第2章 直樹(2)
「ただいまー」
コンビニから戻った直樹が玄関を開けると、ダシのいい香りが鼻をくすぐった。
「はぁー、いい匂い」
「おかえりなさい。もうすぐ晩ご飯できるから」
台所から声をかけてきた母親に直樹が尋ねる。
「今日はおでん?」
おでんは直樹の大好物だ。好きな具材は何と言っても、こんにゃく。それもただのこんにゃくではない。母親の特製こんにゃく。
市販のこんにゃくは弾力があってツルンとしているが、手作りこんにゃくは歯ごたえが柔らかい。空気を多く含んでいるため、味も染み込みやすいのが特徴だ。
こんにゃくが手作りできることはあまり知られていないが、直樹は手作りこんにゃくの美味しさを、みんなに知ってもらいたいと常々思っている。
作り方は意外と簡単だ。
まず、ゴツゴツとしたこんにゃく芋をよく洗ってすりおろす。ミキサーにかける方が楽だ。それを鍋で煮て凝固剤(炭酸ソーダや水酸化カルシウム)を入れ、容器などで固める。最後にアクを取るために丁寧に湯がく。
ただ、こんにゃく芋は保存が難しく手に入りにくいのが難点。こんにゃく芋を粉末にした精粉を使うのが手っ取り早い。以前は母親もこんにゃく芋から作っていたが、最近は精粉を使っているようだ。
「暖かくなってきて鍋物は今年最後になるかもしれないからね。鍋から溢れるくらい、いっぱい作ったよ」
大げさな表現ではなく本当に竹輪やら昆布やらが鍋と蓋の間から飛び出していた。大歓迎だ!
「いただきまーす」
やっぱり最初はこんにゃくから。シコシコッとした歯ごたえ、ダシのしみしみ感。あぁ、美味い。
「あー、オレ、3食おでんでもいいや」
「直樹はほんと、おでん好きだねぇ。お母さんはラクできていいけど」
「そういえば高校生の時、おでんとご飯だけのおでん弁当ってことがあったよね」
「お母さん働いてたから忙しかったのよ。よく晩ご飯のおかずの残りをお弁当に入れてたからねー」
「いや、おでん好きだからいいんだけどね。お弁当には向かないんだよ。おでんの汁がご飯に染みてきちゃって。お弁当の蓋開けたら一面真っ茶色だったからさ、ショーゲキ受けたよね」
「それで、お友達にブラウンライスって言われたんでしょ」
「そうそう。恥ずかしくて蓋でご飯を隠しながら食べたもんね」
「その話、何回も聞いたよ。酔っ払いのおっさんみたいになってきたなー」
「シラフですけど。もっと言うと下戸ですけど」
「お母さんは上戸なのにね。遺伝じゃないのおかしいね」
「あははははは」
さてさて、次はソーセージ。パリッ。んー。ジューシーだな。
おでんにソーセージなんてと抵抗のある人もいるかもしれない。最近はだいぶ市民権を得てきた気もするが、昔は友達に邪道だと言われたこともある。
直樹が食べ盛りの中学生時代、練り物メインのおでんでは物足りなく感じていた。
反抗期ぎみだった直樹は「肉が食いたい」とおでんに手をつけなかった。たぶん母親も、文字通り苦肉の策で冷蔵庫にあったソーセージをおでんに入れたのだ。これが大正解!
