第二話 共に行きゆく
木で作られた、隙間風が吹く家の中。
土間の様子が少し変わっていた。
大量に積まれた薪に、ブロック状で吊るされた肉。天井に掛けた木の棒には鹿皮が干されていた。部屋の隅には立派な鹿の角が転がっている。
引き戸付近には逞しい腕を組み、微笑む婆の姿。その着物には更に返り血を浴びて帰ってきた。
——しばかりついでに、明らかに鹿を狩ってきたな。
そんなことを考えていると、爺に麻袋を持たされた桃姫。麻袋の中を覗き込んだ後、無の表情で爺を見つめ返す。「きびだんご……」
目の前に正座する爺は感慨深いのか、双眸に涙を溜めて、「立派になって」と口にする。
一体なにがどう立派になったんじゃ、まだあれから数時間しか経っとらんぞと、桃姫はしかめっ面をして呟いた。
「のぅ。これを持たされたっちゅーことは、わしにどこかへ行けというんじゃろ? 生後一日目のわしゃいまからどこに行けっちゅーんじゃ」
桃姫はきびだんごを一瞥した。
婆は腰にさしていた打刀を鞘から抜き、素早く投げる。カサカサと動いていた黒い虫に突き刺さった。
「ヒッ!」
桃姫の前に突き刺さる刀。そしてゴキブリの死骸。
後から投げてきた鞘を、慌てて受け取った。
「鬼退治じゃ」
「鬼退治いいいいいいいいい⁉︎ やっぱ桃太郎じゃん! なんで男として産まれなかったんじゃ!」
「男児だとひ弱じゃろォ?」
変なことを言うなぁと言わんばかりに、つぶらな瞳の爺は首を傾げた。
「まあ! 確かにそうじゃけども!」
そんな爺をゴミでも見るような目つきで見やると、婆に移す。堂々とした姿、凛々しい体を見た後に、自身の筋肉を見た。
「わしに、鬼を退治しろというんか」
「その通り。理解が早くて助かるわ。精神的にも、戦いの連携的にも、仲間を引き連れて行くと良いでしょう」
「じゃあ、仲間の一人は婆さんじゃな」
「お母さんとお呼び」
「いだだだだだだだだだだッ」
足と首を締め上げられ、桃姫は顔を赤くさせる。どれだけ腕を掴んで離させようとしてもびくともしない。
「それに私は行かないよ」
「なんでじゃ! どう考えても強いじゃん! つか、わしが行かんでも婆……母さんが行けばえかろうて!」
「こんな細い腕を持つ老ぼれが、鬼に敵うわけがなかろう」
「あだだだだだだだだだだッ」
婆は桃姫に馬乗りになって、上半身を反りあげた。骨が軋み、悲鳴があがる。
男以上の強さがあるのに、それを老ぼれだと表現するのは適切なのだろうか。
そう考えながら、桃姫はひたすら激痛に耐えた。
「老婆を鬼ヶ島に連れて行こうなんて、とんだ親不孝モンだねぇ」
「ギブギブギブギブギブギブギブッ!」
やめてくれと、桃姫は両手で床を叩く。必死に訴えているにも関わらず、力が緩む気配がない。
喉が締まる。苦しい。更に、婆の腕が喉に食い込んだ。締まり所が悪くて意識が吹っ飛びそうになる。そして手の先が痺れてきて、宙を掻いた後、力無く床に落ちた。
もう駄目だ。
そう諦めかけた時——
家の壁をぶち抜く轟音が耳を貫いた。
「来たか」婆は呟いた。
その瞬間、首を締める腕の力が無くなり、気管が広がって空気が入る。それがあまりにも突然のことで、桃姫は何度も咳き込んだ。肩を上下させながら呼吸を繰り返し、落ち着いた頃に聴き慣れない声がした。
「Hey you!」
「急になんじゃ! 誰じゃよッ‼︎」
砂煙が舞う中、桃姫は口元を腕で覆いながら、声が聴こえた方へ叫ぶ。
徐々に視界がよくなり始め、最初に見えてきたものは、婆が片手で押さえつける大きな体——犬だ。それも、人を乗せられそうな大きさだった。
真っ白な牙をチラつかせ、犬は開口する。
「Hey you!」
「それ言ったのお前か!」
婆に頭を押さえつけながらも、気にする様子を見せない犬は、嬉しそうに白い尾を振った。
「チャービラサァァァァイ!」
「意味、わかんねえよッ!」
予想のつかない出来事が立て続けに起き、桃姫は苛立つ。
「迎えに来てやったぜ」
白い犬は桃姫を見て、赤い目を細める。
「はあ?」
「だから、鬼ヶ島に行くんだろ?」
「……らしい、けども」
「ほら、やっぱりな! そこにいるお嬢の頼みで来たんだ。共に行こうぜ! 相棒!」
「お嬢ってまさか婆……母さんのことか⁉︎ つか、相棒ってなんじゃよ。仲間になる為には、まずきびだんごをあげないといけないんじゃろ? きびだんごはいらんのか?」
お嬢と呼ばれた婆は、白い頭を撫でていた。躾のように押さえつけていたわけではなかったようだ。
「ノンノンノン! いまの俺様にきびだんごはいらないね」
鼻で笑う。まるで、赤ちゃんの食べ物で満足する奴がいるのかよと言いたげな笑い方だった。
「犬のくせになんか無性に腹が立つのぅ」桃姫は表情筋は動かさないまま、目だけで怒りを表す。
「つか、なんでしゃべれるんじゃ」
「細かいことを言いなさんな、princess」
「腹立つのは、その喋り方か。殴ってい?」
原因がわかると、額に青筋を浮かべ、指を鳴らす桃姫。その顔は般若そのもの。
「いつまでもくっちゃべってないで、早く行ってきな」
婆は撫でる手を止め、ゲンコツを喰らわす。
「キャン! 愛の鉄拳!」
と喜びながらも、ちゃっかり桃姫を咥えていた。
「え」
食われるのか?
