第5話「初陣、一月の軌跡」
ーー歓迎会の次の日の朝
「くぅー。はぁぁぁ」
ハルは朝の陽を浴びて目を覚ます。大きくあくびをする。
(昨日の酒は残ってないか……。これなら今日の初陣も問題ないか)
「ハルお兄ちゃん、おはよー!」
「おはよう、ペトラ」
ハルはいつもの癖でペトラの頭を撫でようとして、手を止める。
「ん?どうしたの」
ペトラが疑問符を頭に浮かべる。
「いや、なんでもないよ」
(なんで俺は今、ペトラのこと撫でるのやめたんだろ?自分でもよくわかないな……)
(まぁ、いっか)
「さて、行こうか。初ダンジョンに」
ハルとペトラは昨日から借りてるギルドの一室を出てダンジョンへと向かい始める。
今日は二人にとっての初陣。
ダンジョンは『迷宮都市』の中心に存在する。形は巨大な塔であり、遠くからも位置は一目瞭然である。
二人はギルドに、部屋を借りる宿代と、上納金を納めなければならない。
加えて、現在はギルドからの借り物である装備の購入代金(ハルの皮鎧、ペトラの護身用のナイフなど).毎日の食費代を稼がなけれならない。
余裕はない。
昨日の今日でダンジョンに潜るのも強要されたからではなく、金銭的な理由からの自主的なものだ。
「これが、ダンジョン……」
大きくそびえ立つ塔をハルは見上げる。雲を貫く塔は高すぎて、その頂きは見えない。
見上げてすぐ、ハルたちは歩き出すが人混みに慣れない二人は進みが遅い。
ダンジョンの近辺では道具や装備の売買、依頼の勧誘などが理由で毎日祭りのように賑わっている。
ドン。
人混みの中ハルと通行人の肩がぶつかる。
「あ、すいませーー」
すぐに謝ろうとするハル。
「あ?ーーあぁ!?テメェ、昨日の」
ぶつかったのは昨夜いざこざがあった相手。ワルズ=バークンだ(ハルは名前を知らないが)
「何ぶつかって!……てかお前、まさかダンジョン見上げてたのか?」
「な、別にいいだろ?」
「はっ!馬鹿かよ」
ワルズは鼻で笑い、道を進んでいく。言うなればハルの行動は都会に来て高い建造物を見上げる田舎者。
ワルズからして滑稽なのだったろう、そのおかげか二人が衝突することはなかった。肩は衝突したが。
「なんだったんだろ」
「さぁ?ハルお兄ちゃんはやく行こ!」
「あ、あぁ。そうだな」
ハルは興奮も緊張も消えて、なんだかなーという気持ちになっていた。
いくつかあるうちでも正門と呼ばれるダンジョンの門を通り二人はダンジョン内に入る。
ダンジョン一層は草原エリア。
黄緑や緑色の草花が生い茂っている。見た感じモンスターはいない。
ダンジョンは上に登るほど、より強力なモンスターが出現する。
つまり、ダンジョン一層には初心者くらいしかとどまらず皆上の階層へすぐに登っていくなので、他の冒険者も見当たらない。
暇だ。なんて考えが一瞬よぎるほどに平原は穏やかだ。
このまま突っ立っていてもしかないし、時間の無駄。ハルは奥に進んでみることにした。
「少し、進んでみるか」
「うん!」
(ん、あれは……)
遠くの方に一匹の生物が見える。詳細まではわからないが恐らくは四足歩行のモンスター。
ハルは父からもらった剣を握る。ペトラも護身用に進栄騎士団からもらった短刀に手をかける。
距離が近づくにつれモンスターの姿形がくっきりとする。黒い体毛を纏った小型の狼のような外見。
名前は小黒狼という。
「グルゥアア」
獣の直感なのか、小黒狼がハルたちの気配を察知する。
「グルァァァ!!」
一直線にハルたち目掛けて走ってきた。
大きく口を開け鋭い牙をもってハルに噛み付こうとする。
タッ!!
