第0話 「プロローグ、上がる幕は血で赤い」
「ハル!ペトラ!先に行けぇぇぇぇ!!!」
父さんの声が耳にジンジンと強く響く。
父さんは叫ぶとすぐに振り返って『オーク』と『ゴブリン』へと特攻していく。
自分を犠牲にして逃げる時間を稼ぐつもりなんだろう。
ーー俺は走った。父の意思を尊重するため、ペトラを守るため。
「ガハァッ。グッァ」
グチャア。ギュア
肉の潰れる音と、父の声と言えない声が、数十秒後には聞こえた。
振り返る余裕なんてないけど俺もペトラも理解していた。
父さんが『オーク』と『ゴブリン』に殺されたという事実を。
(父さん、父さん、父さん)
泣きそうだ。でも、泣くな。
進め、進め俺!
悔しい、情けない。
ーーそれでも俺は走る。父の死を無駄にしたくないから、ペトラに死んでほしくないから。
憎しみも怒りも今は我慢だ。
恐怖に怯えるな。
前へ前へ、一歩でも前へ一秒でも早く前へ。
もっと、俺が強ければーー
父さんだけじゃない。他の村人だって救えたはずだ。
でも、みんな死んだだろう。百人ほどの村人はみんなモンスターに殺されてしまっただろう。
俺が弱いから救えなかった。
こんなにも自分が弱いなんて思いもしなかった。
ドシン、ドシン。世界が再び揺れる。
もう、すぐそこまで!?
オークにゴブリンもっ!
……このままじゃ。また、追いつかれる
「ハルお兄ちゃん……わたしが……」
隣を走る年下の幼馴染がこちらを見て、何かを言おうとする。
だが、俺はそこで言葉を止めさせる。
ペトラは優しい。だから何を言いたいのか分かった。
俺よりも走るのが遅いペトラは、自分犠牲にするべきだと言いたいんだろう。
例え俺を犠牲にしてペトラを逃しても、ペトラの足ではモンスターから逃げきれる可能性は低い。
確率を考えれば、それが最善で現実的だ。
大人になれ。理想は理想、現実は現実だ。
可能性の高い方を選ぶべきだ。でなければ他の死者が報われない。
ーー命をかけて時間を稼いでくれた父。
ーー助けずに見捨てた他の村人たちの命。
彼らの死が重く俺にのしかかる。
俺は隣を走る年下の幼馴染の顔を見やる。全てを受け入れる覚悟と強い意志がそこにはあった。
ーー 自分は何のために父を犠牲にしてまで逃げているのか?
ーー 何故、他の人を見捨てたのか?
ーー それは自分が助かりたかったからか?
ーー 一人でも多く生き残るためか?
己に問う。責めるように何度も何度も。
俺は……ペトラだけは、せめて助けたいって思ったんだ!
『男なら女の前では死んでもカッコつけろ』
父さんが昔、母さんの命日に言っていた言葉が俺に最後の一押しを、『勇気』をくれる。
「ッハァ!ペトラ!逃げろっ!!」
硬く繋いでいた手を離して、俺は体ごと振り返る。
「っハァ!ハルお兄ちゃん……っまたね」
背中越しにペトラに言われる。
「ハァッハァ。さて、頑張るか」
腰の剣を抜いて、俺はなんとなしに呟いた。
父さんから貰った祝品の剣はやけに冷たいと思いながら。