ソーセージから豚肉のコクが出て全体のうま味がアップ。ボリュームもたっぷりで食べ応え十分になった。
これで直樹の一番の好物、いや「おふくろの味といえば、おでん!」と言うまでになった。
そして、味がよく染み込んだ大根を口に運ぶ。これこれ、この味。
母親は顆粒のダシの素などは使わず、カツオ節と昆布で丁寧にダシをとっている。黄金のダシとでもいうのか。
だからおでんはもちろん、味噌汁でも煮物でも何でも美味い。
ふと、居間にあるテレビに目をやる。夕方のニュース番組では〝インスタ映え〟する料理を特集していた。
海老がキレイに盛られたシュリンプカクテルやトロリとしたチーズを削いで食べるラクレットなど、華やかな料理が次々と紹介されていく。
それは決して母親との食卓には並ばないメニュー。
画面に映る料理はカラフル過ぎて、異世界のモノに思えてきた。香りもしない、温かさも感じない。平らな二次元の世界。
おでんも、味噌汁も煮物も美味い。だけど……。
直樹はおでんを食べながら、色鮮やかな画面をただ眺めるだけだった。
すると、香川県でゲームの依存症を防ぐためにゲームの利用を規制する条例ができるというニュースが流れてきた。
直樹も「ゲーム規制条例」でネットが荒れていたのを知っていたから興味があった。リモコンで音声のボリュームを上げる。
――「子どものインターネットやゲーム依存症対策として、香川県議会が18歳未満の使用制限に踏み込んだ全国初の条例の制定を目指しています。
条例案は、ゲームの利用時間は1日60分までを目安としていて、家庭内で守るべきルールづくりと順守を求めています。
ゲームのやりすぎで日常生活が困難になる『ゲーム障害』が社会問題となるなか、新たな取り組みとして注目されています」――
直樹は条例が可決されそうな雰囲気にがっかりした。
「1日60分っていう時間で規制するの、ムリなんじゃね? ゲームやりたいやつは隠れてやるだろうし」
実体験を思い出して言ったら、母親も同意した。
「そうそう。直樹も勉強してるのかと思ったらゲームしててさ。いくら言ってもきかない」
「そういう母ちゃんだって昔、父さんと夜中にテトリスしてただろ。父さんが誰かからゲームボーイ1台借りてきて、対戦できるようになったからって。明け方までやってたんじゃなかったっけ? あの時、大人でもゲームってやるんだなって子ども心に変に感心したもんなぁ」
「えぇー? そんなことあったっけ? あれ? アルツハイマーかな? 忘れちゃった」
「あ、しらばっくれた」
「まぁ、子どもでも大人でも夢中になれるものは時間を忘れちゃうよね」
「そういえば、子どもの頃さ、ファミコンの高橋名人って覚えてる?」
「えぇっと、何連射ぁーとかってすごい人?」
ババババッと母親が連射する真似をする。
「そう、16連射。その高橋名人が『ゲームは1日1時間』って言ったんだよ。オレ、高橋名人が言うんだから1日1時間守らなきゃって思ったよね」
「ん? うーん? あんまり守ってた感じがしないんだけど……?」
「まぁ、多少だよね。でもさ、親とか先生とかにダメって言われたら、ま、なかには守るやつもいるだろうけど、フツーは反抗するよね。こんな規制、逆効果な気がする」
何も分かっていない大人たちは、何かにつけてゲームを悪役にする。
「香川の子どもたち、かわいそうだね」
「だけど仕方ないんじゃない。子どもは勉強が本分なんだから。絶対やるなって禁止しているわけじゃないからね」
「そうかねぇ。香川の子どもたち、早く大人になりなよ。好きなだけゲームできるから」
「直樹……。大人の本分は『し・ご・と』だからね」
仕事の一文字一文字を強調する言い方にムっとした。
「は? 何だよ。オレだってちゃんと稼いでるだろ!」
思わず語尾が強くなってしまった。
母親が黙る。いつもそうだ。眉毛がハの字になる。口がヘの字になる。そして、何か言いたげな目。この顔がオレをイラつかせるんだ。
「オレはニートじゃないからな!」
バシッ! 箸をテーブルに叩き置く。
必死で怒りを抑えた。せっかくのおでんが台なしだ。直樹は気を取り直してご飯をかき込んだ。
お互いに沈黙。テレビの音だけが流れる。
――「続いてはお天気です。週末は『虫出しの雷』となりそうです」――
天気予報士がイラストを使って解説している。最近の天気予報はキャラクターを使ったり豆知識を入れ込んできたり、デコレーションが多い気がする。
――「5日が二十四節気で啓蟄、つまり冬眠していた虫たちが出てくる日だということは先日お伝えしましたよね。その啓蟄を過ぎて立春までの間に起こる雷を『虫出しの雷』と言うんです」
「土の中の虫たちが雷の音にビックリして起きてくるんですね」――
女性アナウンサーが合いの手を入れる。
「なぜ、この時期に雷が発生するかというと、寒冷前線が……」――
「直樹も早く穴から出られるといいね」
「うるせぇんだよ!」
ガッシャーン!
ご飯茶碗を床に叩きつけた。気に入っていた益子焼きの茶碗が、粉々になった。