ハルは横っ飛びで回避する。
今度は低い姿勢で爪を用いて小黒狼は攻撃してくる。
ハルは今度は後ろに下がり躱す。
再び、牙で噛み付こうとする。
「くっ!」
体をなんとか立て直し、ハルは剣で牙を弾く。
牙の次はまたしても爪で襲ってくる
剣で牙を弾いた瞬間には、すでに鋭い爪がハルの肉に触れる寸前。
体を大きく捻る。
が、かわしきれない。浅い傷から血がしたたる。
ーーゾクリ。
痛みと同時にハルの体に鳥肌ブワッと立つ。
頭に思い浮かんで離れないのは昨夜の惨劇。
恐怖の感情がハルにまとわりつく。
応対を誤れば、死ぬ。
その緊張と恐怖からどうしても、攻防の中ハルは受けに回り押し切れずにいた。
狼の動きはまさしく獣で実践の乏しいハルでは捉えにくい。加えて恐怖の感情による攻めの鈍化。
戦況は良いとは言えない。
(速いし、動きが掴めない。隙が全然見えてこない!)
攻防の中ハルは攻略の糸口をがむしゃらに探していた。
キィン、タッ、スッ、ドッ。
攻防は続く。
少しづつではあるがハルは傷を増やしていった。このままではいずれ敗北することは見えている。
そんなハルの姿を一人の少女は見ていた。ただ見ていた。
(速い!わたしじゃとても追いつけない。加勢してもただの足手まといになる……。何もできない、ただ見てるだけしか出来ない)
(もっと、強くならないと。いつかハルお兄ちゃんの後ろじゃなくて、横に立てるくらい)
ペトラは拳を強く握る。ギィと骨が悲鳴をあげてもなお強く。
自分の弱さも強くならなければならいこともペトラは賢く十分に理解していた。
でも、実際目の当たりにして再認識していた。
ペトラは見てるだけなのが、なんだか情けなくて言い訳するようにハルを鼓舞する。
「ハルお兄ちゃん、がんばれ!」
(ペトラ……。そうだ、頑張らないと。こんなところで止まってられない)
昨日の今日。
全てを失い絶望を知った少年は真っ直ぐに敵を見た。(もう失わない、英雄は失わない)
(どうする?どうすれば勝てる?何か何かないか)
(集中しろ)
(集中しろ)
(集中しろ)
(集中、集中、集中ーー集中)
『ハル、いいかしら?』
ハルは幼い頃の記憶を思い出していた。
それは母、グレイの記憶だ。
昔、ハルがグレイに英雄になりたいなんていった時に稽古をつけられた記憶。
もう朧げながら、剣を交える度に何度も聞かされた言葉が極限の中蘇っていた。
『戦いの基本はね、相手よりも強く速くよ』
(そうだ。細かいことは考えなくていいい。そんな技術は今の俺にはない)
(ただ全力で踏み込めばいい。強く、速く、相手よりも)
(恐怖を忘れろ。俺は一振りの剣、いや一筋の斬撃になる)
睨み合う一匹と一人。
糸が張ったように緊張感がはる。
そして、糸が切れる。
(強く!速く!)