そう思いながらも、大人しくする。
「じゃあ、桃姫。無事に帰っておいでね」
「婆様と一緒に待っているからのォ」
婆の斜め後ろに控えるように立つ爺。どれだけ立場が弱いのだろうと、桃は心配する。
「母さん一緒に」
「つべこべ言わずにさっさと行け! 鬱陶しい」
面倒くさそうな目元で、婆は犬の尻を叩いた。気合でも入れるように。
その瞬間、大きな犬は外へ吹っ飛ばされていった。
ぽとりと、桃姫の手から鞘が離れたことに誰も気づかないまま。
■■■
桃姫らは、大きな木に引っ掛かっていた。
腕を動かしても、枝に引っ掛かった袖が外れない。
肝心の犬は、頭が地面に向いているにも関わらず昼寝中。どうやら脱出することを諦めたようだ。
「ほんとに馬鹿だな、コイツ」頭に血が昇って辛くないのかと疑問を持ち、声を掛けても、足で蹴っても起きる気配がないので、無視する。
「あー……わしゃ、なにをしとるんかのぅ」
緑色の葉が揺れて、かさかさと音が鳴る。
顔を上げると、木漏れ日が天気の良さを教えてくれる。
「こんな日は、畑仕事をすると気持ちがええんじゃがのぅ」
畑仕事と口にした瞬間、蘇る生前の記憶。
「婆さんの供養をちゃんとしたかったなぁ」
熊に咥えられて、痛かったろうなぁ。
なかなか死なせてもらえずに、苦しかったろうなぁ。
息絶えるまで、ずっと怖かったろうなぁ。
誰か、婆さんの骸を見つけてくれただろうか。
ちゃんと墓に入れてもらえただろうか。
こうしているいまも、寂しいよなぁ。
わしがこうやって鬼退治に行くのも、婆さんを助けてやれなかった罰なのか?
桃姫は心に浮かぶ思いに押し潰されそうになりながら、目をそっと閉じた。
「それが罰だというのなら、喜んで鬼ヶ島に行くのに」
強い風が吹き抜けた。
「嬢ちゃん、鬼ヶ島に行くのかい?」
木が話しかけてきた。
そう思った。
「……今度はどちら様ですか」
「嬢ちゃん、鬼ヶ島に行くのかい?」
「おい、人の話を聞いとんのか」
「嬢ちゃん、鬼ヶ島に行くのかい?」
「少しは黙れ」
「…………」
相手は黙った。
傷つけたような罪悪感がする桃姫は「すまん、言い過ぎた」と謝罪する。
すると、また風が吹き抜け、枝が揺れた。
桃姫はゆっくりと目を開けた。そこには、そよそよと揺れる木の葉。
「嬢ちゃん」
「なんじゃ」
「鬼ヶ島に行くのかい?」
「文章を分けただけかいッ!」
姿なき声に、苛っとした桃姫は叫んだ。
「行くには行くが、それがどうしたんじゃ」
「鬼ヶ島に行くより、悪い奴らを懲らしめに行った方がいいんじゃないかと思って」
「鬼より悪い奴がおるっちゅーことか?」
首を傾げた。一体、誰だろう。
「この世界には動物も言語を使う。それは何故か?」
「〝ここ〟だから、そんなもんなんじゃないんか?」
カサカサと大きな葉音がした。
そして、
「我々が言語を用い、道具を使う……知能を高める人間化を施したのは誰か?」
そう怒りに満ちた声で言う者が、ゆっくりと姿を現す。
同時に、桃姫のこめかみに、冷たい金属が当てられた。そもそも身動きができない桃姫は、それが銃口だと気づいても逃げられなかった。
「お前ら、人間だよ」
リボルバーを構える猿。鋭い眼光を向けられ、桃姫は死を覚悟するほどだった。
「ちょっと待てッ! 猿は二番目に仲間になるモンじゃろが! なんでご主人様に銃を向けるんじゃ!」
と言いたかったが、空気はピリピリしており、口には出せない。桃姫はただ「ひゃー!」と声を漏らすだけ。その隣にいる犬は、いまもまだ気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「そして、その人間は我々を操り、傀儡とした」
「え、じゃあ、キミも操られているんかい?」
「正確に言えば、我は操られていたのだ」
「そうですか」
わしには関係のない話じゃのー、とぼんやりと考えていたら、銃口で軽くどつかれた。
「お嬢によって我は自由を得たのだ」
「お嬢って、まさか犬も言っていたが、婆さ……母さんを、猿もそう呼ぶんか。何モンなんじゃ、婆……母さんは」
「嬢ちゃんが、いまから言う場所に行くなら、我の力を貸そう」
「え、ちょ、待、え? 突然すぎんか」
「行け」
グイッと再び押しつけられる銃口。肌から伝わる鉄の冷たさが、緊張感を与える。
「ちょいと強引過ぎません?」
猿はなにも言わずに、銃口でグリグリとする。
「猿が脅迫という名の犯罪をするとは、どんな世界じゃ……まさか猿に脅される日が来るとはのぅ」
猿には聞こえないようにボソリと呟いた。
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