第三話 悪の首を切れ
猿に助けてもらいながら木から降り、桃姫一行は道を歩く。道なき道を歩んでいくと、歩道になり、そして舗装された道になる。
次第に周りにある家は連なり、いまでは高層ビルが立ち並んでいた。
それを見上げながら、桃姫は光のない瞳で呟く。
「もう鬼ヶ島も桃太郎も全く関係ないのはわかったが、地理的な意味で、ちょいと近すぎません? 普通一日で着きます?」
目に映る街並みは都会。
前世で過ごした山々もなく、しきりに行き交う車と、祭りがあるのかと勘違いさせられる人の多さ。田舎の祭りでも、そんなに人が集まることはない。
悪い奴を懲らしめる為に猿に案内されたのだが、何故ここに来たのか、未だにわからなかった。
横に並ぶ犬は重々しい雰囲気で口を開く。
「ここに来ると、さすがの俺様も緊張するぜ……」
「緊張する? 犬は田舎生まれの田舎育ちか? それなら都会が怖いと感じるのは仕方がない話じゃな! わしは何回か孫に会いに東京へ行っているから、慣れたモンよ!」
桃姫は緊張を隠すように、爺が用意したきびだんごを無心になって食べる。その無表情ぶりを見た猿がドン引きしていることに気付かないまま。
「ノンノン! そんな平和な話じゃないんだ」
耳を倒し、その表情は怯えていた。
犬の代わりに、猿がリボルバーをくるくると指で回しながら説明する。
「お嬢は我や犬、キジを助けてくれたんだ」
しれっとキジが入っとるなぁ。
桃姫は心の中で呟く。
「助けたって、怪我かなんかしたんか?」
「怪我? そんな甘ったるいもんじゃねえよ。我らは洗脳されていたのさ。それを解除してくれたのがお嬢」
「洗脳? 一体誰に」
不意に、猿は立ち止まる。それに合わせるように、桃姫達も足を止めた。
猿はリボルバーの銃口を一点に向ける。
「誰かって? そりゃ決まってんだろ。そんな大事を可能にする奴が誰かだなんて」
「ごめん。全然わからん」
向けている銃口も、一体どれを指しているのかわからなかった。
犬が重たい口を開く。
「国だよ」
「は?」
「嬢ちゃん、鈍いなぁ。我が行くと言った場所は、国会議事堂」
「はあああ⁉︎」
鬼退治ならぬ国退治。
それって——
「このわしに、テロをしろと⁉︎」
桃姫は見開いた。持っていたきびだんごの袋が、ぼとりと落ちる。
「てろ? 謀反という意味か?」そう呟く猿はあまり気にすることなく、表情を引き締めた。
「狩るは国の首よ」
「じゃあ、国が動物に洗脳をしたというんか?」
「その通り」
「そうか……ただ」
顎に指を添えた桃姫は、悩む素振りを見せる。
「なんだ、嬢ちゃん。気になることがあるなら言ってみろ」
「動機がのぅ」
「動機?」
「国をあげて、動物を洗脳する動機がわからないんじゃて」
「んなもん知るか。いつだって人間の行動理由はわからん」
猿はリボルバーをホルダーに収めた。
「猿さんよ」
「なんだ、犬」
「乗り込むか?」
「勿論よ。手筈は整えている」
落ちたきびだんごを拾いながら、その会話を聴いた桃姫は勢いよく見上げた。
「待て待て待て待て。え、いまからもう行くの? 早くない? 心の準備ができてないんじゃけど!」
半べそをかきながら訴えるが、その言葉は猿達には届かない。
猿は強靭な桃姫の体を掴み上げると、犬の背に乗せた。ニカッと笑う。
「さあ! 出陣だ!」
「オウよ!」
犬が駆ける。
桃姫は拾いきれていないきびだんごに手を伸ばすが届かず、ただ「勿体無いいいいいいいい!」と叫び声を残した。
■■■
国会議事堂の議場。
そこで桃姫は泣いていた。嗚咽を漏らし、鼻水を垂らし、ただただ泣いていた。
半眼の犬と猿はそんな彼女を、ジトッと見つめる。
「婆さんやぁぁ……婆さんやぁぁ……生きとったんかい。よかった、よかったぁ」
桃姫は猿に帯を掴まれながら、尚も目の前にいる前世の妻に駆け寄ろうと手足を動かしていた。一歩も進んでいないが。
「アンタ、誰ですか。そんな筋肉マッチョな女、私は知らないのですが」
無表情の彼女は、正面中央にある席に座っていた。細く、老いた体。キラキラとオレンジ色に輝くかんざしを挿した彼女は、老眼鏡を人差し指で押し上げる。
半円形に設置された議席。冷めた眼差しを向けられても尚、その通路に立つ桃姫は、求めるように手を伸ばした。
「婆さん、わしじゃ! わし! 婆さん……みつ子の夫の太郎じゃ!」
「太郎……?」
小首を傾げる。その名に思い当たる節があるのか、その双眸には動揺の色が映った。
「うん、太郎じゃ。わしは太郎じゃ。転生した姿じゃが、わしの魂は太郎なんじゃ」
「転生……? 魂……?」
「婆さんも転生したんか? 熊に咥えられとったから——」
やっぱり駄目じゃったんか……。
そう言おうとした瞬間だった。
唸り声が聴こえる。腹に響くような低音。
「この音は……」
弱々しい声を出す桃姫。彼女の心臓が小刻みに震え出す。
それは聴いたことがあった。
それは死ぬ間際に聴いた。
それを出す生き物が、悠々とした姿で現れる。そして、彼女の顔に怯えのような影が走った。
「——熊」
鋭い爪を持つ巨体はゆっくりと歩く。唸る熊は、妻の背後から現れた。常に飢えているような目。痩せた体。獲物を探すように鼻をヒクヒクさせている。開けた口からポタリと涎を垂らしながら、妻に近づいていた。
桃姫は、冬眠し損ねた熊を見ているようだった。
冬になっても山を徘徊する『穴持たず』は、気性が荒く、凶暴化するといわれている。
「なんで、ここに熊がおるんじゃ」
目の前にいる熊に、桃姫は腰を抜かしそうになる。痩せているとはいえ、体の大きさは大人以上。長く湾曲した鉤爪に引っ掻かれたらひとたまりもない。
本能をむき出しにする目を見て、桃姫は震え上がった。
「婆さん! 熊じゃ! 後ろに熊がいるぞ! 逃げるんじゃ! 早く、早く‼︎」
必死に叫んだ。
愛した妻が、もう二度と食い殺される姿を見たくない。
熊に肌を裂かれ、臓器を引っ張り出されて、ブチブチと音を立てながら引きちぎられる音を——二度も聴きたくない。
「婆さんッ! 逃げてくれ! 見たくないんじゃ! 食われる姿なんか、もう見たくないんじゃッ‼︎」
熊の腕が振り上げられる。大きな爪が、怪しく光った。
「婆さああああああああんッ‼︎」
目をギュッと瞑る。
見たくない、見たくない、見たくない。
誰か、婆さんを助けてやってくれ。
その時、両腕で抱える頭を硬いもので小突かれた。
「嬢ちゃん」
——猿の声だ。
「よく目を開けて見ろ。あれが洗脳された成れの果てだ」
それは静かな声だった。
そして、怒りを押し殺している。
押さえきれず、漏れ出るそれを肌でビリビリと感じた桃姫は、躊躇しながらも顔を上げた。
「……な、なんじゃ、あれは」
得体の知れないものを見るように目を剥き、表情が凍りついた。信じ難い光景に、それ以上声が出ない。
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