ハルは剣を幾度となく振って来た。
雨の日も、風邪の日も、嵐の日も、休みの日も。
毎朝、毎晩、素振りをしてきた。
剣を教えてくれる人なんていなかった。
それでも、ひたすらに振るってきた。
だからこそ、強く、速く、振れるのだ。
体に染み付いた一刀は果敢に力を発揮する。
大きく振りかぶった剣は小黒狼の鋭利な爪よりも先に到達した。
皮を削ぎ肉を斬り骨を断つ一撃。返り血が舞い、獣は地に伏せた。
「倒した、やった。やった!」
動かない死体を見て、ハルはようやく勝利を実感する。そのあと、獣の死体を見て笑みから平坦な顔にもどる。
ハルはかがんでモンスターに対し祈りを捧げた。
「ハルお兄ちゃん!大丈夫?」
ペトラがタタタと屈むハルに寄ってきた。
「あぁ、怪我はないよ」
「何してるの?」
「一応モンスターとはいえ命だから。祈ったほうがいいかなーって」
「なんだか、ハルお兄ちゃんらしいね。わたしもする!」
ペトラもハルの隣にしゃがみ、手を合わせ祈りを捧げた。
「っとそうだ。魔石取らないと……」
ハルは瞑っていた両目を開き立ち上がる。
「魔石って、なんだっけ?」
「魔石はモンスターの体内にある鉱物で、それを冒険者組合で換金して冒険者は稼ぐんだよ」
「そうなんだー」
「わたし、取るよ!ハルお兄ちゃんは休んでて!」
ペトラが護身用に進栄騎士団から借りている短刀を手に持ち、モンスターの体を探り始めた。
「うぅっ、気持ち悪いー」
ボヤきながらもせっせとペトラは作業をした。
☆
ーーハルたちの初冒険から一月の時が過ぎた。
「九百九十八……っ!ハァッハッ!九百九十九……ハァッガァ!」
「ーー千ッ!」
一ヶ月たったことで精神的にゆとりが生まれハルは朝の素振りも日課として再開していた。
「おはよー、ハルお兄ちゃん!」
「ーーッハァ。ッハァ!おはよ、ペトラ」
「ごはん、出来たよ!」
「あぁ」
そして、ペトラがギルドの厨房を借りご飯を作るのも習慣となっていた。
ご飯を食べ終えると二人は魔石を冒険者組合にて換金してから、ダンジョンへ入る。
「どうぞ!ハルさん今日も頑張ってくださいね!」
「はい!」
シノアとの会話も毎朝のことでハルとしてはちょっぴり嬉しいことだったり。
「ペトラちゃんもね!」
「うん!シノアさんもお仕事頑張って!」
「ありがとう!」
この一月でペトラとシノアも距離感がかなり縮まった。
二人がダンジョンへ向かおうとすると背中から声を掛けられる。
「じゃあーー」
「ーーハルさん、今日は六層まで登るんですよね。今のハルさんなら問題はないと思いますが……」
「はい、気をつけます!じゃあ、また明日」
「っ!はい。また明日」
シノアはハルの言葉にハッとして、微笑んだ。普段の元気な笑いと違う優しげな表情。
そのままの表情で、シノアはハルとペトラの背中を見送った。
そんな様子を見て隣に座る同僚に釘を刺される。
「シノアは少しあの冒険者に肩入れしすぎ」
シノアの同僚として受付嬢として働く彼女の名は、セイレディ。
紫の髪をショートボブで短く切っていて儚げな印象を受ける女性だ。
「え?そ、そうですか」
「うん。好きなの?」
「へ?」
シノアがギョッとした目をして一瞬止まる。
「いやいや!違いますから!!」
顔を赤くしながら慌てて両手をパタパタしながら全力否定のシノア。
「シノア声、大きい」
「あっ」
早朝で客は少ないとはいえ、シノアは自分のミスに気づき反省する。
「で、好きなの?」
「ち、違いますよ。そもそも肩入れしてません」
「ただ酒場のことがあって話す機会があって少し仲良くなっただけで」
「そっか」
「ただ、凄いなとは思います」
「私よりも三つも歳下なのに、酒場のの時もそうだし、たった一ヶ月でどんどん強くなるし」
「ボロボロで帰ってるの時々見かけますし」
「私とは、全然違うなって」
「でも、冒険者は死ぬ」
シノアの言葉を聞き終わったセイレディが強く釘をさす。
冒険者の死亡率は極めて高い。だからこそ、肩入れすべきではないというのは暗黙の了解。
「分かってます」
「それなら良いけどさ」
「にしても凄い成長だね。たった一ヶ月で六層なんて」
「ですよね、流石は『進栄騎士団』って感じで!これ昨日の鑑定結果ですよ」
名前 ハル=グリース
