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或る夢

作者: 転々某

絶叫と共に飛び起きた。心臓がバクバクと音を立てて暴れている。誰かが朝からうるさいと怒鳴りつけた。

大変な悪夢を見て目を覚ましたのだが内容は覚えていない。しかし何にせよ気分の良いことではなかった。

本来ならば寝汗のたっぷりかいた布団などからは一刻も早く抜け出して、軽くシャワーを浴びて気分転換を図りたいところなのだが、ただでさえ僕の制御を離れている心臓が、今動くと体から飛び出していってしまいそうで、もう少しだけこの居心地の悪い布団の中でじっとしていることに決めた。


それにしても気味の悪い夢だった。

僕は一応つまらない小説もどきをかいて口に糊している類の人間である。

とはいえ、肝心の連載は三流雑誌の片隅に小さく載せてもらっているだけ。詰まるところ大した作家ではないのだ。

それでも物書きの端くれとして、常に新しい小説の題材は探している。

今見た夢も、これは面白いネタになるのではないかと考えたので、記憶の糸を手繰り寄せ、夢日記というものをつけてみることに決めた。


夢の舞台は僕の住んでいるこの部屋だった。

狭いワンルームで、万年床。キッチンなんて贅沢なものはついていない。トイレはかろうじてついているが、風呂は当然共同である。億劫なので掃除なんてここ数ヶ月もしていないが、それでも物が一切ないので、整然としている。

せめて窓があれば換気もできたが、それも叶わなかった。


確か最後は僕が殺されて終わったのだった。いや、正確には「殺されたのであろう」と思われた。


普段は立て付けが悪くロクに開かないドアが、なぜかこの時だけはスッと音も立てずにあくと、向こうには黒い人型の影がたむろしていて、それは僕の部屋に雪崩れ込み、逃げようとする僕の体を押さえつけてきた。

それが何なのかは全く分からなかったが、しかし夢というのは不思議なもので、直感で感じられた。「間違いない、殺される」と。

視界が黒で覆い尽くされると共に、名状しがたい不快感、絶望感が体を覆い、僕は目を覚ましたのだ。


記憶というのは不思議なもので、ある程度思い出すと、その前後の記憶もセットになって思い出されてくる。

この場合もその例に漏れず、僕は自分が「殺される」直前まで文を書いていたことを思い出した。


僕はこのご時世に珍しく、手書きで原稿を仕上げるタイプの人間である。

原稿は担当編集者の方がパソコンで打ち直してくれる。彼にとっては迷惑極まりないことだとは思うが、まず真っ白い原稿用紙に向かってウンウンと唸らなければどうしても書けないので、仕方がない。

この時は遅筆な僕に珍しく、割と筆が進んでいたように思う。

この時書いていた題材まで思い出せればネタがまた増えるのに、と少し悔しかった。


ここで一旦記憶の発掘作業は手詰まりになってしまった。

夢が完全に薄れて記憶の彼方へ失われてしまう前に詳細を思い出したいが、こういう時はいくら考えても思い出すことなどできないと相場が決まっている。

ベタつく体も流石に気になってきたが、軽くシャワーを浴びることさえも出来ない。


今の物件には満足していないが、狭くとも一人暮らしなら十分な広さだし、何より風呂トイレ別の物件なんて夢のまた夢なので、妥協していた。

いつかは一流小説家になって印税をたっぷりと貰い、高級タワーマンションで優雅に暮らそうなんて思っていた時期もあったが、現実は生きて行くことさえギリギリの人生である。

自分に才能がないと自覚した時から高望みはやめている。もちろん彼女などいようはずもない。


こういう時に親がいれば、やれ早く身を固めろだの、もっと安定した職業に就けだの言ってくるのであろうが、僕はあいにく孤児であった。

両親は生まれて間もなく交通事故で亡くなっている。幼い僕は祖母の家に預けられていたので助かったらしい。両親が何をしに行っていたのかは忘れてしまった。正直顔も覚えていないので、思い入れなど全く無いし、どうでもいい。


