に復讐する方法だけを考えて……生きてきました」
筋肉の落ちた細い足で、伏せる熊の頭に乗せる。
「復讐するにはどうしたらいい? 熊を殺す? 熊を痛めつける?」
ニヤリと、彼女は笑う。
「ちがぁう」
それは人間と思えないほど不気味で、体がブルッと震えた。
「そんなんじゃあ、私の心は癒えない。スッキリしない」
頭をぐりぐりと押し付け、熊はもう片方の腕を食い始めた。
「熊を人間様が自由に弄ぶこと。それなら私もスカッとすると思ったのですよ! いまだって、この高鳴り! 凄く気持ちが良いぃぃ! 最高に堪らないッ!」
顔を朱に染める彼女は、両腕で自身を抱き締める。
「死んだら終わり……だから、そんな楽なことはしなぁい。何度も何度も痛ぶって、自由を奪って、一方的な命令に従わせて屈辱感を味あわせるッ‼︎ その為にはどうするか」
高笑いをする。
「辿り着いたのが——『洗脳』」
彼女は、自分の頭を横からぐりぐりと指を押し付けた。まるで脳に穴を開けるように。
「私は長い時間をかけて研究してきた! 洗脳の方法を!」
眼鏡から覗く狂気の瞳。妻は踵の高いヒールで刺すように、痩せ細った熊の腹を蹴りだした。
桃姫が知っている妻はあんなヒールを履かない。転生する前は、いつも使い古したシューズを履いていた。オシャレに金をかけなかったのに。
もしかして、転生前から我慢をさせ続けていたのだろうか。だから、転生して、その気持ちが爆発したのでは?
「わしが婆さんの気持ちに気づいてやれなかったばかりに」桃姫はやりきれない気持ちになった。
「ほら見て! 腕を食っても痛みを感じない面。動物のくせに似合わない涙を流してる! おかしいですよね! 動物のくせに泣いてるのですよ?」
様変わりをした妻の姿に、桃姫は言葉を失った。力なく議席に座る。
優しかった妻。
どんな時も美味しいご飯を作ってくれた。
妻が握ったおにぎりはなによりも美味しかった。自分で握っても、形は不恰好だし、塩が効きすぎたり、味がなかったり、美味しくない。
どうしてそんなに美味しいのかと尋ねると、
『真心が入ってますからね』
綺麗な笑顔で答えてくれた。
そんな彼女が、いまは心が醜く、顔も醜悪。
ああ、反吐が出そうだ。
「——鬼だ。鬼がいる」
妻の皮を被った正体は、きっとそんな名だ。
彼女が鬼になった要因に自分も含まれているのかもしれない。だから自分が選ばれ、この世界に転生したのか。
そう考えると、胸につかえていた黒いものがストンと落ちた。
「犬と猿よ、手伝ってくれるか」
桃姫は立ち上がる。
「国という名の鬼退治じゃッ!」
「メンソォォォォレエエエエエエエ‼︎」
犬は鳴く。遠くまで聴こえるように。
「鬼ヶ島にいる奴らもまた、国に操られているに過ぎない。最初から我は言っているだろう。狙うは、国の首のみで十分だと!」
刃のように鋭い眼差しで、猿はリボルバーを構えた。
「鬼の首を討ち取れぇぇ!」
気持ちを奮い立たせるように叫ぶ桃姫は、腰元に手を伸ばす。その場面に必須なアイテムを持つ為に。だが、何度探しても手は空気を掴むだけ。
「あれ?」
腰元には半分なくなったきびだんごの麻袋のみ。
「刀がなあああああああいッ!」
鞘すらない。
どうやって戦えと?