レベル 15
種族 ヒューマン
体力 80
筋力 90
耐久 70
敏捷 100
知力 50
魔力 50
【スキル】
「挑戦者」成長速度が上昇する。
「守護者」守るべき対象が後方にいる場合、全能力が向上する。
【魔法】なし
名前 ペトラ=ラルカ
レベル 8
種族 ヒューマン
体力 35
筋力 35
耐久 25
敏捷 50
知力 30
魔力 30
【スキル】なし
【魔法】なし
「ペトラって子も結構伸びてるんだ。てっきりお飾りかと思ってたけど」
「なんでシノアがドヤ顔してるの?」
「へ?なんとなくですか?」
一方、ハルたち。
ーーダンジョン一層、平原エリア。
ダンジョンの構造上、上の階に行く際は一層から順に登らないといけない。
そのため、ハルとペトラは現在一層にいる。
「「「グルアアアアアアア!!!」」」
向かい合うモンスターは少黒狼三匹。
まず、二匹が同時にハルに飛びかかる。
鈍い銀の軌跡が、狼の首に通る。鮮血の雨が降る。
一瞬で一刀で、いとも簡単にハルは狼を倒す。
三匹いるうちの残る一匹はペトラの方へ走る。
しかし、ハルは動かない。
それは動く必要がないからだ。
ペトラ向かってくる敵に対し小型の弓を構える。
「せい!」
ペトラの掛け声とともに矢が放たれる。
矢は小黒狼の頭蓋を貫通して、なお止まらない。
この弓矢はペトラきっての願いで購入したものだ。
「弓矢、だいぶ上手くなったな」
「うん、でもまだまだ一層なら通じるけど。多分六層じゃ援護が限界だと思う」
少し暗い表情をするペトラの頭をハルは何も言わずに撫でた。相変わらず触り心地のいい髪だ。
一層であれば、ペトラでもタイマンの勝利もたやすい。
しかし、五層なんかでは援護が限界だった。今から登る六層ももちろんそうだろう。
ーー六層、洞窟エリア
六層は薄暗い洞窟。
頭が二つある蛇、双頭蛇や黒狼が主な出現モンスターだ。
どちらも侮れない敵ではあるが、不安を裏切るようにハルたちの新天地での戦いは順調にいった。
モンスターたちの動きや能力に特殊なもの変則的なものがなく、対応が楽だったのも大きいだろう。特に黒狼は小黒狼と同様の動きのためなれるのがはやかった。
「さて、そろそろ降りようか」
「うん!」
二人は六層から降り始めた。
ーー同時刻、月ノ下にて
「なぁ、聞いたか?噂のルーキーの話」
「ああ、進栄騎士団の水色の髪したガキ」
「もう六層らしいぜ!」
「やべ、一ヶ月でそれかよ」
「マジで英雄じゃん」
ハルの噂話がとある男の耳をひくつかせていた。
「チッ!」
ワルズ=バークンだ。
「くっそ!もう六層だぁ?ふざけやがって!」
(あの眼、英雄気取りかと思ったが……。本当の英雄ってか?)
「ギルドからは、また犯罪の手伝いさせられるわ」
「クソが!今日は飲んでやる!とことん飲んでやる!!」
(勝手に重ねて、勝手にイラついて馬鹿みたいだ)
「グヒッ!ヒック!俺はぁ。俺はぁワルズだ……」
すっかりワルズは酔いつぶれ、千鳥足で酔家に帰っている途中だ。
偶然にワルズの目にとある人物が映る。
白髪の兎人。
シノア=アルラージである。
(っ!バーニィ?いやあれは酒場の受付嬢か……)
「ッ!嫌なこと思い出させぇやがっれ!」
(そういや、あの女。ハルとかいうクソガキと最近仲良いんだっけ?)
「あぁ、クソがクソがっ!」
「おい、お前!」
「え?私ですか……?」
シノアがワルズの声に困惑しながら振り向く。
シノアはワルズを見て何の用かと突っ立っていた。
(こいつ、俺のこと覚えてねぇのか?そこそこ酒場にもいってるし、一ヶ月前に理不尽に文句垂れたのに)
(こいつも俺のこと眼中にねえってか……っ!)
「ふざっっけんな!」
直情型の性格に加え、酒に弱いのに飲みすぎたワルズは冷静を完全にかく。
「おい、ヒクッ!お前!俺は俺はーー」
そして、シノアの胸ぐらを掴む。その目には怒りが強くともっていた。
それはシノアへのものかハルへのものか、あるいは。
「おい、何してるんだ!!!」
怒号が轟く、
その声はワルズにとって忌々しい声だ。
シノアにとって慣れ始めた声だ。
ワルズが振り向くと、水色の髪をした少年が立っている。
「クソガキィ!」
ワルズが嫌いだというまっすぐな目で見ながら。