違うことを考え続けていたら、逆に頭の中がクリアになってきた。

それと同時に見失いかけていた夢の尻尾が見えてきた。

これは良い傾向だぞ、と思いながら机の前に戻った。

そう、確か俺は自分を題材としたノンフィクション小説を書いていたのだ。

そうと決まれば実際に書き進めてみる事にしよう。


僕は先述のように孤児であったから、幼少期は祖父母に育てられたのだが、彼らが他界してからは施設育ちであった。

小学校から高校までお世話になったが、特に小さい頃はそれが原因で色々といじめられたこともあった。また、僕も腕っ節が弱い方ではなかったので、それに応戦して相手に大怪我をさせたこともあった。


一度そういう事件を起こすと普通は転校せざるを得なくなるものだが、僕の場合はそうもいかなかったので、どこの学校でも、段々と腫れ物扱いされるようになっていった。

まともな友達などできようはずもなく、段々と悪い友達とつるむようになった。

今では足を洗っているが、当時は半グレ集団に加入していて、チームを組んで色々と犯罪紛いのことまでやった。


犯罪というのは不思議なもので、何事も最初はとても躊躇われるものなのだが、一度犯してしまうと、後は全く平気な気持ちで二度三度と重ねていけるのである。万引き、引ったくり、恐喝、暴行など大抵の犯罪行為はやった。


ある日、加減を間違えて人を一人殴り殺してしまった。酒を大量に飲んでいたこともあるし、相手の許しを乞う態度が加虐心を加速させたというのもあった。

ともあれ、人殺しとなったのは間違いなかった。


同じチームの仲のよかった先輩にヤクザの知り合いがいるということで、死体の処理を頼んだ。依頼料は相当足元を見られたが、前科持ちとなるよりはマシであるということで、依頼した。


人殺しになってしまったということでチームからは抜けざるを得なくなったが、行く当てもなかったので、夜毎に街を彷徨っていた。

むしろ前よりも好戦的になってしまい、一旦喧嘩となったら、確実に、二度と歯向かってこなくなるまで相手を叩きのめした。

一線を超えてしまったからかもしれなかった。


流石に個人でそうも暴れていると警察も黙ってはおらず、すぐ捕まった。

暴行、恐喝、殺人と大量に余罪が付いた。弁護士を雇う金なんて無かったので、国選弁護士で済ませた。やる気のなさそうなオッサンだった。裁判の間の記憶はあまり無い。気が付いたら終わっていた。


それからは……長いことこの部屋で暮らしているような気がする。

裁判が終わってからこの部屋に入居するまでの記憶が曖昧である。

そういえば、僕はいつからこの部屋にいるのだろう。連載料を貯めて引っ越そうと考えていたが、いくら貯まっただろうか。

そこまで考えて気付く。連載料はいくらだっただろうか。


連載しているのは何という雑誌だったか。思い出せない。

担当編集者の名前は。出版社は。

そもそもこんな無学な俺を拾ってくれる雑誌なんてあるだろうか。

それにこのご時世、パソコン打ち以外で原稿を受け取ってくれるわけがないだろう。いや、まず俺はどんな小説を書いていた。得意ジャンルはなんだったか。

俺は一体誰に「原稿」を渡していたんだ。


頭が痛い。俺が殺してきた連中はこれよりも痛い思いをしたのだろうか。

そうだ、確か俺は大量殺人の罪で捕まって服役中なのだ。ここは独房だ。

あの時検察は死刑を求刑していた。あのやる気のないオッサン弁護士にそれをどうにかできる器量があったとは思えない。使えないやつめ。死刑囚には基本的に独房からの自由な外出は許されていない。外から扉が開かれるのみだ。そして、特に朝方に扉が開く時は、つまり死刑台に送られる時だ。

となると、まさか、あの夢は、これからの俺を暗示していたのではないか。


音も立てずに扉が開いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章が読みやすく、最後までスムーズに読めました。構成が上手な印象です。
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