「ひゃー!」
後ろに隠れていた熊達が、桃姫達を一斉に襲う。
武器もなしに焦る桃姫は紙一重で爪を避けた。
「嬢ちゃん! いつまでも逃げてんじゃねえ! 戦え!」
「猿さん! 猿さん! わしは気付いたんじゃよ、刀がないってな!」
「お前の筋肉はただの飾りかっ!」
「今更さん付けすな!」回避能力に長けた桃姫に呆れながら、猿は叫んだ。
「無駄に発達した筋肉をどう扱えと⁉︎ 言っておくが、わし、生後一日じゃからな! 一日じゃからな! あんま文字を書きたくねえっつー理由で一日じゃからな!」
「グッドラック! なんちゃらブレスユー」
「うっせえ! クソ犬!」
クワッと桃姫は睨みつけた。
「ぎゃああああああ!」
強靭な右腕で、熊に吹っ飛ばされる桃姫。
「壁えええええ! 近いいいいいいい! 死ぬううううううう!」
迫り来る、絹布が貼られた立派な壁。
この勢いのまま壁にぶつかれば怪我だけでは済まないだろう。だからといって、筋肉に特化しただけで、ただの人間である桃姫には、スピードを緩める方法は持ち合わせてはいない。
目を閉じ、死を覚悟した。
「桃ちゃん、少しくらい戦いましょうよ。戦線離脱するの早すぎ。それに、その筋肉があれば簡単に死なないから」
帯に軽い衝撃。そして、宙に浮く感覚。
「キジか!」
桃姫がバッと見上げると、そこには地味な茶色のキジが帯を掴んだまま飛んでいた。必死に翼を羽ばたかせるが、やはり桃姫は重たいようで徐々に落ちていく。
「メスッ」
「メスで悪いのかい⁉︎」
「いだだだだだだ」
床に下ろされると、嘴で頭を突かれる。
「桃ちゃんは立派な筋肉でがむしゃらに戦えばいいの!」
「はい」
「声が小さい!」
「はいっ! ごめんなさい!」
ぴえん。
そして、桃姫、犬、猿、キジは力を合わせて熊を倒し、残るは妻一人となった。
「……」
「……」
お互いに口を閉じ、黙ったまま。
そして、妻は細い両腕を挙げる——降参の合図だ。
「参りましたよ」
それを見た桃姫は、息を吐く。
「婆さん、もうこんなことをしないと約束してくれ」
「どうしてですか? もしかして、爺様は私が死んでよかったと? 熊に食われてよかったと?」
「違うッ!」
力強く否定。怒りと悲しみを帯びた瞳が妻を捉える。
「何故じゃ、婆さん。こんなことをしても悲しいだけじゃて。なんも解決はせん。そうじゃろ? 本当はわかっとるんじゃろ?」
「解決? そんなもの初めから求めてなどいませんよ! あんなところで、あんなふうに……死にたくなかった! 病気で死ぬのは仕方がない。交通事故でも、嫌だけど仕方がない。でも、食われるのは絶対に嫌だ! 人間は捕食する側なのに……どんな時も食う側なのにッ、何故食われなければならんのですか⁉︎」
死ぬ間際の記憶が脳裏に浮かんでいるのか、妻は声を震わせた。
「あんな怖い思いをして、痛い思いをして、何故死ななければならないの? 熊さえいなければ私は死ななかった! いまもまだ爺様と一緒に暮らせていたかもしれない」
「そうじゃな。わしも婆さんと共に生きたかった。だが、それを言ってしまえば、皆そうじゃて。動物達も人間さえいなければと思っとる」
桃姫はちらりと犬、猿、キジを一瞥した。
「皆、生きとる。わしも、婆さんも、ここにいる犬、猿、キジも。皆、死にとうないんじゃ。必死に生きていたいんじゃて」
「生きたい? 動物が?」
「動物にも感情はある。熊もまた自分の体を食らいたくはなかったじゃろう。わしも嫌じゃ。自身の体を食らうのは、悲しすぎる」
「爺様。長い時を共に生きましたが、私らは分かり合えません。だから——」
妻はゆっくりと桃姫に近づいた。手を挙げたまま、ゆっくりと。
「爺様」
前世の時に聴いた声。
「爺様」
優しそうな声。
優しそう、な。
「爺様ぁ」
「なんじゃ」
「私の為に」
かんざしを手に取る。
「死んで?」
そのままオレンジ色のかんざしを振り下ろした。
「痛ッ!」
首に刺さるかんざし。
しゃらりと装飾が揺れる。
桃姫は、咄嗟に首を押さえながら後ずさった。
「婆さん……⁉︎」
「私、まだ試してないことがあります」
かんざしを抜こうとする手が止まる。
「人間に対して、洗脳したことがないのです」
ニッコリ微笑む彼女を見て、ゾクッと背中に悪寒を感じた。それは動物達も同じようだった。
「身内なら、いいですよね? 爺様」
「婆さん……!」
痛覚で顔を歪める桃姫。それを見た妻はうっとりとし、喜ぶ。実験ができてよかった、と。
「実は、そのかんざしには洗脳する薬が入っていたのです。それを刺したら、薬が体内に入り、脳を壊す。そうすれば私の都合の良いお人形さんの出来上がり」
「ごめん、婆さん……ごめん」
「今更謝って、なんのつもりですか? ここまで追い詰めた私に謝罪?」
高らかに笑った。
面白そうに、ずっと笑った。
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